満天星の夜

「こないな時間にすまんな」

 江洲羽の商店街を抜けた先にある月極のモータープールの前で、ファットガムがすまなさそうに眉をさげた。彼の事務所は繁華街の中にあるため、一方通行や車両通行止めの道も多い。だからファットガムは、自宅兼事務所にカースペースを設けず、事務所から少し離れたところに駐車場を借りている。

 時刻は午後八時半。たしかに付き合い始めのふたりが待ち合わせるには、やや遅い時間帯ではあった。それでも小夜は破顔する。付き合い始めだからこそ、会えるだけで幸せなのだ。

「いいえ。会えてうれしい」
「そら俺の台詞やぁ。来てくれておおきに。まあ、乗ったって」

 はい、と答えて、助手席に乗り込んだ。彼の愛車はメーターがたくさんついた、国産車の中でもっとも大きなSUV。色は彼のイメージカラーでもある黄色のメタリック。扉もタイヤも、そして車体も大きくて、ファットが乗るにはぴったりだ。

 初めてこの車に乗せてもらったのは、二週間ほど前のこと。一輪のひまわりの前で互いの気持ちを伝え合った、幸せで、夢のようだったあの日。

 ところが、その後まったく予定がかみ合わず、今日の今日までゆっくり会うことができなかった。一週間ほど前に一度会いはしたが、それはあくまでも仕事の上で、クライアントと営業という関係としての対面。当然、甘い雰囲気にはならなかった。
 つまり、今日がふたりの初めてのデートということになる。

「忙しいのに、誘ってくれてありがとう」
「今日は久々の早番やったんや。ちょっと前まで桜が咲いとったやろ?」

 ファットガムがエンジンをかけ、車をゆっくりと発進させる。やさしい彼らしい、丁寧な運転で。

「ここらは繁華街やから、桜はそうあらへんのやけど、夜十一時時を過ぎると、公園を追い出された花見帰りの連中が流れてくるんや。んで、みんな酔っ払いやろ? そうなるとまたいざこざが増えるっちゅうわけで、こんとこずっと夕方から朝方まで出ずっぱりでなぁ。桜が終わってやっと落ち着いてきたから、今日は早番にさせてもろたんや」
「連日、お疲れ様です」
「いやいや。付き合い始めだっちゅうに、ふつうの恋人同士がするようなことがなかなかできなくてすまんな。世間が浮かれる時期が、俺らのかき入れ時なんや。堪忍してな」

 来た時と同じように、彼はもう一度すまなさそうに眉を下げた。

「たぶん、ゴールデンウィークもそうなると思う」
「大丈夫ですよ。わかってますから」

 シフトレバーに置かれた大きな手の上にそっと自分の手を乗せて、そう告げた。
 ゴールデンウィークは観光客が増える。人が増えれば犯罪も増え、当然ファットガムの仕事も増える。この街で一番頼りにされているヒーローとつきあっているのだから、それは仕方がないことだ。

「それに、さっきも言ったけど、こうして会えるだけでうれしいの」
「ん……おおきに」

 すこし紅く染まった、ふくふくしたほっぺがかわいかった。照れくさそうに細められた、金がかった琥珀色の瞳もすてき。その上でふわふわと揺れる金いろの髪は、星の欠片を溶かしたみたい。
 お顔も体もまあるくもちもちしているのに、ステアリングやシフトレバーを握るその手はもちもちではなくごつごつしている。男性的な、大きな手。

 小夜はファットガムという人の、そういったすべてが大好きだ。もちろん丸い時だけでなく、低脂肪時の彼も。
 丸くても、がっちりしていても、想像しにくいがかりかりに痩せてしまったとしても、きっとわたしはこのひとのすべてを好ましく思うのだろう、と心の中で呟いた。

「出るのが今からやから帰り遅なってまうけど、ちゃんと家まで送ったるから、安心しとってな」

 信号待ちの合間にそう告げて、ファットガムがにこりと笑った。大好きなのは、こういう優しいところもだ。
 しみじみとそう思いながら小夜も微笑みを返したそのとき、ファットが思い出したように、せや、と呟いた。

