オールマイトと苺のフレンチトースト
カーテンの隙間から細い糸のようにこぼれる陽光が、朝の訪れを知らせていた。隣に眠っているはずの人は、すでにいない。
彼も昨夜は遅かったはずだけれどと思いながら、軽くのびをし、身体を起こす。体内に残る甘さをふくんだけだるさは、残業続きの仕事のせいばかりではなかった。互いに互いを求め貪り、同時に強く慈しむ、そんな行為の名残でもある。
ともあれ、疲れ切った身体で窓辺に近づき、トルコ刺繍が施されたカーテンを左右に引いた。降り注ぐ春の日差しは眩しく、そしてどこまでも優しかった。
見下ろした先に広がるのは、ビルの波。都心の一等地にあるこのマンションからの景観は、実にすばらしい。もちろん、この部屋はわたし自身の持ち物ではない。
人々はこの部屋の主を、敬意を込めて平和の象徴と呼ぶ。長年、ヒーローランキングのトップに輝き続ける、この国の英雄。人々は彼に守られ、彼の笑顔に希望を見いだす。
けれど、常に笑顔で世を救い続けている英雄の真実の姿を知る者は、とても少ない。
「おや、起きていたのか」
不意に、背後からかけられた声。そのひびきはテレビの向こうから聞こえてくるのと同じように、低く優しい。けれどそれには、ほんの少しだけいつもの張りが欠けている。
家にいるときの彼、八木俊典の声はたいていそうだ。やわらかくて優しいけれど。
そして声よりも大きく異なるのは、姿だ。二メートルを超す長身はそのままだが、厚みの幅が全く違う。逞しい筋肉の鎧が消え失せた、立ち枯れた木のように痩せ細った身体。そんな彼は、少し驚いただけで咳き込みながら大量の血を吐く。
これが平和の象徴と謳われる、オールマイトの真実。
「今日は暖かいね」
優しい声。優しい瞳。誰よりも強く、優しい貴方。
「そうね。桜にはまだ少しだけ早いけれど」
「伊豆の河津桜は今が満開だそうだよ。今年は無理だけど、来年は見に行こうか」
「そうね」
こんなふうに言うけれど、こうした約束がなかなか果たされないことを、わたしも彼も知っている。
大手法律事務所に勤める弁護士であるわたしの仕事は激務で、人気ヒーローである彼の業務は過酷だった。
故に、休みが合うことはとても少なく、たとえ合ったとしても、遠出をする気にはなれないのが現実だった。大抵は近場や家の中で、休みを過ごす。たとえば、今日のように。
「ところでさ」
「なあに」
「ちょうどいいタイミングで軽めの朝食ができたところなんだけど、一緒にどうだい?」
「あら、ありがとう」
わたしの彼は優しいだけでなく、とてもマメな男だった。
***
「あら」
と、思わず声を上げた。
まるで、ホテルのスイーツフェアに来たかのような、見事なテーブルセッティング。
見慣れたテーブル……といっても北欧の樹を削り出した一枚板で作られた重厚なもの……の上には、白いテーブルクロス。中央には背の高いガラス花器。ストンとしたそれにいけられているのは、長めに切り揃えた白いカラーだ。花器の足元には、白い薔薇と大きなモンステラがあしらわれている。
「どうだい?」
と、俊典が薄い胸をぐいとそらせる。
とてもすてきよ、とわたしはこたえる。
本当に、この花のあしらいはちょっと玄人じみている。
また卓上にあるのは花だけではなかった。白い磁器の皿に盛り付けられているのは、美味しそうなフレンチトースト。
盛り付けもかわいい。食パン一斤を半分に切って、中身を取り出し耳の部分をケースにしている。ケースの中には一口大にカットされたフレンチトーストと、たくさんの苺。上からは透明感のある赤いソースがかけられて。
パンケースの周りはピンクの生クリームとミントで装飾されている。添えられているのはおそらくバニラアイスだろう。
それにしても、この苺のフレンチトースト、どこかで見たことがあるような、ないような。
「お花もきれいだし、トーストもとても美味しそうね」
「そうだろう? 君、アークエット・リージェンシーホテルの苺フェアに行きたいって言ってたじゃないか」
たしかに言った。覚えている。互いの休みが合う日はすでに予約がいっぱいで、今年は行かれそうにないねと話したことも。
「だからさ、まねをして作ってみたんだよ」
ああ、なるほど。言われてみれば。
トーストに既視感があったのはそれでか。ウェブで見かけたフレンチトーストと目の前のそれは、たしかにとても、よく似ている。
「さあ、座って」
わざわざわたしの後ろに周って、椅子を引いてくれる平和の象徴に、ありがとうと少し恐縮しながらいらえて、席に着く。
続けて俊典はわたしの正面にまわって、腰を下ろした。
「いただきます」
いつものように両手を合わせてそう言ってから、俊典がナイフとフォークを手にとった。彼の手は大きいので、しっかりしたつくりのはずのシルバーが、とても小さく見えてしまう。まるでおままごとのおもちゃのように。
わたしも彼に倣って、いただきます、と小さく言ってから、フレンチトーストをひとくち。
「美味しい……」
一口大に切られたパンは、外側はカリッとしているのに、中はふわふわ。赤いソースは、予想通りあまずっぱいストロベリーだ。
パンだけで食べても美味しいが、それに苺とバニラアイス、そしてソースを絡めて食べると、また違った味わいになる。
「よかった。見た目だけじゃなく、ちゃんとおいしくできて」
わたしの反応をみた俊典が、満足そうに笑った。
「ええ。本当に美味しいわ。ちょっとびっくりするくらい」
「そう言ってもらえると、田中シェフにレシピを聞いたかいがあったよ」
「はい?」
「だから、アークエット東京の田中シェフにね」
「レシピを聞いたの?」
「うん」
にこにことひまわりのような笑顔をふりまく俊典の顔を、まじまじと見つめた。田中シェフといえば、アークエット・リージェンシーホテルのシェフパティシエだ。
「あ、でもね。さすがにお店に出しているのと同じレシピじゃないよ。素人でも簡単にできるレシピを教えてもらった」
それはまあ、そうだろう。だからといって、一流ホテルのシェフにレシピをたずねるとは、物怖じしないというか、なんというか。
呆れつつ、ふたたびテーブル上の装花に目を移した。まさか、これも?
