彼の名前はファットガム。西の大都市を守るヒーローであり、小夜の誰より大切なひと。
だが今日彼が着ているのは、小夜が開発に関わったヒーロースーツではなく、かぼちゃの衣装。たっぷりと脂肪を蓄えた大きなお腹部分が、まるっとかぼちゃになっていて、そこに黒い目鼻と口がある。
なぜって、今日はハロウィンだから。
これも、ご当地ヒーローファットガムのファンサービスのひとつだ。もちろん、いつなんどき敵が現れてもいいように、彼はかぼちゃの衣装の下にヒーロースーツを身につけている。
と、たくさんの子どもたちに囲まれているファットガムが、小夜に気づいて足を止め、ひょいと大きな手を挙げた。
小夜は満面の笑みを浮かべ、巨大なかぼちゃに扮した彼の元へと駆け寄る。
「どや! かわいいやろ!」
「うん、世界で一番かわいい」
「せやろ! 俺、かぼちゃさせたら世界一や思とんねん」
晴れた日のおひさまのような笑顔を見せてから、ファットが小夜に向かってかがみ込んだ。
「今夜、君んち行ってもええ?」
耳孔に注がれた声の密やかな低さに、どきりとした。それは子どもたちに対するときの明るくファニーな語りとは、まったく違う雰囲気で。
小夜が江洲羽に越してきてからというもの、互いの家を行き来することが増えた。夜にどちらかの家で会えばそのまま泊まることになり、身体を重ねる。触れあう指先、重ねられたくちびる、低く甘い囁き、そして小夜をすっぽり包み込む、彼の体温。
反射的にそういったもののすべてを思いおこしてしまい、小夜は頬を染めながら、ちいさくうんとうなずいた。
小夜の表情から諸々を察したのか、ファットもすこし照れながら、それでもからりとおおきく笑う。だから小夜もさらりと微笑む。
「八時過ぎくらいには行けると思うんや」
「ごはんは?」
「君んちで一緒に食べてもええ? 作るの大変やったら、途中でなんか買ってこか?」
「大丈夫。今日は日曜だし、わたし作るよ。何が食べたい?」
「ん、今日は肉がええなあ。こう、分厚くて食いであるやつ」
「ポークソテーとかにする? 厚切りロースで」
「めっちゃええな」
「それじゃ、あとでね」
「おん。待っとって」
再びファンサービスに戻ってゆく彼に小さく手を振り、小夜は帰路につく。
ポークソテーは十枚もあればいいだろうか。厚手のロースだと、普通はひとり一枚だけれど、彼はそれではたりないだろう。つけあわせはハロウィンらしく、ひとつはかぼちゃのサラダで決定。スープはカブとベーコンで。あともう一品欲しいかな。ボリュームがあって、お酒のつまみになりそうなもの……鶏肉とズッキーニとポテトを炒めて、マスタードのソースを絡めてみようか……と、ぶつぶつ呟きながら歩を進める。そんな自分に気がついて、小夜はひそかに苦笑した。
***
「いらっしゃい。あれ?」
予定の時刻に訪れた人を見上げて、小夜は小さく声を漏らした。お昼にまんまるかわいいかぼちゃだったファットガムが、がっちりすっきり痩せている。
「いろいろあってん。ちょお痩せてもうたんや」
「じゃ、いっぱい食べて太ってね」
おん、と答えたファットと、玄関で本日最初のキスをかわした。優しいひととの、やさしい口づけ。
「かぼちゃの仮装は脱いできちゃったの? かわいかったのに」
「ぶかぶかになってもうたからなぁ。あれは伸び縮みせえへんから」
「それもそうね」
二回目のキスをしようとしたファットのくちびるを人差し指で押さえて、小夜は続ける。
「先にごはんにしよ?」
「ええ〜。もっとこうしてようやぁ」
「だって太志郎さん、さっきからお腹ぐうぐう鳴ってるよ」
「……せやな……せやけど、俺、今めっちゃちゅーしたい」
「じゃ、もう一回だけね」
と、背伸びをすると、やさしい唇が降りてきた。いつものように。
そして彼は、おひさまのように笑う。
「甘えついでに、もいっこ言ってええ?」
「なに?」
「今日はハロウィンや。お菓子をくれなきゃいたずらするで」
「仮装してないでしょ?」
「じゃじゃーん」
すると彼は、ポケットから獣の耳がついたカチューシャを取り出して、金色の頭に装着した。これ、わざわざ買ってきたんだろうか。あの一言を言うために。