「端末の充電があとちょっとやった」

 パーカーのポケットに手を突っ込んで、ファットが携帯端末を取り出した。と同時に、ぽろりとこぼれ落ちたのは、煙草の箱。

「あれ、太志郎さん。煙草吸ってたっけ?」
「ああ。それなあ」

 備え付けの充電器に端末をセットしながらそういらえ、ファットはほんの一瞬、気まずそうな顔をした。

「もともとはめったに吸ってへんかったんやけど、潜入捜査んとき、毎日パカパカやっとったら癖になってもうてな。や、いつもやないで。ごくたまにや」
「そうなんだ。もし吸いたかったら、いつでもどうぞ」
「や。ええて」

 と、そこでファットは言葉を切って、軽く片方の口角を上げた。

「チューしたとき煙草の味がするん、小夜は嫌やろ?」

 そうか、あたりまえの話かもしれないけど、煙草吸う人とのキスって煙草の味がするんだ。

「なん? 妙な顔して」
「煙草味のキスって想像しにくいな、って思っただけ」
「ほお」

 するとファットは少し考えるような表情をしてから、三百メートルほど先の路肩に車を止めて、窓を開けた。

「ほんなら、ちょっと一服」

 にか、と笑って、ファットが煙草を咥える。
 そして彼はポケットからライター――使い捨てではなく、ハードボイルド小説や映画に出てくるようなオイルライターだ――を取り出し、流れるようなしぐさで火をつけた。
 オイルライター特有の香りが鼻腔をくすぐり、続けて煙草のにおいが追いかけてくる。もともと煙草のにおいはそんなに好きではない。
 けれどいまの一連のしぐさと、煙草を吸うときの表情はかっこいいなとひそかに思った。

 ぼんやりと見とれている小夜の前で、ファットが紫煙を吐き出した。細く、そして長く。そして彼は身をかがめたかと思うと、小夜の唇をいきなり奪った。
 ふれあう唇と、まじりあう吐息。侵入してきた厚い舌は、いつもと違ってほろ苦い。からかうように口腔内をくるりと舐めて、やがてファットはゆっくりと小夜を解放した。

「ま、こんな感じやな」
「不意打ちは……ずるいです」

 あえぐように小夜は言った。それだけ言うのがやっとだった。見とれている隙を狙ってこんなことをするなんて、口から心臓が飛び出そうだ。
 気持ちを落ち着かせようと下を向いてゆっくり呼吸を繰り返していると、ファットガムが心配そうにこちらをのぞき込んできた。

「嫌やった? さっきのはフリや思てしてもうたんやけど」
「フリでも嫌でもなかったけど……」

 はあ、ともう一度深呼吸をして、小夜は続ける。

「不意打ちは……どきどきしちゃってだめだから……。もっとこう、するよーっていう雰囲気を出してもらわないと……」

 雰囲気かァ、とファットが笑い、ムード大事ですよ、と小夜がこたえる。するとファットは大きな手で小夜の頭をぐりぐりと撫で、かわいいなぁと呟いた。

「次から気ィつけるわ。で、どやった?」
「……ちょっと苦かった」
「せやろ。やから吸わんようにしよ思とんねん」

 きゅっと煙草をもみ消してにこっと笑う、心も体もおおきい彼。
 そんな彼に、キスしていいかと聞かれるのも恥ずかしいけれど、不意打ちもまた心臓に悪いだなんて言ってしまう自分は、ひどく面倒な女なのかもしれない。

「さ、いこか」

 そう言って、ファットは再び車を発進させた。いかつい外観には似合わぬ、滑らかな動きで。

***

 ファットが連れてきてくれたのは、道中にいくつもの展望台が設けられた山中のドライブウェイだった。なかでも鐘のある大きな展望台は、関西有数のデートスポットのひとつだ。
 ただし彼が車を止めたのは有名な展望台ではなく、築山の上にごくごく小さな見晴らし台がぽつんとあるだけの、狭い駐車場だった。平日の夜であるせいか、それとも場所ゆえか、ひとけは極端に少ない。それでも人出はゼロではなかった。駐車場には車が数台止まっていて、そこに十五人ほどの若者たちがたむろしている。

