Holy Night

 その日、インペリアルホテル最大のバンケットルームで開かれていたのは、国内最大のジュエリーブランド主催のパーティーだった。
 ラグジュアリーブランドのレセプションパーティーは、ざっくり分けると二種類ある。ひとつはそこそこの顧客を招待し、新作や定番製品を展示するといった、お得意様向けの販売会を兼ねたもの。そしてもうひとつは、最上顧客……いわゆる政財界の大物やセレブリティだけを招待したもの。そこでは目玉となる製品――たとえば億近い価格のジュエリーや歴史的にも価値があるもの――が盛花と共に飾られていることはあっても、販売はない。

 今回のパーティは後者であった。オールマイトは警備としてではなく、セレブリティのひとりとして招かれている。だが、それも表向きのこと。

 本日のオールマイトの隠れた任務は、かつて東洋の真珠と呼ばれ、日本人でありながら某国の元大統領に嫁した老婦人のエスコートを兼ねた警護だった。
 元大統領の令室。しかも、夫人の長男は現在某国で上院議員をつとめており、次期大統領候補との呼び名も高い。つまりは他国の重鎮。
 里帰り中の夫人になにかあれば、国際問題になる。だが、夫人は華やかな場での大げさな警護をあまり好まないという。
 ということで、エスコートをそつなくこなせ、同時に完璧な警護を望めるオールマイトに白羽の矢が立てられた。
 それだけではなく、パーティーの中には招待客の中に何人かのヒーローが紛れている。オールマイトの事務所からも、ナイトアイ、イーリスの二名を派遣していた。エリートサラリーマン然としたナイトアイと、一般に顔が割れていないイーリスは、こういった任務にぴったりだ。

 と、招待客の視線が、ある一点に集められていることにオールマイトは気づいた。
人々が中止しているのは、すらりとした、見目麗しい男女の組み合わせ。

 ひとりは黒、いや、限りなく黒に近いダークグリーンのタキシードに身を包んだナイトアイだ。光の加減で黒にもダークグリーンにも見える光沢のある生地は、すらりとしたナイトアイの身体にぴったりと添い、彼の持つストイックな美しさをますます際立たせている。
 優雅なる冷徹を体現するような男にエスコートされ、こちらに向かってしずしずと歩いてくるのは、彩果だ。
 ワインレッドのイブニングドレスは胸元と背中のあきが深すぎず、良家の子女といった風情である。だがフルレングスのドレスに入れられたスリットは、彼女の身体の動きをさまたげないよう配慮されていた。エレガントかつ控えめなセクシーさを醸し出しながら、いざとなれば戦うことも可能なドレスだ。
 常より濃く施された化粧が、彼女の端正な顔立ちをより華やかにみせている、とオールマイトは思った。まるで真紅の薔薇のようだ。

「まあ、美しいおふたり」

 大きなクリスマスツリーの前で微笑む元大統領令室の言葉に、オールマイトの胸に軽い痛みがはしった。

「とてもお似合いね。男性の方、あなたの相棒でいらしゃるのよね。わたくしに紹介してくださらない?」
「ええ、もちろん」

 老婦人に笑顔を返し、ナイトアイに合図を送った。有能な相棒はすぐに状況を察し、整った面にやわらかい微笑を浮かべながら近づいてくる。彩果と共に。

 ナイトアイはそつなく老婦人に挨拶し、そのままの流れで彩果を紹介した。

「かわいらしいお嬢さんね」
「ありがとうございます。私の遠縁の娘でして、本日は社会勉強のためにと連れて参りました」
「あら、恋人ではないのね」
「残念ながら」

 幸いにも、元大統領夫人は彩果を気に入った様子だった。すぐ隣に展示されている世界一有名な帯留めについて語り始め、彩果は宝石に興味がある若い女性らしい表情をつくり、話に耳をかたむけている。

「様子はどうだい?」

 オールマイトは笑顔のまま、声を落としてささやいた。

「入り口で不審者がいたらしく、SPと共に警護に当たっていたイレイザーヘッドが確保した。あまりに迅速な捕縛だったので、騒ぎにすらならなかったくらいだ」
「へえ。なかなかやるね」

