聖なる夜に口づけを

ここから先は「ポップロックキャンディシャワー」の最終話以降のお話となります



 メリークリスマス、と内心で呟いて、小夜はかすかに疲れの残るふっくらとした顔を、そっと見つめた。

 事後もおしゃべりをするのが好きな彼が、珍しくも今日はすぐに眠ってしまった。
 それもそのはず、ここ数日、ファットはほとんど休んでいない。彼が守るこの街は、常に人でごった返す大阪有数の繁華街であり、また観光地でもある。そのうえ師走のこの時期は、ただでさえ多い人出がますます増える。人出が増えれば、当然ながら事件も増えるわけで、小夜の愛しい彼は、毎日忙しく駆けずり回っている。今年は小さな事件が増えているのでなおさらだ。
 イベント時に一緒にいられないことは、仕方がない。そういうものだと理解している。物わかりや都合のいい女を演じるつもりはない。ただ身をもって知っているだけだ。救けられる側の人々が、どんな気持ちでヒーローを待っているのかを。
 それは事故でも事件でも、そして火災でもおなじこと。

 小夜はちいさく息をつき、床に脱ぎ捨てられたパーカーを拾い上げ、素肌に羽織った。自分のサイズよりはるかに大きなパーカーを。つい一時間ほど前まで、これを着ていたのはファットではなく小夜であり、脱がせたのは小夜ではなくファットだった。
 オーバワーク気味のところに「そういう行為」をしたのなら、ますます疲れて当然だろう。

 小夜はふたたび、視線をファットに転じた。
おおきなお口にふっくらとした頬、ちんまりしたお鼻に短い眉。今は閉じられているけれど、あけたらちょっとどっきりしてしまうくらいぱっちりとしたおめめと、その上で揺れるふわふわとした金髪と。
 見つめれば見つめるほど、知れば知るほど大好きだなぁとしみじみ思う。カッコいいのにかわいくて、こんなにも大きくて強いのに甘え上手なこのひとが、心の底から大好きだ。

(ほんと、ずっと見ていられるなあ)

 すうすうと寝息を立てている愛しい人のかわいいお鼻にちょんと触れ、小夜はそっと身体を起こした。
 食後すぐに行為に及んでしまったために、明日の朝食用のごはんをセットしていないことに気がついたからだ。

 隣で眠る彼をおこさぬよう、そうっと室内履きに足を入れ、そうっとベッドを抜け出す――つもりだった。
 ところが。

 背後から伸びてきた腕が小夜を布団の中に引きずり込んだ。声を上げる間もなく、太い腕に包み込まれる。

「俺をひとりぼっちにして、どこいくん?」 
「ごめんなさい。起こしちゃった?」

 いや、と言いながら、ファットがくちごもる。小夜は軽く顔をあげた。目の前に大きな大きなおめめがあって、それが甘えるような視線を自分に向けている。大阪を守る強くて大きなヒーローが時折見せる甘えたしぐさ、それがどうにもたまらなかった。

「俺、しらん間に寝てしもたんやなぁ。 ふたりで過ごす初めてのクリスマスやのに、すまん」
「ううん。だって太志郎さん、このところずっと働きづめだったし。今はね、あしたの朝ご飯をセットしようと思ったところだったの」
「俺の嫁はほんまやさしいええ嫁やなぁ……けどな、朝のことは朝になったら考えよ。明日は俺も休みやし、パンでよければ買い行くわ。せやから、今はこうして一緒にいよ。な?」

 嫁、という響きを、小夜はややくすぐったい気分で聞いた。小夜とファットは法的にはまだ夫婦ではない。元旦――つまりは来週――に入籍する予定だった。
 あと少しで、夫婦になれる。

