ミスター・
ハーベストムーン

 夜風がすっかり冷たくなった、と内心で独りごちながら窓を閉めた。ついこの間まで街を渡っていたのは湿気を含んだ熱風であったのに、いつのまにかすっかり秋だ。

 清しい秋の空に輝くは、九月の満月ハーベストムーン。ころころと笑うように輝き続けるまん丸で大きな黄色いおつきさまは、ファットガムとすこし似ている。
 もっとも、彼はおつきさまより、おひさまにたとえられることのほうが多いのだけれど。

 ひとつ小さな息を吐き、柔らかな光で繁華街を照らす優しいおつきさまに未練を残しながら、そっと窓辺をあとにする。そして小夜は、リビングの中央に置かれたファットガム等身大クッションの上に腰を下ろした。

 お風呂上がりに窓を開け放していたせいで、手足がすっかり冷えてしまった。まだ九月だからと油断していたのがいけなかった。手から少量の水が出る、というたいして役にも立たない個性の都合上、小夜は体が冷えがちだった。もうすぐ、カイロが欠かせぬ季節がやってくる。

 温かい飲み物でも作って体の芯から温めようか、と指先を擦り合わせながら考えていると、リビングの扉が開かれた。首からバスタオルをさげて登場したのは、大阪が誇る丸くて大きなヒーローだ。彼はとても大きいから、バスタオルがフェイスタオルみたいに見えて、なんだかかわいい。

「なんや、小夜。寒いんか? 手ェ擦り合わせて」
「ちょっとね、冷えちゃったの」
「そか」

 ファットガムが小夜の脇に手を入れて、ひょいと抱き上げた。まるで重さを感じさせずに。もちろんこれは小夜が軽いからではなく、ファットが力持ちなせい。そうして彼は、太い腿の上に小夜を下ろした。

「君の居場所はそっちの俺の上やのうて、ここやろ?」

 背後から小夜を抱きしめながら、彼はささやく。優しく甘く。

「ああ、ほんまや。指先冷たなっとるな」

 大きな手が小夜の手をゆっくりと包み込んだ。ファットガムはこんなに丸くてこんなにもちもちしているのに、手だけはやたらとごつごつしている。太くてしっかりした骨を感じる手の指は、意外に長い。

「ん? どないした?」
「いつも思うんだけど、太志郎さんって、手だけはごつごつしてるよね。他はふわふわもちもちなのに、てのひらと拳と指は硬いの」
「せやな。……なん? 小夜は全部やわこいほうがええ?」
「ううん。かっこいい手だなって思って」
「……そら、おおきに」

 少し照れたように、ファットが笑う。
 いまこの指を温めてくれているのは、命をかけて人々の笑顔を守っているひとの、尊い手。

「大好き」

 その尊い指先を自分の口元まで運び、そっと、唇を落とした。

「……キミはほんま……そういうとこなぁ……」

 ため息とともに、落とされた呟き。「なにが?」と返そうとした瞬間、見えていた景色が、大きく動いた。気づいた時には、ファットの大きなおめめと大きなおくちがすぐ側に、その向こうには天井がある。

「あの……太志郎さん?」

 ぉん、と応えた彼の琥珀色の目は、笑っている。

「どうしてわたしは今、太志郎さんの膝の上で横抱きにされているのでしょうか?」
「君の太志郎さんは手ェ以外にも硬いとこあんねんで。今からそれじっくり教えたろ思てなぁ」

 片方の口唇をあげながらそう告げて、彼は指先で小夜の髪をさらりと解いた。太い指先が小夜の耳をもてあそびうなじを通って、そして鎖骨へ。

「……電気……消してくれる?」
「ん」

 ファットガムがスマートホームシステムに、あかりを落としつつ電動式のカーテンを閉めるよう命じた。ふだん「ファニーでキュートなファットさん」を貫いている彼は、実は意外と抜かりない。

「知ってる? 今日ね、満月だったの。丸くて黄色くて、照らす光が優しくて」
「丸くて黄色い君の満月なら、ここにもおるやろ」

 本当にそうね、と続けようとした唇の上に、あまい口づけがおりてきた。軽く触れるだけの優しいキス。
 至近距離で見つめる彼の瞳の色は、金がかった琥珀色をしている。まるで、月の光のような。

(ねえ大好きよ、太志郎さん)

 大好きなひとの顔をしみじみみつめながら、小夜は思う。
 あなたはわたしのハーベストムーン、と。

初出:2021.9.19(2021年秋のBOOSTお礼文)
サイト掲載日:2021.12.20
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