 山の中にある小さな駐車場だ。たしかに有名人が人目を忍んで逢瀬を重ねるにはちょうどいいかもしれない。それが標準的なサイズのひとであったなら。
 けれどBMIヒーロー・ファットガムの体格は、この個性社会においても規格外だ。人並み外れた体躯をもつ彼は、その体格ゆえにすぐ正体が知れてしまう。どこにいても。

「ファットやん!」
「いっしょにおる子、彼女かな」

 思った通り、そんな声がちらほらと流れてきた。ファットは慣れているのだろう。申し訳なさそうに頭を掻きながら、ぽつりと呟く。

「なんか、すまんな。落ちつかへんやろ」
「わたしは平気です。でも、太志郎さんは大丈夫?」
「なにが?」
「以前、わたしが江洲羽商店街で話しかけたときも、ちょっと困ってる感じだったので」
「や、あんとき俺が『まずいんちゃう?』言うたんは、俺らの関係がまだはっきりしとらんかったのと、君の写真を撮られそうやったからやで」

 と、そこまで告げて、ファットガムは軽く眉を潜めた。
 一瞬にして、丸い体の周りを剣呑な空気がまといつく。

「あかん、今もや。ちょお待っとって」

 低く告げ、ファットガムが大きな一歩を若者たちのグループに向けて踏み出した。よくみると、たしかに彼らはスマホをこちらに向けている。二週間前の江洲羽と同じだ。

「あんなぁ、君たち」

 にぱ、と笑って、ファットが若者たちに話しかけた。先ほどまで彼がまとっていた不穏な空気は、すでに雲散霧消している。一般人に私的な怒りを向けたりしない。けれど迷惑行為はさせない。このあたり、ファットらしいと小夜は思う。
 まさかファットガム本人が声をかけてくるとは思ってもいなかったのだろう。青年たちが、びくりと体を硬直させた。

「俺のことはなんぼ撮ってもええけど、彼女は一般の人なんや。写真撮んのはやめたってぇ」

 青年たちは一瞬顔を見合わせて、そしてちいさくうなずいた。

「はい。すみません」
「あの……ファットの写真は撮ってもいいんすか?」
「ええで。なんなら君らも一緒に撮ろうやないか。そのかわりと言うたらなんやけど、今撮った彼女の写真は消したってな」

 ハイ見せて、とファットが大きな手のひらを指しだした。

「ん。どれも顔は写っとらんみたいやけど、念のため消させてな」

 若者たちはそれぞれの端末をファットに見せながら、撮った写真を削除していく。それらすべてが終わると、ファットは満足そうに頷いて、みんな協力おおきになぁ、と笑った。

「小夜、悪いんやけど写真撮ってくれる?」

 はい、と、駆け寄り、若者から端末を二つあずかって、それぞれに三枚ずつ写真を撮った。すべてのショットでポーズや立ち位置を変えてあげるのだから、優しいというか、サービス精神旺盛というか。

「あまり上手じゃなくて申し訳ないんだけど、これでいいですか?」

 端末を見せながらそうたずねると、「いや充分です」と、青年たちは頭を下げた。

「お姉さん、ファットの彼女っすか?」
「かわいいっすね」
「せやろぉ」

 答えたのは、小夜ではなくファットだった。彼はにこやかに笑みながら続ける。

「最近付き合い始めたばっかりなんや。これからが勝負の、めっちゃ大事なときやねん。せやから、ちょお、そっとしといてな」
「ってことはまだヤってないんや」
「せやぁ。まだまだ清い仲やねん。ちゅうか、そゆこと女の子の前で言わんといてや。気まずなって、なんもできなくなってまうやん。そないなことになったら、ファットさんのファットさんが泣いてまうで」

 ファットがおどけながらそう告げると、青年たちの間からどっと笑いが起きた。

「ほな、自分らもあんまり遅くならんうちに帰るんやで」

 はーいと小学生のようないらえがあり、彼らは自分たちの車に乗り込んだ。と、赤のセダンに乗り込んだ青年の一人が、窓を開けて叫んだ。

「ファットーッ!」

 あぁん、と、ファットが首だけをねじ曲げ、青年たちのほうを見やる。

「今夜キメろよー!」

 あまり上品とは言えない叫びに、ファットガムはくるりと振り返ってガッツポーズを決めた。
 一般の人たちに対する時の彼は、たいていこうして、明るくファニーなファットガムというスタイルを貫き通す。ほんとうに、サービス精神旺盛とプロ意識が高いひと。