「……あのさ、俊典」
「ん? なんだい?」
「この素敵なお花も、どなたかにアドバイスをいただいたの?」
「うん。これはね、柏崎先生」
「柏崎って、あの……柏崎颯吾?」
「そうだよ」
頭を抱えたい気持ちになった。柏崎颯吾は、「華道家」という言葉を一般に定着させた大物フラワーアーティストだ。
「カラーをテーブルに飾りたいって話したら、まっすぐ入れるだけで格好がつく生け方を教えてくれたんだ。これね、隙間ができないようにきゅっとまとめてから入れてるんだよ」
「……そう」
「バラと葉っぱはね、柏崎先生がオアシスに刺したものを送ってくれたんだ。これなら置くだけでいいよって」
「えええええええええ!」
こういうとき、『オールマイト』のすごさを実感する。その道の大家に助言を求める臆面のなさではなく、そういうひとたちが気持ちよく彼に協力してくれる事実にだ。
頼まれたら、なんとなく言うことを聞いてあげたくなってしまう。そういう不思議な魅力を持つ人間がまれにいる。
オールマイト……いや、八木俊典という人間は、まさにそれ。
「だって今日はさ」
わたしの考えていることなどお構いなしに、俊典は続ける。変わらず、得意そうに。
「君と私の記念日だから」
「えっ? そうだっけ?」
いきなりの言葉に少し慌てた。
今日は何の記念日だっただろうか? 初めて会った日でもなければ、一緒に暮らし始めた日でもない。
「おいおいひどいな、忘れてしまったのかい」
両の手のひらを天井に向けて、俊典が肩をすくめる。このひとは痩せた姿になっても、こうしたアメリカナイズされたしぐさがさまになる。
「……ごめんなさい。なんだっけ?」
「今日はね、君と私が暮らし初めてから、ちょうど千日目の記念日さ」
「あっ……そういう……」
「ちょっと、君、引かないでくれよ」
だって、千日って……。暮らし始めた日ならまだしも、そこから今日までを数えていたのかと思うと、ちょっとどうかと思ってしまう。
「……まあ、あなたらしいといえば、そうね」
どうかと思いながらも、なんだか少し嬉しくなって、微笑んだ。
こういうかわいいところもまた、俊典の魅力のひとつでもある。
「そうね。千日……か。そう考えると、あっという間だったわね」
「そうだね」
俊典と暮らした千日は、とても楽しい日々だったような気がする。実際は楽しいだけではすまず、いろいろなことがあったのだけれど。
痩せ衰えた身体を奮い立たせて、高らかに笑いながら敵を葬る。そんなこのひとには、日々、心配させられ通しだ。俊典のいないところで涙にくれたことは、一度や二度ではない。
それでも、こうして振り返ってみると、やっぱりこの千日は幸せだったと胸を張って言える。大好きなあなたの側で、あなたを見守り続けていられた日々は。
「千日、ありがとう。これからもよろしくね」
「こちらこそ」
互いに微笑み合ってから、コーヒーカップに唇をつけた。中身はふんわりバニラが香る、コナコーヒー。白地にブルーグレーのアネモネが描かれたカップは、イギリス製のアンティーク。
「コーヒーも、とても美味しい」
テーブルの中央に咲くカラーは、わたしの一番好きな花。テーブルを統一している色は白。これも一番好きな色。
なにからなにまでわたし好みの、休日の朝。
窓の外は、よく晴れた春日和。そして目の前には愛する人。
誰よりも強く優しいあなたと過ごした千日を祝いながら、これからもずっとこうしていられますようにと心の底からひそかに願う。
あなたとずっと幸せに生きていけますようにと。
初出:2021.3.20
プロヒーロー夢本「My Sweetie〜プロヒーローと軽食を〜」より再録したネームレスのオールマイト夢です
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