メビウスの輪

「よう」

 師走の喧噪の中で、背後から声をかけられた。
 暮れなずむ夕暮れの街で出会った、かつての級友。だがなぜだろう。振り返ったその時、ビルの谷間に差し込む陽光が、いつもより細く頼りなく感じられ、彩果は急に不安になった。

「チャレンジャー」

 声をかけてきたのは、近隣の事務所に勤める同業者だった。戦闘向けの個性を持っていないにもかかわらず、文武共に優秀で人望もあった同級生。彼は実に努力家だった。個性とは関係のない「チャレンジャー」という命名からも、その向上心がうかがえる。

「パトロール中?」
「いいえ。警察に打ち合わせに行ってきたところ」
「ああそうか、姿月は警察と連携する仕事が多そうだからな」
「そうね。あなたは?」
「俺は、ボスのお使い」
「新人のうちはいろいろ……ね」
「まったくだ。ところで」

 と、チャレンジャーが声を落とした。

「お前も一昨日のパーティーにいたんだろ? イレイザーの捕縛シーン、見たか?」
「見た見た。すごかったよ。長い布を自分の手足みたいに扱って……」
「見たかったな。俺も戦闘向きの個性じゃないからさ、参考にできたらと思ったんだが」

 チャレンジャーは徒手空拳で戦うヒーローだ。個性を使って相手を惑わし、その一瞬を突いて攻撃する。彼の個性は戦闘向けではないが、相手を混乱させるのには充分ではあった。しかしそれでも、彩果同様、一人で大勢を相手にするとなると、厳しい。

「うん。あれを見て、わたしもなにか武器が持てたらなとちょっと思った」
「武器か。おまえんとこの流派だと、一般的なのはじょうか」

 チャレンジャーは、若いがありとあらゆる格闘術に精通している。在学中から、その知識は相当なものだった。これもまた、同級生たちが彼に一目置く理由のひとつだ。

「さすがに詳しいのね。でも杖は隠し持つのには向かないの。長さがあるから」
「ああ、そうか。おまえは身を隠してなんぼだからな」
「そうなのよ、悩ましいところ」
「そうか……まあ、がんばれよ」
「ええ。お互いに」

 本当にお互い頑張りましょう、と心の中でもう一度呟き、チャレンジャーと別れた。彼とはそう仲がいいというわけでもないが、事務所が近くにあるため、よく顔を合わせる級友のひとり。少なくとも、彩果の方は彼をそう認識していた。

***

「ただいま戻りました」

 と、お疲れさま、ご苦労、という言葉が立て続けに返ってきた。前者はオールマイト、後者はサー・ナイトアイだ。

「ああ、そうそう。イーリス」
「はい」
「こないだ相談されたこと、ナイトアイとも検討してみたんだけど」

 相談したこととは、他でもない。戦闘時に使用する武器のことだ。オールマイトが続ける。

「武器を携帯することは、そう難しいことじゃないと思うんだ。非常用の端末と同じように、コスチュームと同じ布地に収納すればいい」
「はい」
「ただ、君も言っていた通り、杖は携帯するには向かないね」
「携帯しやすさ、取り出しやすさを考ると、腰骨から膝までの長さのものがせいぜいだろうな」

 この透明感のある声は、ナイトアイのもの。彼は静かに続ける。

「特殊警棒のように伸縮式にするという案もあった。しかし入れ子式にしてしまうと、杖の動きに制限が出る可能性がある」

 杖の動きは、基本的に突く、打つ、払うの三つ。サーの言うとおり、入れ子式にした場合、突く動きに支障が出やすい。

「それに、多勢を相手にするには、もう少しトリッキーな動きができる武器のほうがいいかもしれない」
「トリッキー……」

 うん、と、オールマイトがうなずいた。

「敵にとって、とっさの対処が難しくなるような武器のほうがいいんじゃないかな。イレイザーの捕縛布も、動きが予測しにくい武器だよね」
「そうですが、トリッキーな武器というと、例えばどんな……」
「我々が思いついたものはふたつ。まずひとつめは、多節棍だ。たしか流派でも扱いがあったよね」
「はい。あります」