 青年たちが去ったあとの駐車場は、妙な静けさに包まれていた。ひとけのない山中の駐車場なのだから、静かで当たり前なのだけれど。
 あんなことを言われたせいだろうか、少し緊張してしまう。

「騒がしくてすまんな。小夜はああいうん苦手やろ」
「いいえ……最後、ちょっとリアクションに困るような言葉もありましたけど」
「あー……ははっ」

 正直に答えた小夜に、曖昧に笑いながらファットガムが手を差し出した。
 グローブみたいな分厚い、大きな手。この手が江洲羽の、いや大阪の人々の暮らしを守り支え続けている。その偉大なる手に、小夜は自分のてのひらを重ねた。

「ここな、しょぼく感じるかもしれへんけど、ほんま夜景はきれいやから」

 明るく告げたファットにうなずいて、共に小さな見晴らし台にむかった。見晴らし台は小さな築山の上にある。
 手をつないだまま、ゆっくりと土と木でできた階段を昇った。
 階段の脇に植えられたいくつもの低木。暗い植え込みの中に咲く小さな白い花が、夜空にまたたく小さな星々のように浮かび上がって見える。

「ドウダンツツジが咲いてますね」
「どれ?」
「そこの植え込みの、白いお花」
「ほお」
「かわいいでしょ。漢字にしたときの表記も素敵で、満天星って書いてドウダンって読むんですよ」
「満天の星って書いてドウダンって読むん? ぜんぜん要素ないのにおもろいな」

 それわたしも思った、と小夜は内心で呟いて説明を続けた。
 もともとは灯台躑躅と呼ばれていたものが訛ってドウダンになり、それに中国表記の「満天星」という文字を当てたと。

「はー、さよか。しかし君、よう知っとるな」
「高校時代の先生の受け売りです。ドウダンツツジって、枝ぶりがいいし溜めもきくから、枝ものとしていけばなでもよく使われるんです。でもわたしはお花も好きで。だってほら、なんだか儚げでかわいいでしょう?」
「せやなあ、でも君のほうがずっとかわいいわ。ほんでな、小夜」

 頬を染めながら、はいとこたえた。このひとは気障な口説き文句はあまり言わないけれど、こうしてストレートに褒めてくるから、いつもどきどきさせられてしまう。

「さっきから気になっとったんやけど、君、ちょいちょい敬語まじっとるで」
「……ごめんなさい。つい……」
「よぉし決めたで。次から敬語ひとつ使うたんびに、太志郎さんが君に熱いキッスしたるからな」
「戸外ですよ?」
「ここ誰もおらへんやん。それに俺ら、最初のキスかて外やったやんか。ハイ、まず一回」
「太志郎さん。ひとつおたずねしますけど」
「君、いまので二回になってもうたで」
「敬語使わなかったら、もう、キスしてくれないの?」

 え、、と呟いてファットが足を止めた。彼はまんまるの目をして、こちらを見つめたまま固まっている。大きなお顔も、暗がりでもわかるくらい真っ赤になって。

 かわいい、と小夜は思った。さんざんきわどいことを言うくせに、自分が言われると照れるのだから、なんだかおかしい。
 するとファットは、はっとしたような顔をして――おそらく我に返ったのだろう――すねたようにプイと横を向いた。

 ますますおかしくなってしまった。頼りがいのあるヒーローでありながら、このひとは存外、こういう子どもっぽいところもあるのだ。大阪の兄貴と呼ばれるファットガムの、豊満太志郎個人としての素顔。それを見せてくれたことがとても嬉しい。

「……そんなん、するに決まっとるやん」

 片方の眉をあげて、ちらりとこちらを横目で見やる、その表情がなんともいえずにかわいくて。

「そしたら、今の縛りには意味がなくなるのでは?」
「そらそうやけど……ああもう、こまいことはええねん。決めた。どっちにしろ、今日は帰るまでの間に死ぬほどチューしたるからな。覚悟しとき」
「はい」
「はい、て君……ほんまやで。ほんまにするで」
「太志郎さんだったらいいですよ」

