さくら日和

 頭上では満開のソメイヨシノが春の陽光を弾いて咲き誇る。
 風が薄紅色の花を軽く揺らしながら渡る、爽やかな昼下がり。
 うららかな日ざしを浴びながらいただくコーヒーはことのほか美味……と言いたいところだが、実際はそうでもない。
 何故なら今、わたしは明日までに仕上げなければいけない書類と格闘しているからだ。
 庭園に面した都会のオープンカフェの一角で、わたしは独りノートパソコンを開き、ひたすらキーを叩いている。



 ナンバーワンヒーローであるわたしの恋人は、大型犬のようだ。
 大きな身体でうろうろしながら、晴れ渡った空と同じ色の瞳をきらきらと輝かせ、遊んでほしいとうったえる。
 彼の青い瞳は、言葉より饒舌に愛を語る。

 今日のように仕事が煮詰まっている時は、それがとてもうっとうしい。
 その上で放たれた、おそらく彼にとってはなにげない一言であったろう言葉は、わたしの神経をひどく逆なでした。

「仕事を家に持ち帰るのはよくないよ。最近の君は仕事のしすぎだ」

 そんなことはわかっている。けれど持ち帰らなければ間に合わないのだから仕方がない。
 だいたい、『オールマイト』に「仕事しすぎ」と言われる筋合いなどない。
 誰に強要されたわけでもないのに、平和の象徴は滅私奉公。公私の区別なく、困った人がいたら駆け出していく。そんなあなたを、わたしがどれだけつらい思いで待ち続けてきたことか。
 そう言いたいのを飲み込むのが精いっぱいだった。
 これ以上顔を突き合わせていたら、お互いにとって悪い結果を迎えかねない。
 そう思ったわたしは、彼をおいて外に出た。



「さて、こんなものかな」

 書類の最終チェックを済ませてファイルを閉じたその瞬間、わたしは思わず目を見開いた。
 一番近い植え込みの間からちらちらと覗く、金色とインディゴブルーと白。その組み合わせに見覚えがあったからだ。

「…………」

 あきれはてて言葉もない。あれで隠れたつもりだろうか。
 その大きな身体を植え込みなんかで隠せるとでも?

 それにしても、彼はいったいいつからあそこに潜んでいたのだろうか。
 こそこそと植え込みに隠れこちらをうかがうやせっぽちの大男が、我が国が誇る英雄であると誰が知ろうか。

 わたしは小さく息を吐き、植え込みから覗く金髪に向ってひらひらと手を振った。

 数秒の後、植え込みの向こうから白いTシャツにインディゴブルーのジーンズを着た俊典が、決まり悪そうな顔をしながらのそりと出てきた。
 そんなところから規格をはるかに上回る大きな男性が出てきたものだから、周りの人たちが驚いている。
 俊典はそんなことはまったく気にしないようすで入店し、わたしの向かい側に腰を下ろした。

「やあ」

 さすがヒーロー、立ち直るのが早い。なにもなかったかのように笑えるのだからたいしたものだ。
 屈託のない笑顔を向けられて、わたしの頬も思わず緩む。
 あんなところで何してたのよ、と責める言葉は、今の笑顔で消え失せた。

「柊依、怒ってる?」
「いいえ。外で気分転換できたから、仕事もはかどったわ」

 笑みながらわたしは答える。
 ああ可愛い人、先ほどの言葉を気にしていたのね。

「終わったのかい?」
「ええ」
「それはよかった。お疲れ様」
「ありがとう」

 ウエイターが来たので、わたしは追加で紅茶を頼み、俊典はブレンドを頼んだ。

 やわらかい春の日ざしをうけて輝く黄金色の髪が、とても綺麗だ。
 俊典は犬にたとえたらボルゾイだ。シャープで毛足の長い、美しい超大型犬。そんなふうに思ってしまうのは、わたしが彼に夢中だからだろうか。
 夢中であることを悟られまいとことさら冷たく当たったりもするけれど、あちらはきっと、わたしの気持ちなどお見通しであるに違いない。

「ねえ、覚えてる? わたしたちが出会った日のこと」
「もちろんだよ。あの日も今日のようなうららかな日だった」
「たくさんの花が咲く、新緑がまぶしい季節だったわね」
「花も新緑も綺麗だったけど、君の方がもっと美しかった。君はまるで、花の精のようだったよ」
「……あいかわらずお上手ね」
「なに、本当のことさ」

 俊典はわたしを有頂天にさせるのが、とてもうまい。
 愛する人と過ごす、幸せな昼下がり。ついさっきまでまなじりを吊り上げてキーを叩いていたのが嘘のよう。

「柊依」
「え?」

 俊典がいきなりわたしの髪に手を伸ばし、頭頂部をさらりとなでた。
 いきなりなにをと睨み付けると、背の高い恋人はおかしそうにくすくすと笑う。
 広げられた大きな手のひらの中には、薄紅色の一枚の花びら。

「さくら……」
「うん。咲いたばかりなのにな」
「儚いわね」
「だからこそ、人はこの花に惹かれるのかもしれないね」

 少し悲しげに響いた声に、思わず彼を見つめた。
 俊典はわたしの手の上に自分のそれを重ね、静かに微笑む。

 視線を絡めて。
 指を絡めて。

 もうそれだけで、彼が何を言いたいのかわかる。
 その青い瞳は、言葉より饒舌に、愛と生じた欲とを語る。

 何も言わずに伝票とノートパソコンを持って、俊典が席を立つ。
 わたしもまた、無言のままに席を立つ。

 さくらの花は儚い。
 あっと言う間に咲き、あっという間に散っていく。
 ヒーローとしてのオールマイトの人生も、また同じようなものなのだろう。
 だからこそ彼は、夜毎に己の生きた証を、わたしのなかに刻むのだ。

 わたしたちは春の日ざしの中で微笑みあいながら、ゆっくりと歩を進めていく。
 歩きながら絡められる、指と指。絡められた指から伝わる、彼の熱。

 うららかな春の日ざし。爽やかな風。薄紅色の花。整えられた植え込みの緑。光を弾いて白銀に輝く池。
 そして春の太陽を浴びて煌めく、愛しい人の黄金色の髪。
 この春爛漫の光景を、八木俊典……オールマイトと過ごしたこの日々を、わたしは心の中に深く刻もう。

 今日は、さくら日和。

2016.3.3

一周年リクエスト企画で書かせていただいたお話

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