 イレイザーヘッドは彩果とたいして年齢がかわらない若手だ。現場と同じくしたこともまだない。だが、特徴的な個性の持ち主であったため、その存在は知っていた。
 まったくだ、と小さく頷いたナイトアイに、他には、とオールマイトはたずねる。

「それ以外はつつがなく。ただ……少々気になることがある」
「ああ、あの青年のことか」
「さすがに気づいていたか。相変わらずの観察眼、敬服する」
「なに、君ほどじゃないさ」

 会場入りしたその瞬間から感じていた、強い視線。視線の主は敵でも一般客でもなく、ブラックスーツ姿もまださまにならない、しごく若いヒーローだった。

「パーティーが始まると同時に気づいたよ。警護対象を見るにしては、必要以上に強い視線だね」
「ああ。それにあの男が見ているのは元大統領令室ではなく……」
「私、だな」

 ナイトアイが無言でうなずいた。この一瞬、彼の眉間に小さな皺が寄ったことを、オールマイトは見逃さなかった。
 人気や実力のある者は、同業者から嫉妬される。だがそれは「普通」の場合だ。あまりにも秀でた者に対して、人は嫉妬よりも羨望や憧憬の感情を向ける。
 オールマイトにまっこうから対抗してくる気概のある者は、現在のところ、エンデヴァーぐらいのものだろう。それほどまでに、他とオールマイトの差は大きい。それはオールマイトも自覚している。
 ルーキーからこんなにもあからさまな負の視線を向けられたのは初めてのことだ。それはよくある憧憬や羨望のまなざしとは、まったく異なるものだった。
 向けられていたのは、あからさまな敵意。
 ナイトアイも、そこを不審に感じたに違いない。

「どう思う?」
「私人としては許しがたく、公人としては放置できない」

 それ、結論としては同じじゃないかい、と言いかけて、やめた。
 ナイトアイの言も一理ある。青年が敵……最悪の場合AFOと通じている可能性は、ゼロではない。ヒーローサイドに自らのスパイを送り込む。あの男ならやりかねない。

「いや……彼はないな」

 オールマイトは首を振った。
 青年がAFOのスパイであったなら、もう少しうまくやるだろう。こうしたヒーローの多い場で、ああまであからさまな敵意を放つような未熟者を、あの狡猾な男が使うわけがない。

「彼はたしか、彩果と同じルーキーだろう? こうした華やかな場で客に紛れての警護は初めてだろうから、緊張しているんじゃないかな」
「……オールマイト」

 とがめるような視線に対し、大らかな笑みを浮かべつつ、オールマイトがいらえる。

「それに彼がもし敵で、目的が私であったとする。それで、私が彼に遅れをとるとでも?」

 いや、と、今度はナイトアイが首を振った。軽く嘆息して、最高の相棒は続けた。

「もちろん、あなたにとってはあのような小者をひねることなど造作もないだろう。だが念のため、背後関係を調べておく必要はあるのではないかな」
「ああ、そうだな。それは任せるよ。よろしく頼む」
「イーリスは?」
「巻き込まない方がいいだろう」
「……承知」

 ナイトアイは一瞬だけなにか言いたげな顔をしたが、オールマイトはそれに気づかぬふりをした。この件に彩果を巻き込むつもりはない。相手は彼女の同級生だ。下手に介入させたことで、友人との関係を気まずくさせるのは嫌だった。
 それにAFOが絡む可能性が少しでもある案件には、彩果を近寄らせたくない。そう思ってしまうのは、おそらく自分のエゴなのだろうが。

「では、またあとで」

 軽くウインクすると、ナイトアイもそれに目だけで答えた。彼はさりげなく帯留めの展示の前まで進み、女性陣の話に混じりはじめる。
 ストイックで地味なヒーローと思われがちだが、ナイトアイはこうした場での振る舞いを熟知している。彼女たちの話を邪魔しないタイミングでトレイから飲み物を選び取り、手渡すその仕草ですら優美だ。

 夫人と彩果の会話が一段落したところを見計らって、オールマイトとナイトアイは行動を別にした。

 睦まじそうに談笑しながら遠ざかるふたりの後ろ姿を眺めつつ、それにしても、とオールマイトは思う。
 それにしても美しくなったものだ。
 初めて会った時は、まだ少女だった。いや、一年前にインターンとして事務所を訪れたときも、彩果はまだ少女の面影を残していた。けれど今の彩果はもう、立派な大人の女性だ。こうした華やかな場においてもひとびとの目を引くほどに、彼女は美しくなった。
 それは喜ばしいことのはずなのに、少しさみしいようにも思われる。彼女の魅力に気づいているのは、きっと自分だけではないだろう。
 オールマイトは目を伏せて、誰にも気づかれぬほど小さな溜息を、ひとつだけついた。