「あかん?」

 と、再び甘えるような声をあげたファットに小夜は微笑んで、ふっくらとした頬に口づけた。もちもちしていて、やわらかな頬。

「そうね。わたしも太志郎さんとこうしてたい。だって大好きだから」
「何言うとるん。絶対俺のほうが好きやて」
「え〜。わたしのほうが好きだと思うよ」

 他人に聞かれたら呆れられてしまいそうな言葉のやりとりも、ふたりの間では平常運行。こんな甘いやりとりを年をとってもずっと続けていられたらいいなと思いながら、小夜はファットの頬にもう一度キスを落とした。

「ほな、おんなじくらいっちゅうことで」

 満足げに笑みながら、ファットが小夜の髪に唇を寄せた。うん、と小夜も小さくこたえる。

「小夜。今日のごはんもうまかったで。あのメンチカツにゆで卵が入っとるやつ、また作ってや」
「スコッチエッグ?」
「そうそれ。あとなんちゅうたっけ、切り株の……せや、ブッシュドノエル。ほんでローストチキンとスープもうまかったし、サーモンのパイも絶品やった。クリームチーズが入ったポテサラも最高やったな」
「結局ぜんぶね?」
「ん、小夜の作ってくれるモンは全部うまいわ。ほんでも一番うまかったんは」

 と、ここでファットが言葉を切った。不思議に思って顔を上げると、彼がかわいいはずの顔に、ちょっと人の悪い笑みを浮かべた。

「一番うまかったんは、おまえや」

 先ほどの行為を思い出した小夜の顔に朱がのぼる。そんな小夜を愉快そうに見下ろしながら、ファットがまた、笑った。

「ほんま、俺の小夜ちゃんはエエ匂いやなぁ」

 小夜のうなじに顔をうずめて、ファットが呟く。それは小夜が愛用している香水と同じ香りのボディオイルの匂いだ。この香りをファットが好きだと言ってくれたから、お風呂あがりのボディケアは、こればかりを使用するようになってしまった。
 そして髪に頬に額に、彼がキスの雨を降らせる。花束みたいな、たくさんのキス。

「なんつーか、似おとるよ。薄いピンク色の花束みたいな香り、小夜にぴったりやな」

 ありがとう、と返そうとしたその時、小夜はファットの瞳の光がいつもと比べ、やや弱いことに気がついた。やわらかいというより、とろり、と表現するのがもっとも近しいそのようす。うっすらと黒い影のある目元をよく見ると、まぶたが閉じそうになるのを、必死でこらえているようにも見えて。
 ああ、と心の中でため息をついた。
 きっと彼はクリスマスに遅くなってしまったことと、事後すぐに眠ってしまったことを気にしているのだ。なぜって。彼はやさしいひとだから。
 疲れているのだから、そんなの気にすることはないのに。

「ねえ、太志郎さん」
「なん?」
「わたし、なんだか眠くなっちゃった……お話の途中だけど、もう寝ちゃってもいい?」

 さりげないつもりで視線を目をそらしそう告げて、ファットを見上げる。すると彼はほんの一瞬眉をあげ、少しして、おう、とやさしく微笑んだ。

「ほな、このまま眠り」
「ありがと」

 おやすみ、という言葉と共に、また、やさしいくちびるが落とされる。次いでごくごくちいさな声で、おおきになぁ、と告げられた。
 嘘の苦手な小夜のついた小さな嘘は、どうやら彼にはお見通し。

 小夜は軽く息をつき、暗闇の中、ファットのやわらかさとぬくもりを楽しみながら、そっと目を閉じた。と、すぐに聞こえてきたのは、規則正しい呼吸音。

 あっという間に眠りに落ちた彼の寝息を聞きながら、やっぱり無理してくれたんだな、とひそかに思った。
 強くやさしい大好きなひとのこうした気遣いに気がつくたびに、心の中にあかりがともる。
 すうすうと寝息をたてている男の分厚い胸に、小夜はそっと唇を寄せて、ひそかに願う。
 この聖なる夜に、大きな事件がおきませんように。そしてこの街の人々とやさしく強いヒーローの上に、神のご加護がありますようにと。

2021.12.25
2021年クリスマス
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