白銀の世界

 彩果の住まいはオールマイトが事務所を構えている六本木から、地下鉄で十五分ほどの街にある。駅前はオフィスビルが林立しているが、街道から一本入れば静かな街なみが広がるいわゆる閑静な住宅地。このあたりは治安もいいから、深夜でもそこそこ人通りがある。あるはずだけれど、今夜はほとんど人が歩いていない。

 なぜって、今夜の東京は雪だから。

 次から次へと舞い落ちる白いかけらが、街を白銀に染めてゆく。東京の街は雪に弱いから、こんな夜は車もあまり通らない。

「……しずか……」

 まるで雪が音を吸ってしまったかのように、静まりかえった夜の街。降りしきる雪が街灯のあかりにきらきらと反射して、とてもきれいだ。

「まるで知らない街みたい」

 ちいさく独りごちて振り返ると、そこには足跡がひとりぶん。真っ白い道についた自分の足跡は、思い浮かんだ愛しい人のそれに比べると、ひどく頼りなく見えた。

「……早く帰ろ」

 家ではできたてのおでんが待っている。
 雪が降ることなどめったにないから、思わず散歩に出てしまったが、常とは違う人通りの少ない街は、彼の不在を強調させ、逆にさみしさが増してしまった。

「おでん、俊典さんと一緒に食べたかったな」

 あれもこれも食べたくて、おでんはいつもたくさんの量を作ってしまう。とても一人では食べきれない。
 無理を承知で、「よかったら食べに来ない?」とオールマイトに連絡を入れた。けれど当然ながら、彼は忙しそうだった。

 仕方ない。だって彼は平和の象徴。潜入捜査専門のヒーローである彩果とは、立場も仕事量も違う。たとえ恋人とはいえ、急な呼び出しに応じられるほど、オールマイトは暇ではない。すべて、わかっている。

 だから、ほう、と大きく息をつき、何気なく空を見上げた。黒く広がる夜空から、放射状に落ちてくる雪の花びら。

「きれいね」

 思わず手を広げ、冷たいかけらをうけとめた――その瞬間だった。降りしきる雪花の向こうに、夜空よりも黒い点がひとつ生じたのは。

「なに?」

 独りごちながら目をこらす。と、それが遥か上空からこちらに向かって下降してきた。少し前まで黒い点だったものが、みるみるうちに人の形をなしてゆく。

 以前にも、これとよく似たことがあった。ふたりが付き合う前の出来事だ。

「あ……」

 純白のかけらを従えて空から降りてきた、目の覚めるような赤。

「俊典さん……」

 二百キロを超える巨体が雪の上に音もなく着地すると、ふわり、と青いマントが翻る。そうして彼は、常と同じように雪よりも白い歯を見せて大きく笑った。

「やあ」
「……どうして?」
「どうしてって、おでんのご相伴にあずかろうと思ってさ」
「……うれしい」

 さりげなく伸びてきた大きな手に、自分のそれを重ねる。大きな掌が、彩果の手のひらを包み込む。

 ふたり歩を進めながら、そっと後ろを振り返った。背後には大きさの違うふたつの足跡。
 それが嬉しくてうふっと笑みを浮かべると、上から「どうしたんだい?」という、優しくも低い声が降りてきた。
 なんでもないの、と、ちいさく答えて彼を見上げる。

 上空から降りてきたばかりの彼の大きな手は冷たかったが、心はぽかぽかと暖かかった。

2024.1.22

Twitter(現X) 憂様【@torinaxx】のワードパレットより
「白銀の世界」足跡 きらきらと 雪が音を吸って

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