***

 幸いにしてつつがなくパーティーは終了し、オールマイトは、SPに囲まれリムジンに乗り込む夫人を見送った。
 そのままの足でクロークに向かう。と、カウンター前のソファで彩果とナイトアイが語らっているのが見て取れた。

「二人とも、おつかれさま」
「ああ、あなたも」

 ナイトアイに笑みを返して、彩果に向き直る。

「そのドレス、とてもよく似合ってる。真紅の薔薇の精のようだよ」

 そう告げると、彩果は花が咲くようにかんばせをほころばせた。

「ありがとうございます。オールマイトも、明るい黄色のタキシードが良くお似合いです」
「まあ、黄色は私のイメージカラーのひとつでもあるからね」

 ヒーローはイメージが大切な職業だ。
 明るくいつも自信に溢れ高らかに笑うヒーローは、人々に受け入れられやすい。それと同じように、人目をひく明るい色を着こなすことは、自分のイメージ戦略のひとつでもある。

「こんなところで話すのもなんだ。せっかく三人そろっているんだし、どこかで飲み直さないか?」

 唐突に割って入ったナイトアイの提案に、オールマイトはいいねと大きくうなずいた。

***

 ナイトアイがとってくれたのは、インペリアルホテルから徒歩圏内にある店だった。高層ビルの最上階の半面が個室レストラン、もう半分がバーになっている。ナイトアイがリザーブしてくれたのは、個室レストランのほうだ。

「ああ、しまった」

 レストランの入り口まできたところで、ナイトアイが呟いた。

「どうしたんだい? ナイトアイ」
「プライベートで重大な案件があったことを失念していた。すまないが、ここから先はふたりで楽しんでくれ」

 スケジュール管理の完璧な相棒にしてはめずらしいことだと思った。だが、今日はクリスマスイブだ。気づかなかったが、移動中、どこかから連絡が入ったのかもしれない。

「なんだナイトアイ。恋人ができたなら、私にも紹介してくれよ」
「残念ながら、色恋沙汰ではないんだ。なにせ今日は大事なグッズの予約解禁日でね。スタートの22時までにパソコンの前でスタンバイしていなければ」
「……ちょっと待ってナイトアイ……それってもしかして……」
「ああ、あなたの限定グッズだ」
「あれ、君も企画に参加してなかった? 製品の最終チェックをしたのも君のはずだろう?」
「そうだが?」
「そんなに欲しいなら、メーカーに伝えておけば一つくらいは流してもらえただろうに、私のところにもサンプルがひとつあるよ。あげるよ」

 わかっていないな、というふうにナイトアイが眼鏡をあげ、そして首を振った。

「それでは意味がない。正規の方法で手に入れなければ」

 これだ、とオールマイトは内心で感嘆の声を上げた。

 一般にはあまり知られていないことだが、サー・ナイトアイはオールマイトの強烈なファンである。だが彼は公私混同をしない。絶対に。
 もちろん、そんなナイトアイだからこそ、オールマイトは心の底からの信頼を寄せているのだが。

 そして、ナイトアイが自分のグッズ解禁時間を失念するはずがないことも、オールマイトは知っている。
 おそらく、ナイトアイははじめからこうするつもりだったのだ。飲み直そうと言いながら、バーではなくレストランの席をリザーブしたことからもそれがうかがえる。
 オールマイトはアルコールを口にしないし、彩果はまだ十代だ。

「サーが帰られるなら、わたしも……」

 慌てたように彩果が言った。それを片手一振りの動作でナイトアイが遮る。

「いや、イーリス。せっかくだから君はごちそうになるといい。パーティーでは喉を湿らせる程度のドリンクしか口にしていなかっただろう。先ほどから腹の虫がぎゅうぎゅう鳴っているのが聞こえているぞ」
「お腹なんて鳴ってませんよ!」