 主流なのは三節棍だ。多節棍は扱いが非常に難しいが、遠心力が加わるため攻撃力が高く、また相手の防御の奥まで届かせることができる。使いこなせれば、充分強い武器になるはずだ。
 だが――。

「杖よりは携帯しやすいと思います。ただ……」
「ただ?」
「三節棍は折りたためますが、それでも、一辺の長さが60センチあるんです」
「そう、そこなんだよね。私たちもそこに引っかかったんだ。それに、三つに折りたたむとかさばるよね。また棍そのものと連結部を金属製にしてしまうと、かなりの重さになる。君の個性を最大限に活かして戦うことを思えば、武器は小さく、軽いほうが好ましい」

 だからね、と、オールマイトは続ける。

「多節棍のように遠心力を利用できる、分銅鎖はどうだろう?」

 分銅鎖……演舞ですら見たことがなかったので、その存在すらも失念していた。扱いが非常に難しいのと、個性時代に入り、特殊な武器の使用に面倒な手続きが必要になったことから、廃れてしまった武器のひとつだ。

「……実際の使い手を見たことはありませんが、分銅鎖はスルジンという名で、かつてはよく用いられたと聞いたことがあります」
「いまは高齢の指導者くらいしか扱える者はいないらしいね。でも君の師匠であればつてがあるのではないかと、ナイトアイが」

 たしかに道場主の先生は高齢であり、流派の中でも顔が利く。本人がスルジンを使えなくても、使い手を知っている可能性はあった。

「特殊な武器を使用・携帯するには面倒な手続きがいるが、君はヒーロー資格を持っているから、そのあたりの手続きは必要ない」
「……はい」
「スルジンに特殊な塗料を施せば、ますます視認しにくくなるだろう。かなりの鍛錬が必要となるが、そう悪い案ではないと思う」
「はい……先生に連絡を取ってみます」

 オールマイトが太陽のように破顔し、その隣で、ナイトアイが月あかりのように微笑んだ。
 


 年の瀬の押し迫った時期ではあったが、矢も盾もたまらず、彩果は道場主に連絡をとった。

 幸いにも、スルジンの使い手は新宿の総本部にいるという。師範のなかの重鎮、先代の総本部長だ。本来であれば若手の彩果が会えるような相手ではなかったが、道場主が話をつけてくれ、年明け早々に稽古をつけてもらえることに相成った。

***

「よろしくお願いします」
「はい。よろしく」

 スルジンの達人である師範は、意外にも、中肉中背の老人だった。
 格闘家としては、小柄なほうだろう。凜とした雰囲気はあるが表情も穏やかで、古武術の師範と言うよりも、むしろ茶道や香道の師範といった風情があった。

「これがね、スルジン」

 目の前には二種類の分銅鎖。短いものは150センチ、長いものは260センチあるという。どちらも一長一短があるが、彩果の目的からすると、長スルジンのほうがいいだろうとのことだった。
 距離もとれるし、鎖の長さの分だけ分銅にかかる遠心力も肥大する。ただその分、扱いが難しいのだと、師範は静かに告げた。

「持ってごらんなさい」

 長いスルジンは、想像していたよりずっと軽かった。

「軽いでしょう?」
「はい」
「昔の物はもっと重かったそうですが、今の物は総重量が500グラム程度です。軽くて強い金属が開発されましたからね。もっとも、分銅部分だけは遠心力、攻撃力を考慮して昔と同じ重さにしてあります。それでも150グラムほどですが」

 使い手がほとんどいないのに改良を?と問いかけて、それをとどめた。見透かしたように、師範が微笑む。
 彩果は己の短慮を恥じた。道を極めるのに、終わりはないのだ。

「これなら、力のない者でも扱えます。たとえば、こんなふうに」

 次の瞬間、風切り音が耳に響き、同時に彩果の背後にあった的が大破した。
 何が起こったのかわからず、背後の的と前方を交互に見やった彩果に、老人がにこりと笑いかける。
 動きを目で追うことすらできなかった。戦闘向きの個性ではないぶん、動体視力は鍛えてきたつもりであったのに。

