パステルカラーの夕暮れに

 街を朱に染めながら、太陽が沈んでゆく。春のはじめの夕暮れは、どことなくメランコリックだ。俊典もこの夕陽をどこかで見ているだろうか。たとえば、ビルの屋上とかから。

 らしくもない、と思いかけ、いや今日はとことん浸るのもいいかもしれないと思い直した。

 だって、今日はホワイトデーだから。

 身体も心も立派すぎるほど立派だけれど、乙女みたいなところのある彼の贈り物を選ぶには、ドライすぎるわたしはこれくらいにウエットになったほうがいい。

 だから、オフィスから家に帰る途中にある、パティスリーに立ち寄って、エディブルフラワーのプチケーキをいくつか買った。淡いピンクや黄色やむらさきの、きれいでかわいいお花たち。

 パステルカラーで彩られたケーキを見たら、かわいいものが好きな俊典はきっと喜んでくれることだろう。
 バレンタインを忘れるという過去のわたしの大失態は、これで帳消しになるだろうか。もちろん、イベントを忘れていたからと行って根に持つようなひとではないけれど。

 とにかく、多忙な俊典はまだ帰っていないだろうから、このケーキに合いそうな美味しいお茶を準備して出迎えよう。
 バニラの香りのお茶にしようか、それともベリーとお花の紅茶がいいだろうか。
 喜ぶ俊典の顔を思い浮かべて、わたしはそっと微笑んだ。

***

 ところが、である。家の扉を開けた瞬間、わたしを出迎えたのはスイーツの甘い香りだった。

「柊依、おかえり!」

 我が国が世界に誇る英雄が、わたしに向かって満面の笑みを投げかける。その勢いにやや気圧されて、ちいさく「ただいま……」と応えると、彼は男性の妄想の中の新妻さながらに「スイーツにする? それとも私?」と問うてきた。
 エプロン姿の平和の象徴様は、それはそれはかわいいけれど。

「アッ、帰っていきなり『私』を選ぶのは重いよね。まずはスイーツにしようか!」

 俊典は、あまりのことに唖然としているわたしのかわりに勝手に答えを出して――まあ、その答えで正解なのだけれど――いそいそと室内へと消えていった。

 今日はずいぶん早かったのね、と心の中でひとりごち、気を取り直してわたしもリビングへと向かう。俊典のこういうノリは毎度のことだ。切り替えないと身体がもたない。

***

 リビングダイニングの扉をあけたとたん、目に入ってきたのは綺麗にセッティングされたテーブルだ。これもおおむねよくあること。
 俊典はマメで凝り性だから、記念日やイベントの日には、それにふさわしいテーブルセッティングをしてくれる。もちろん、時間があれば、の話だけれど。

 今日はどこまでもかわいくフェミニンに。パステルカラーのかわいいマカロンが、シルバーのケーキプレートに可愛く盛り付けられている。脇には小花が描かれたティーセットと、白とピンクの薔薇の花が飾られて。

「マカロンを手作りしてみたんだ。なぜって? 今日はホワイトデーだからさ!」

 得意げに広いが薄い胸を張る、八木俊典氏、五十代。

 それにしてもすごいわね。マカロンが家庭で手作りできるなんて、はじめて知ったわ。

「ありがとう。美味しそうね。これはわたしから」

 と、わたしも彼にケーキボックスを差し出した。

「うわあ、お花のケーキだ! これパンジーかい? かわいいねえ」

 箱を開け、俊典がはしゃいだ声をあげた。
 いや、ケーキよりあなたのほうがかわいいでしょ、絶対に。

「パステルのマカロンも、とてもかわいい。眺めているだけでわくわくしちゃうわね」
「ありがとう。早速だけど、食べようか」
「そうね。お茶はわたしが淹れましょうか」

 ティーセットの脇に置かれた紫色の缶に入ったお茶は、すみれの花とブラックティーのブレンドだ。彼が作ったパステルカラーのマカロンにも、わたしの買ってきたプチケーキにもきっと合う。

「ありがとう。でもさ、柊依。そのまえに、私にご褒美をくれないかい?」

 言いながら、彼がわたしにむかって大きくかがみ込んだ。これもまあ、いつものことだ。だからわたしは、肉の薄い頬にライトなキスをする。

「あれ、頬かい?」
「ええ、続きはあとでね。パステルカラーのスイーツを堪能したら、たくさん愛し合いましょう」

 かがんだままの彼にそうささやくと、俊典はやや顔を赤く染めながら、満足そうに破顔した。

2022.3.14
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