ジェントルマンズショコラ

 帰宅後、準備書面と格闘すること約二時間。やっと一段落したと大きく息をつきながら、パソコンをシャットダウンした。
 法曹関係の仕事をしていると、とかく華やかだのカッコいいだのと言われることも多いが、そんなのは表面だけのこと。
 この業界は、残業も持ち帰りの仕事もやたらと多い。収入はそれなりにあるが、収入を実質的な労働時間で割るとそんなにたいしたものでもないのよと、ぼやきたくなることもある。
 それでもこの仕事を続けていけるのは、やはりやりがいと、理解ある恋人のおかげかなと、密かに思った。

 セントラルヒーティングのおかげで、我が家は廊下も温かい。やっぱりありがたいなと思いながら、キッチンに連なるリビングダイニングの扉を開けた。
 すると、キッチンカウンターの向こうで何やら作っているようすの大男が一人。

「ああ、柊依、お疲れ様。書類作りは終わったのかい?」
「ええ、やっと。あなたは何してるの?」
「ン、久しぶりに君とカクテルを楽しもうと思って。ま、座りなよ」

 言われるがまま、カウンターのスツールに腰を下ろした。

「あなたも飲むの? 珍しいわね」
「まあ、私は舐める程度だけどね。形くらいはさ、整えたいんだ」

 準備万端でわたしを待ち構えていたのだろう。すでに材料が入っているであろうシェーカーを、俊典が振りはじめた。シャカシャカという小気味よい音が、本日のカクテルへの期待を募らせる。

「今夜はなにを作ってくれるの?」
「ナイショ」

 そうウインクした彼の手元には、スノースタイルに整えられたカクテルグラスが二つ。塩や粉砂糖にしては色が濃い。なんのパウダーだろうと首をかしげていると、グラスに茶色い液体が注ぎ込まれた。

「この色と香り……チョコレート系?」
「ご名答」

 ことり、と目の前に薄茶色のカクテルが置かれた。とろりとした液体の上には、ご丁寧にも刻んだチョコレートが飾られている。

「カンパイ」

 明るい声につられて、グラスをあわせた。
 カクテルを一口。ああ、とわたしは心の中で嘆息する。甘くて柔らかくて優しい味。
 グラスの縁を彩っていたのは、粉砂糖でも塩でもなく、シナモンパウダーだ。
 広がるカカオの香りの中に潜む、コーヒーフレーバー。これはチョコレートリキュールとコーヒーリキュール、両方のお仕事だろう。なめらかな口当たりは、きっと生クリームのしわざ。
 ベースのお酒はウイスキーだ。このスモーキーな味わいはおそらく――。

「スコッチ?」
「あたり」
「珍しいわね。アメリカ好きのあなたがスコッチだなんて」
「レシピでボウモアを使ってたんだ。私はあんまりスコッチには詳しくないから、アレンジしないでそのまま使った」
「でもほんと、なめらかで美味しい。これ、なんていう名前のカクテルなの?」
「ジェントルマンズショコラ」

 へえ、と思いながらもう一口。
 それにしても、カクテル一つのためにボウモアだなんて、ずいぶん張り込んだものね。そう心の中でつぶやいて、はたと気づいた。

「ねえ! もしかして今日……」
「うん」

 忙しさにかまけてすっかり忘れていた、今日はバレンタインデーだ。

「ごめんなさい。わたし、なにも用意していないわ……どうしよう……」
「気にしなくていいよ。もともとバレンタインは、男女を問わず恋人や親しい相手に菓子や花束を贈る日だ。女性が男へチョコレートを贈るなんて風習は、我が国の製菓会社や百貨店の戦略によるものなんだから」

 そうかもしれないが、ここは日本だ。そしてここ日本では、バレンタインは女性から愛する男性にチョコレートを贈る日なのだ。
 俊典はにこにこ笑っているけれど、恋人にバレンタインを忘れられていたことはきっと面白くはないだろう。

「この埋め合わせは、明日必ず!」
「気にするなって」
「だって、忙しさにかまけてバレンタインを忘れるなんて、彼女失格よ」

 いくらわたしが多忙とはいえ、ナンバーワンヒーローのそれと比べられるはずもない。また、男性がこうしたイベントごとを忘れた話は多く耳にするが、女性側はあまり聞かない。
 普段から男っぽいと言われることの多いわたしだけれど、さすがに今回のミスはひどい。俊典が笑ってくれているだけに、なおさら申し訳ない気持ちになる。