「ほい」

 軽やかなかけ声と共に、再び彩果の背後の的が砕けた。またしても、老人の手から飛び出したであろう分銅を、とらえることはできなかった。

 ノーモーションで打ち込まれる分銅。
 これでは、どこから分銅が出てくるかわからない。タイミングも読めない。その速さと破壊力は、まるで銃弾のようだ。

 ごくり、と彩果は息を飲み込んだ。老人がまた、静かに笑う。

「扱いは難しいですが、極めれば強力な武器になります。頑張りましょう」
「はい」

 稽古は、分銅を意のままに動かす練習から始まった。
 コミックや時代劇で見たように、片手に棒手裏剣を、もう片方の手で鎖を持ち、遠心力を使って振り回す。意外にも、これがけっこう骨が折れる動作だった。先ほどは軽く感じられたはずの分銅が、ひどく重い。彩果はたちまち息があがってしまった。

「普段使わないような筋肉を使いますからね、初めのうちは疲れると思いますが、いずれ慣れます」
「はい」
「こうして分銅を振り回すだけで敵は近づけませんから、スルジンは防御にも優れた武器なんですよ」

 穏やかな口調であったが、師範の打ち筋は鋭かった。
 普通に手首を返しているだけに見えるのに、分銅が縦横無尽に動き回る。まるでスルジンそのものが生きているかのように。

 分銅のついた鎖を使った稽古には危険が伴う。なのでスルジンの稽古中は、通常の稽古ではめったにつけない防具を着ける。また危険防止のため彩果のスルジンにはゴム製のカバーがついている。
 が、それでも当たると相当の威力があった。
 自身で放った分銅を扱いかね、彩果の身体はたちまち痣だらけになった。

***

「どうしたんだい? それ」
「……申し訳ありません。油断しました」

 目を丸くしたオールマイトに、彩果はうつむき気味にこたえた。晴れわたった空の色をした瞳は、彩果の左手を見据えている。恥ずかしくて、彼の顔を目を見ることもできなかった。

「いや、責めてるわけじゃなくてさ、君を心配してるんだよ」
「分銅鎖の訓練で……へまをしました。全治一週間だそうです」

 スルジンの稽古を初めて一月半。うまく扱えるようになってきたので、彩果は先週からカバーをはずしての鍛錬を開始した。
 いい調子だと稽古を重ね、これなら実戦でもと思ったのが、昨日のこと。
 そしてその夜、彩果は自身で放った分銅を受け止め損ね、左手の薬指の骨を折ってしまった。

 全治一週間ですんだのは、本部に治癒の個性を持つ医療資格者がいたからだ。本来なら一月近くかかるはずの怪我である。その場で個性を使用した治療を受けられたのは、彩果にとって幸運だった。

「折れているのは指の骨だけですので、業務に支障はありません」
「指の骨だけって……君ねぇ」
「大丈夫です」

 答えた瞬間、オールマイトが眉を潜めた。
 どうしよう、不快な気分にさせただろうか。もう少し柔らかい声で答えればよかった。いつもこうだ。オールマイトを前にすると、うまく話すことができない。

「イーリス」

 かけられたのは、透明感のある理知的な声。

「早速で悪いが、こちらの写真と地図を見てもらいたい。捜査だ」
「はい」
「ナイトアイ!」

 オールマイトがなにか言いたげに手をあげて、それをとどめた。サーはサーで、なにもなかったような顔をして、続ける。

「この人物を尾行しろ。行けるか?」
「はい。すぐに」

 サーが彩果に提示したのは、繁華街の地図。
 人通りの多い通りに面した雑居ビルの一室に、尾行対象者がいるという。ビルの出口付近場に潜み、出てきたところを尾行する。それが今回のイーリスの仕事だった。

***

「ナイトアイ〜」

 イーリスが捜査に出、二人になったオフィスで、オールマイトが情けない声を上げた。

「どうした、オールマイト」
「どうもこうもないよ。骨折しているイーリスを現場に向かわせるなんて、鬼かと思うよね」

 すると、サー・ナイトアイは、その整ったおもてにうっすらと微笑を浮かべた。

「ひどいよ。なんで笑うのさ。あとさ、スルジンっていうのは本当に大丈夫なのかい? いくら攻撃力が上がるからって、訓練で骨折してしまうような危険な武器では、元も子もないじゃないか」
「……」
「それにさ、イーリスも少し気を張りすぎだよね。一週間で治るなら、ゆっくり休んで完全に治すべきだよ。ナイトアイはそう思わないのかい? うちはブラック企業じゃないんだ。怪我をしている相棒に仕事をさせるつもりはないよ」