 と、真っ赤になって否定する彩果からオールマイトに視線を移し、ナイトアイは意味ありげに微笑んだ。

「それじゃあふたりとも、いいクリスマスを」

 それだけ残し、ナイトアイはきびすを返した。黒いロングコートの裾を翻して歩を進める彼の後ろ姿は、やはりどこまでも美しかった。

***

 最上階の個室からは百万ドルの夜景が見下ろせる。クリスマスイブの夜、雰囲気のいい店、美味しい食事。そして目の前には盛装したおもいびと。このシチュエーションを作り出してくれたナイトアイに、心の中で感謝した。

「そういえば」

 と、400グラムのステーキをぺろりと平らげ、彩果が呟いた。

「今日、すごい捕り物を見ました」
「ああ、イレイザーヘッドが不審者を確保した、あれかい?」
「そうです。ちょっと今後の参考にならないかな、と思いまして」
「たしか彼は、特殊な武器を使うとか」
「はい」

 と、その時、エスプレッソと共にデザートが運ばれてきた。
 彩果が表情を輝かせた。ドレスを着て華やかな場にいると大人に見えるが、こういうところはやっぱりまだまだ幼いなと微笑ましく思ってしまう。

「この赤いの、すごく綺麗ですね」
「フランボワーズだね。で、イレイザーヘッドが?」

 彩果のドレスと同じ色のデザートを自らも口に運びつつ、オールマイトは彩果をうながした。

「包帯のような布を使って敵を捕縛するんです……その扱いがまた巧みで。あんな戦闘術初めて見ました」
「たしかイレイザーヘッドは雄英出身だったよね。彼のことは知らなかったの?」
「彼はわたしより三学年上なので、在学期間はかぶっていないんです。知っていれば参考にさせていただいたんですが」
「うん」
「先日の倉庫の件で痛感しましたが、わたしの個性では、大勢を相手にする肉弾戦になると、かなり不利になります。イレイザーヘッドのように、補助的な武器を自分の手足のように使えれば、大勢を相手にしたとき、もう少し楽になるかなと思いまして」

 ふむ、と、腕組みしつつ考えた。たしかに武器を使いこなせれば、戦闘が格段に楽になる。

「君、たしか武術を嗜んでいたよね。君の流派は徒手空拳のみで戦うスタイルかい?」
「いえ。上級者になると武器を使うこともあります。種類はいくつかありますが、最もポピュラーなのはじょうと呼ばれる4尺の棒です。杖ならわたしも多少は使えますし、雄英在学中にその使用を考えたこともあるんですが、わたしの個性とはあわなくて」
「ああそうか、姿は隠せても、杖は隠せない」
「そうなんです。コスチュームと同じように、わたしの個性に合わせて色を変えられるような武器があったらいいと思うんですが」
「うーん、なにかいい素材はないかな。サポート会社の人にちょっと聞いてみるよ。もしかしたら新しい素材があるかもしれない」

 こういう話は、ナイトアイのほうが詳しいだろう。己の拳一つで戦い続けてきた自分と違い、彼は情報収集力に長けている。それなのに、まずこちらに話を振ってくれたことが、なんだか嬉しい。
 まったく、こんな小さなことを嬉しいと思ってしまうのだから、我ながら重症だ、とオールマイトは内心でひとりごちた。
だが、いつまでもこうしているわけにもいかない。楽しい時間はあっという間に過ぎるものだ。互いの皿とカップがすっかり空になっていることを確認し、オールマイトは息をつく。

「そろそろ出ようか」

 と、彩果は、ほんの一瞬、とても残念そうな顔をした。

 これは、期待してもいいのだろうか。
 もう少しだけ、彼女と一緒にいることが許されるだろうか。

「……今日は、車で来ているんだ」
「はい?」
「ドライブがてら、家まで送ろう」
「え……でも……」
「盛装している女性を歩いて帰らせるわけにはいかない。それにもう、こんな時間だ」
「大丈夫です。タクシーを拾って……」

 彩果の言葉を遮って、一気にたたみかけた。

「大丈夫、ちゃんと紳士として家まで送り届けるよ」
「そういうことは心配していません。ただ、オールマイトの大切なお時間をわたしのために使わせるのが申し訳なくて」
「そんなことは気にしなくていいよ。君のために使う時間なら惜しくない」