「あなたは覚えていてくれたのに、本当にごめんなさい」
「だからもういいって……いや……そうだな」

 俊典はなにかを思いついた顔で、にこりと笑った。

「じゃあさ、ペナルティとしてバレンタインの思い出でも一つ話してもらおうかな。といっても、あんまりガチなのはやめてくれよ。妬けちゃうから」

 ああ、うん、わかってる。元彼の話なんかしたら、面倒なことになるのは目に見えているものね。
 過去にさかのぼって嫉妬したりされたりするのは、お互いにあまり楽しいことじゃない。

「じゃあ、学生時代の話」
「ウン」
「私ね、中高一貫の女子高出身でしょ。自分で言うのもなんだけど、下級生からけっこう人気があったのよ」
「ああ。君は背が高くて手足が長いし、顔立ちもはっきりしているからね。たしかに歌劇団の男役っぽい雰囲気があるかもな」

 ありがとう、と返して話を続ける。

「高校二年の時に文化祭で映画を作ったのね。最後だから凄い気合い入れて」
「え? 二年の時だろ?」
「うちは進学校だったから、文化祭の出し物に参加できるのは二年生までなの。三年生は当日、お客さんとして参加するだけ」
「へえ、雄英も特殊だったけど、学校によっていろいろだな」
「で、その時にワイルド系のイケメンの役を演ったものだから、その影響でバレンタインには持ち帰るのが大変なくらいチョコレートをもらったわ。中等部の子まで高等部に遠征してきて」
「それはすごいな」

 と、言いながら俊典が口角をあげた。ヒーローの時の爽やかな笑みではなく、艶を含んだ笑みだった。

「ねえ、柊依、ちょっとソレやってみてよ」
「いやよ、恥ずかしい」
「ペナルティ」

 満面の笑みでこう言われてしまっては、こちらとしても返す言葉がない。ベタだから笑わないでよ、と前置きをして、ポーズを決めながら囁いた。

「来いよ、クレバーに抱いてやる」

 途端、俊典がボンッ、と膨れ上がって顔を覆った。笑っているのだろうか。
 ベタベタなセリフを言わされて恥ずかしいのはこっちなのに。そう抗議しようと思ってやめた。
 なんだか少し、様子がおかしい。耳まで真っ赤だ。

「ヤダ、柊依。カッコいい……」
「え?」
「カッコ良すぎて、私、悶えちゃう」

 ワタシ悶えちゃうって……セリフ過激だけど、反応は女の子みたいなんだけど。
 大きな身体を大きく丸めて両手で顔を覆うなんて、まるで乙女だ。二メートルを軽く越す、ゴリゴリマッチョ乙女の誕生だ。
 でも不覚にも、それをかわいいなんて思ってしまった。

「あんまり柊依がカッコよすぎたから……ムラムラしてきちゃった……」

 何言ってるの? さっきのアレの、どこでスイッチ入ったの?
 そう反論する間もなく、ふわりと体が浮いた。二メートル越えの男性にされるお姫様抱っこは、何度されても高さに慣れない。

「柊依、カッコいい! でもカッコよくてワイルドなのもいいけど、やっぱりかわいい君が見たいな」

 ニコニコしながら頬にキスを落としてくる、マッチョ乙女。
 あっ、これ、嫌な予感。このままいったら流される。

「さて柊依、私も今夜はさっきの君みたいにワイルド系で行ってもいいかな?」

 わたしの返事を待とうともせず、彼の足は寝室へと向かってゆく。

 平日はベッドでのマッスルを禁じているのに、どさくさにまぎれてこれはどうなの? 本当はバレンタインを忘れてたこと、しっかり根に持ってるんじゃないの?

 そう言ってやりたいけれど、悪いのはこちら、抗議などできるはずもなく。
 だがこのまま寝室に連れ込まれては、明日の仕事に支障をきたす。マッスルになった彼の相手をした翌日は、お昼近くまで腰がたたない。
 それは本当に困るのだ。
 だから甘えた調子で彼の首に手を回して、わたしは告げる。

「ねえ、ワイルドなのもステキだけど、わたしはジェントルなあなたのほうが好き。温和で優しいあなたが」
「君は本当にずるいな!」

 俊典の呆れたような声にも負けず、微笑みを返した。

「俊典さん。さっきのカクテルみたいに、優しくてなめらかな夜をわたしにちょうだい」
「……本当に君はずるいぞ」

 さっきよりずっと優しい声で俊典が答える。わたしはもう一度微笑みを返す。視線が絡むこと数十秒。きっと、ジェントルな彼は折れてくれる。ずるいわたしは、経験でそれを知っている。

「優しくしてね」と甘えた声でささやくと、「……善処する」という低音が帰ってきた。

 ゆっくりと降りてきた唇を自分のそれで受け止めた。
 ジェントルマンズショコラよりも甘くて薫り高い夜が、これから始まる。

2017.02.11

2017 バレンタインに
マイトさんが雄英に来るより前のお話です

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