 すると、ずっと微笑したまま黙っていたナイトアイが、はーっ、と大きく溜息をついた。

「本人が大丈夫と言っているんだ。それに、捜査といっても相手から距離をとっての尾行だから、そう心配はない。今はだいたいの動きを把握できればいいから、極端に人気のない場所や建物内に入られたらそこまでだと伝えてある」
「あ、そうなの? まあ、それなら……」

 ほっとして脱力したところに、ナイトアイの声が追ってくる。

「まったく、あなたはイーリスのことになると、とたんに理性を失うな」
「そんなことは……」
「ある、だろ?」

 答えることができなかった。からかうような口調で、ナイトアイが続ける。

「それなのに、私がせっかくお膳立てしてやったのに、なにもしていないんだからな」
「できるわけないだろ。パワハラとセクハラになってしまう」
「それは、相手の合意がない場合だろう?」
「私の立場で彼女を口説くことそのものが、すでにパワハラだよ。そして彼女に恋心を抱いた時点でセクハラだ」
「相手があなたなら、そうはならないと思うがな」
「なるよ。君は私をかいかぶりすぎてる」
「いや、そんなこともないんだが」

 向けられた、柔らかい視線。
 ナイトアイの笑顔は雪の間から顔を出す雪割草の花のようだと、オールマイトは思う。綺麗な顔をしているのだから、いつもこうした穏やかな顔でいればいいのに。
 ナイトアイが微笑みながら続けた。

「それにしたって、せっかくムードのある店で二人にしてやったというのに、武器の話で終わるなんて、どうにも色気がなさすぎる」
「そうかもしれないけどさ……私とイーリスでは年齢が離れすぎているし、それに」
「それに?」
「いや、なんでもない」

 彩果が自分を憎からず思っていることは知っている。ヒーローとして尊敬されているだけかと考えていたが、それだけではないかもしれない、と思わせられる節も、たしかにあった。
 しかし、自分には強大な敵と戦う使命がある。恋愛にかまけている時間はないし、彩果を優先させることはできない。
 また、自分に恨みをもつ敵に彩果が狙われる可能性も、ゼロではなかった。
 それを思うと、若い彩果に自分の気持ちを伝えることは、やはり、ためらわれる。

「AFOのことか」

 すべてを見透かしたような発言に、オールマイトは答えなかった。
 オールマイトの中には、答えずともナイトアイは己の考えをわかってくれているという、甘えた気持ちが多分にある。
 だが、返ってきたのは、思いのほか強い言葉だった。

「心配なのはわかるが、あまり私の部下を見くびらないでもらいたい」

 はっとした。
 イーリスは自分の相棒だが、サーにとっても、たしかに大事な部下の一人だ。

「相手が一般人であればあなたの心配も当然だろうが、イーリスは弱気を救け悪を挫くヒーローだ。あなたの立場を慮れないほど愚かでもない」
「……」
「それにイーリスの身に危険が及ぶことを心配しているのだろうが、自分の身は自分で守るさ。そのために、彼女は今、鍛錬に精を出しているんじゃないのか」

 自分の身だけでなく多くの人を守るために、彩果が努力しているのは知っている。それでも――。

「断言するが、イーリスはきっと強くなる。そこは私が保証する。それに私も彼女も、守られるばかりではなく、あなたの助けになりたくてここにいるんだ。それだけは、忘れないでもらいたい」
「……ありがとう」

 明確な答えを出さぬまま答えた瞬間、オールマイトの脳裏にひとつの疑問が浮かんだ。

「あのさ……ナイトアイ。ひとつ聞いていいかい?」
「なんだ?」
「君さ、ずいぶん彼女のことをかっているみたいだけど、正直、どう思ってる?」
「そうだな、イーリスは見込みはあるが、いかんせん真面目が過ぎる。ちょっとしたミスでも、過大に自分を責める傾向にあるだろう。先ほども少し感じたが、骨折したことについて、己を責めているようなきらいがあった。だから先ほども任務を与えた。そうしなければ、彼女は落ち込む一方だったろうからな」
「……」
「己に厳しいことは美点だが、過ぎるとよくない。イーリスの課題は、強くなることではなく、自分にもう少し甘くなることだろうな」
「ああ……それは、そうだね」

