そう内心で独りごちた瞬間、リビングダイニングの扉が開かれた。
「おはようさーん!」
朝からテンション高く登場したのは、大阪を代表するヒーロー・その名もファットガム。
元気いっぱいな彼だけれど、今朝の姿は世間の人たちが知っているものとは大きく違う。昨夜大きな捕り物があり、脂肪を燃焼し尽くしてしまったせいだ。つまり今の彼は、まんまるかわいいファットさんではなく、がっちりマッチョなコミットさん。
「おはよう。ごはんできてるよ」
「おー! うまそうやなぁ! 今朝は和食かぁ! 旅館の朝飯みたいや!」
テーブルの上に並んだ朝食を見て、ファットガムが大きなおめめをますます大きく見開いた。そこまで立派なものではないのにこうして大げさに喜んでもらえると、なんだか嬉しくなってしまう。
ところが、いつもならすぐに食卓につく彼が、今日はめずらしく、立ったままこちらを見下ろしている。
「どうしたの?」
「ン……」
と、少し恥ずかしそうに笑いファットが小さな箱を差し出した。
「なぁに?」
「プレゼントや」
あ、と口の中で小さく叫んだ。すっかり忘れていたけれど、今日はホワイトデーだ。
今年のバレンタインは、朝イチでチョコレートのパンを焼き、その後、丸い時の彼によく似たボンボンショコラとカシミアのマフラーをプレゼントした。これはたぶん、そのお返し。
「ありがとう」
「あけてみ」
うん、と返事をして、ラッピングを開けた。天鵞絨の小箱の中には、ひとつぶダイヤのネックレス。
「ありがとう。つけてみてもいい?」
「……貸してみ、俺つけたるわ」
さらりとした細いチェーンが、肌に触れる。金属特有のひやりとした感触。次いで金具を止める彼の指がうなじにあたり、どきりとした。
「お、ええやないか」
小夜の胸の中にちいさな波を起こしたことなどてんで気づかず、ファットガムが爽やかに笑む。
「めっちゃ似合うやん」
ありがとう、と返すと、ファットは満足そうにまた笑んだ。
そこから先はいつものとおりだ。彼は元気に「いただきます」と声を上げ、朝食にとりかかる。
「でもどうしたの? 朝起きるなりプレゼントをくれるなんて」
「いや、君かて朝イチでチョコのパン焼いてくれたやん。せやから俺もな、おんなじようにしたかったんや。他の野郎どもより先に」
最後の言葉の意味を図りかねて、首をかしげた。ファットは笑いながら続ける。
「君、会社で上司や同僚のみなさんに義理チョコ配ったやろ? いや、もちろんな、人間関係を円滑にするためやっちゅうんはわかっとるで。それはしゃあない。せやけども、せめていっちゃん最初にお返ししたろ思たんや」
「あのね、わたし職場ではチョコ配ってないよ。うちの会社、そういうの廃止になったから」
「え。そうなん?」
「うん、社内でのお中元とかお歳暮の受け渡しもぜーんぶ廃止」
「なんや、そやったんか。ほな、おまえがチョコ渡したんは、俺とうちの事務所の面子だけ?」
「一応、実家の父にも送ったけど」
さよかあ、と、ファットは嬉しそうに笑った。
そして彼は再び朝食にとりかかる。炊きたてのごはんとお味噌汁、おひたしにだし巻き卵、それから海苔と焼き魚。次から次へと食材が彼の胃袋の中に消えてゆく。
「太志郎さん」
「ンー?」
「もしかして、やきもち妬いてくれてたの?」
と、勢いよく朝食を平らげていた彼の手がとまった。
ファットは小夜の問いには応えず、咀嚼していた食材をごくりと飲み込む。次いでお茶を勢いよく干して、たん、と湯飲みをテーブルに置いた。
「ねえ、太志郎さん」
「いや、まァ……別にええやろ。そのへんは」
珍しく煮え切らないファットガムに、小夜はもう一度、ねえ、とたずねる。すると彼はイーッと白い歯を見せてから、照れくさそうに額をおさえた。
大きな手に隠された顔には、朱が昇っている。
「やきもち?」
「なんや小夜、おまえ今日しつこいで」
「そうかもしれないけど、これ逆の立場だったら、太志郎さんだってガンガン聞いてくるでしょ?」
うっ、と、呻きに似た声をあげ、ファットが額に手を当てたまま、口を大きくへの字に曲げた。
そしてそのまま数十秒、やがて、彼は口を開いた。
「………………せや……まァ……そういうこっちゃな……」
絞り出したような低く小さな呟きと、紅く染まった精悍な顔に伝う、いくつもの汗。いつもの丸い姿ではなく、筋肉質の今のだからこそそれがなおさらかわいく見えてしまって、ついつい口元が緩んでしまう。
「なんやおまえ、そないニヤニヤせんでもええやん」
「だって嬉しいんだもん」
同じやきもちでも、やましいこともないのに疑われたり、ネチネチと過ぎたことを蒸し返されるのは嫌なものだ。けれど、こういうかわいいやきもちは悪くない。
「……おまえ、飯食い終わったらむっちゃチューしたるからな。覚悟しとき」
「楽しみにしてる」
「……気ぃ変わった。今すぐするわ」
がたりと立ち上がったファットガムが、ひょいと小夜を抱き上げた。
「ごはん中。おぎょうぎ悪いよ」
「かまへん」
と、言われたときには、すでに逞しい腕に包まれている。
間髪おかず、髪に、頬に、額に、そして唇に、振ってきたのはキスの雨。
「ちょ……太志郎さん、お化粧落ちちゃう」
「あ、そか。君、今日仕事か……。ほな、続きは夜に、たっぷりな」
ちゅっ、と髪に口づけを落として、彼は再び自席に戻った。そしてファットは、またも朝食に取りかかる。
「太志郎さんの今日の予定は?」
「この身体やし、現場には出られへん。ひたすら食いつつ、溜まっとる事務仕事片付けてあがりやな。多分早よう終わる思うねん。夕飯は俺が作ったるわ。なんか食いたいモンあるか?」
ファットは食いしん坊の常として、料理がうまい。調理方法はシンプルな物が多いけれど、作ってくれるものはたいていおいしい。
けれどやっぱり彼に作ってもらうとしたら、あれできまりだ。
「たこ焼きがいいな」
「おう。せやったら世界一うまいの作ったるわ」
満面の笑みを浮かべたファットガムに、小夜は「楽しみにしてる」と微笑みを返した。
この季節特有の穏やかでやさしいひざしが、たっぷりと室内に降り注いでいる。きっと、本格的な春はもうすぐ。
心の底から「しあわせだな」と感じながら彼を見上げたその時、小夜の首元で、ソリティアのダイヤが小さく揺れた。
2022.3.14
daiさんのイラストを元に書かせていただいたファット夢。
「パン・オー・ショコラを召し上がれ」の続きになってます
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