 つるりと滑り出た本音に、彩果がうつむきながら顔を赤らめた。これは悪くない反応だ。

「じゃ、行こうか」

 やや強引にそう告げて席を立つと、彩果ははいと小さくうなずいた。

***

「せっかくだから、ちょっと遠回りしてみるかい? どこか行きたいところはあるかな?」

 すこし迷うようにして、彩果が答える。

「あの……湾岸方面を回ってもらってもいいでしょうか?」

 声は遠慮がちであったが、こちらに向けられた顔は笑っていた。やわらかな笑顔に後押しされるように、オールマイトはゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
 無骨なアメリカ製のSUVがインペリアルホテルの駐車場から滑り出る。

「もちろんだよ。せっかくだから虹色にライトアップされている橋を渡ってから、お台場を抜けて新宿方面に向かおうか」
「ありがとうございます」
「なんの。虹の女神を乗せて虹の橋を渡れるのは、栄誉なことだ」
「そんなふうに言われたら、有頂天になってしまいます」
「いいよ、どんどんなってくれればいい」

 そんな軽口を交わしつつしばらく車を走らせると、前方に虹色の橋が見えてきた。橋のむこうには、アミューズメント施設の観覧車。
 夜景を前にきらきらと瞳を輝かせている彩果に、虹色に彩られた橋よりも君の瞳の方がずっときれいだ、と言いたい気持ちをぐっと抑える。

「とても綺麗ですね」
「それはよかった」
「それに、あの観覧車」

 と、彩果が流行りの恋愛映画の話題に触れた。あの観覧車の中で主人公がヒロインに婚約指輪を渡す場面があるのだと、彩果は目を輝かせる。

「ああいうのって、全女性の憧れですよね」
「そうだね。ただ男目線で言わせてもらうと、指輪は相手と一緒に選んだほうが無難な気がするな。女性って、そういうものにこだわりあるひと多いだろ?」

 同じことをリアルでされたら嫌がる女性は多いのではないだろうか、と思ったが、それは口には出さなかった。

「ああ…たしかにそうかもしれませんね。わたしも指輪については、すでにいいなと思ってるものがありますし」
「へえ。どんなの?」
「シンプルなソリティアリングです。子供の頃、母に連れられて行ったお店で見たリングがとても綺麗だったんです。セッティングがやや特殊なんですよ」
「ああ。もしかして……」

 と、オールマイトはアメリカに本店のあるジュエラーの名をあげた。

「はい。そこです。もちろん、そこのものでなくてもいいんです。それとよく似たデザインのものであれば」
「いつか夢がかなうといいね」

 答えながら、指輪を贈られるシチュエーションといった少女のような彩果の夢を現実にするのはいったいどんな男だろうかと、密かに思った。


 虹の橋を渡りきったオールマイトの愛車は、流れるように夜の街を駆ける。
 埠頭公園が見えてきた。降りて海でも眺めようかとも思ったが、隣に座る彩果をちらりと眺めやり、断念した。コートを羽織っているとはいえ、薄いドレス姿では、海沿いの公園は寒かろう。

「見てください」

 赤信号で止まったとたん、彩果が空を指さした。
 ふわりふわりと落ちてくるのは粉雪だ。はかないそれは、車のフロントガラスに触れたとたん、一瞬にして溶けてしまった。

「雪ですね。あ! オールマイト!」
「なんだい?」
「メリークリスマス!」

 言い忘れてました、と彩果は笑んだ。その屈託のない表情が眩しかった。
 メリークリスマス、と低く答えて、オールマイトもまた、微笑みを返す。
 東京では珍しい、雪のクリスマス。この降り方では積もりはしないだろう。
 舞い落ちる粉雪はまるで彩果のようだ、とオールマイトは思った。美しくて儚くて、たおやかで、そしておそらく、触れれば即座に消えてしまう。
 この手を伸ばしてしまったら、きっとこの関係は壊れてしまう。だからこうして、ある程度の距離を置いて眺めておくのが、やはり最適なのだろう。

「オールマイト?」

 けげんそうな声に、オールマイトは我に返った。なんでもないよと小さくいらえ、ゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
 粉雪舞い落ちる夜の街を、ふたりを乗せたSUVは滑るように駆け抜けてゆく。

2019.12.27
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月とうさぎ