「ほな、仕切り直すで、トリック・オア・トリート!」
どやぁ、と痩せて精悍さが際立つおもてに、ちょっぴり人の悪い笑みを浮かべる、人気ヒーロー、ファットガム。
「ふっふっふ……今夜はたっぷりえっちないたずらしたるで」
片方の口角を上げて微笑む彼からは、男の色気が匂い立つ。小夜はそれには答えずに、ふう、と軽く息を吐いてからダイニングに向かった。
後ろから「え? ちょお待って」という声が聞こえてきたが、気にしない。
ダイニングの棚から小さな袋を取り出して、追いかけてきたファットの大きな手にちょこんと乗せる。中身はパンプキンパイ、つまりはお菓子。
「お菓子はあるの」
「エエー!」
「いらない?」
「いや、お菓子も欲しいけど、太志郎さんは小夜ちゃんにえっちないたずらもしたいですゥ〜」
いつの間にか、目的がいたずらじゃなくてえっちになっちゃってるな、と思いながら、小夜は黙ってファットの次の言葉を待った。
「ほんまに……ほんまにアカンの?」
こちらを見下ろしながら、首をかしげるファットガム。いつもながらこうしているときの彼はとてもかわいい。太っていても、いなくても。
「まず、ハロウィンにおけるいたずらとえっちはイコールじゃないと思うの」
「なに言うとるん。俺たちみたいな大人のカップルにとってはイコールやで」
「そういうものなの?」
「そういうもんや」
ほんとかなあ、と思いながら小夜は続ける。
「それはそれとして、太志郎さんは体重増やさなきゃいけないでしょう? カロリー消費しないほうがいんじゃない?」
「君、前もおんなじようなこと言っとったな。大丈夫や。えっちしても俺はちゃんと太れんで!」
「……どうしようかな」
すると冗談なのか、本気なのか、ファットはその場に跪いて、祈るようにしながら小夜を見つめた。
いずれにせよ、その様子はあまりにもかわいくて。
「ほんまやで。君の太志郎さんはでける子や!」
跪くと、彼の目線は、小夜とそんなに変わらない。ローファット状態である今はなおさらだ。いつもより近い位置にある琥珀色の瞳の上部で揺れているのは、金色の髪と獣耳。
お茶目でかわいい、大好きなひと。
不意にいたずら心をおこして、小夜はファットガムの髪から、ひょいと獣耳カチューシャを引き抜いた。
「トリック・オア・トリート」
「エ?」
「太志郎さん、お菓子はないの?」
「え……あ……おん……持ってない……持ってへんで」
「ポケットに飴とか入ってない?」
「ない! 今日はかけらもあらへんで!! ポケットの中はからっぽやねん!」
「じゃ、いたずらしなくちゃね」
いつもとは違うお肉の落ちた頬に、ちゅっと触れるだけのキスをした。
「お゛お゛き゛に゛ぃ゛〜」
大きな両手で顔を覆ってのけぞり喜ぶ、二メートル超の大男。
「……いたずらって……どういう……もしかして……あないなこととか……こないなこととか……」
「……太志郎さん?」
「……アカーン、想像しただけで、俺、準備万端になってまう……!」
どうしよう、と小夜は思った。
軽い気持ちで言っただけなのに、どうやら思った以上に、期待されてしまったようで。けれどファットしか知らない小夜に、そんなに過激な行為や大胆な真似が、そうそうできようはずもなく。
「あー、楽しみやなぁ。小夜ちゃんからのいたずらに備えて、ぎょうさん飯食うとかんとあかんな!」
そう言って、にっ、と笑ったその顔は、彼が「ワルイコト」を考えている時のもの。
「あの、わたしそんなに過激なことは……」
できない、と続けようとした小夜の肩を、大きな手のひらが引き寄せる。
「そない大層なことはせんでもええねん。ただ俺が満足するまで、やさしくいたずらしたってや」
耳朶に息がかかる距離で囁かれた甘やかな声に、ちいさくうなずく。
今宵はいつもより、甘く長くなりそうだ。
そんな予感に胸ときめかす、恋人たちのハロウィン・ナイト。
2021.10.31
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