 私は自分に厳しい、などと言い放つ人間に限って、己に甘い。本当に自分に厳しい人間は、自分はまだまだだと己を責める傾向にある。そして確かに彩果には、そうした傾向が多分にあった。
 だが、今オールマイトが聞きたいのは、そういうことではない。

「いや、そうじゃなくてさ……ヒーローとしてではなく、個人として……ってことだよ」
「恋愛対象になるか、という意味では、あり得ないとしか答えられないな」

 ナイトアイは、顔色一つ変えずに言い切った。

「そうなの?」
「私とあなたの好みは違うということだよ、オールマイト。だが、私はイーリスを恋愛対象としては見られないが、ヒーローとしては好感をいだいている。努力家だし、先ほども言ったように真面目で熱心だ。だからイーリスがヒーローとして育っていくのを見るのは、実に楽しい」
「君は指導に向いているのかもしれないねぇ」
「……意外な話だが、そうかもしれないな」

 そう言って、ナイトアイは眼鏡のブリッジを指で押し上げた。

「ところで、話は変わるが」
「なんだい?」
「例のパーティーの時にいた青年、特に敵との接点はないようだ。危険思想の持ち主という感じもない。どちらかといえば、模範生だな。ヒーローとしての意識が高いタイプだ」
「うん。まあ、それは彼のヒーローネームからしても、推察できるよね」

 あのクラスの授業を見た時に、思った。
 努力の跡がうかがえる身のこなし。実に彼はよく考え、そしてよく鍛えられていた。個性は戦闘向きではないが、きっとこの生徒はいいヒーローになるだろうと、確信を持ったものだ。

「私なりに彼の心理を分析してみたんだが、高い意識が災いし、あなたをライバル視……というのも図々しい話なんだが、いつか越えるべき高い山として、ライバル心に似た感情を抱いているのかもしれない」
「なるほど、頼もしいじゃないか。私を越えるか」
「そこ、面白がらない」

 鞭の一振りのような鋭い一瞥をうけて、オールマイトは肩をすくめた。春の訪れのような笑顔の後の、氷の視線。
 私の相棒は相変わらず圧が強い、と、オールマイトは心の中で呟いた。

「すまない。でもきっと、それだけじゃないよな」
「そうだな。だが、そちらについてはあまりにも個人的な理由過ぎて、まだ語れない。おそらく、あなたも気づいているのだろうが」
「ん。まあ、なんとなく」

 ナイトアイの言葉通り、オールマイトは青年の敵意の理由になんとなく気がついていた。
 青年は彩果の同級生だ。彩果は性格が明るく、優しく、そして見た目も華やかで美しい。見た目が全てではないが、若い彼が、そんな彩果に恋情を抱いていても、なんらおかしいことはない。そして彼は、彩果がヒーローとしてのオールマイトに、強い憧れを抱いていることを知っている。
 そのあたりを踏まえると、導き出される答えはひとつだ。

 あの若者と彩果は似合いだ。年齢も、そして見た目もつりあう。彼と彩果が親しくしているのを目の当たりにしたら、自分も似たような視線を送ってしまうかもしれない。
 彩果への感情はまるでメビウスの輪だ。一周して向きが逆転し、別のルートにたどり着いたかと思いきや、そのまま進むとまた元いた場所に戻ってしまう。終わりのない環。
 諦めることを選択したはずなのに、気づけば彼女が欲しいと思っている自分がいる。

 まったく、と思いかけたその時、出動要請を知らせる電子音が鳴り響いた。

「ナイトアイ」
「ああ」
「先に行く」

 オールマイトは自室の窓辺に手をかけて、空中に向けてその身を躍らせた。
 まったく恋慕というのは度し難いものだ、と心の中で呟いて。

2020.2.1
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月とうさぎ