 にこりと笑うと、「ほんまにこの子はもう!」という声とともに抱きしめられた。小夜もそれに応えて、分厚い腰に手を回す。

 かつて少女であった頃、まだ見ぬ恋人との抱擁を思い描いたことがある。相手は憧れの人であったり、当時好きだったアイドルであったり、外国の俳優であったり、いろいろだったけれど。その相手に抱きついて、伸ばした手が回りきらないなんて、それだけでなく背伸びしても彼の胸まで届かないなんて、想像もできなかった。

「もー、ほんま大好きやぁ」
「わたしだって、太志郎さんが大好き」

 それでも想像の中の相手より、ファットはずっとずっと優しく素敵なひとで。そんな彼とこうして両思いになれたなんて、実に実にしあわせなことだ。

「あの、小夜さん。いっこ質問があるんやけど」
「なに?」
「チューはいっぱいしてもエエちゅう話やけど、それ以上はどないやろか?」

 えっ、と小夜はファットを見上げた。これはまあ、言葉の通りの意味だろう。

「……それは……まだ……ちょっと早すぎるかな……」
「せや……せやな。ウン。早い早い。俺もそう思とったで。ただホラその……さっきの青年たちの激励もあったもんやさかい。そう、念のため、ほんま念のために聞いてみただけや。そないなこと、ほんのちょこっとしか考えとらんかったから」

 はははっと笑いながら大きな手で自身の顔をぱたぱた仰ぐファットガムを見上げながら、ちょこっとは考えていたのね、と小夜は内心で呟いた。

「ま、それはそれとして、ちょお持ち上げるで」
「きゃっ?」

 ぐいん、と、一瞬視界が揺れたと思った時にはもう、ファットの左腕に抱えられていた。
 立っているファットと、目線の高さがほぼ同じだ。さっきまで足をつけていた地面が、ずいぶんと遠く見える。地上二メートル半の景色って、こんなふうなんだ。

「ほな、あちらの方向をご覧下さい」
「すごい……」

 思わず、声を漏らした。前方に広がるのは大阪の街の光景だ。眠らない都会の灯りが、満天の星々のように浮かんでいる。

「せやろぉ。おっきな展望台で見るのと、そう変わらない景色なんや」
「すてき」
「ほんで次は、頭上をご覧下さい」

 え、と思いながら空を見上げた。
 そこに広がるは満天の星。漆黒の夜空にまき散らされた金と銀のきらめきは、宝石箱をひっくり返したかのようで。

「すごい、満天のお星さま!」
「そうなんや。市内の高層ビルからでも大阪の夜景は楽しめるんやけど、そこやと周りが明るすぎて、ここまで星がきれいに見えへんのや。ここやと星も街の夜景、両方いっぺんに楽しめてええやろ? 静かやし」
「空には満天の星で、見下ろした先には人工の星ね」
「お、忘れとった。そこにも満天の星があんで」

 ファットが指をさした先には、満天星と書くツツジの花があった。釣り鐘型の白い花たちが、風に踊るようにさらさらと揺れる。

「前からちょっと思ってたんだけど、太志郎さんって意外にロマンチスト?」
「男っちゅうんはな、多かれ少なかれみんなそうやで」

 ふふ、と笑って、甘えるように、彼の肩に頭を乗せた。

「小夜」

 耳孔に流し込まれたのは、常のように少ししゃがれた低い声。けれどそこには、どこか甘い響きが含まれて。
 なんとなく、なにを言われるのか予想がついた。そういうことは聞かないで欲しいと思ったが、さきほど不意打ちは困ると言ってしまった手前、これもしかたがないだろう。

「なあに?」
「いま、チューしてもええ?」

 やっぱり、と思いながらも、はい、と応えた。

 ゆっくりと近づいてくる、大きなお口と大きなお顔と、大きなおめめ。
 その向こうの空には自然が作りし壮大な金と銀のきらめきがあり、その下に広がるは人の手による星々と、足元にひっそりと咲く満天星の花。
 天と地にあるすべての星がふたりのこれからを祝福してくれているような、そんな幸せな気持ちになりながら、小夜は降りてきた彼の唇をうけとめた。

初出:2021.9.19

夢本「恋のつぼみ」に収録した書き下ろしの短編です

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月とうさぎ