手にしたケースの中に入っているのは、ファットガムの相棒のための試作品だ。これさえ通れば、あとは滞りなく進むはず。
「どうかOK出ますように」
祈りながら、ファットガム事務所のインターフォンを押した。応対したのはフードをかぶった相棒だった。促されるがままに、小夜は事務所の扉を開ける。
すると、常ならばファットガムが座しているはずの所長席で、見たことのないヒーローがたこ焼きを焼いているのが見えた。
背が高くがっしりとした体つきの、マスクごしでも造作が良いのがわかるほど整った顔立ちをした、若い男だった。
精悍なおもてのその上で、金色の髪がふわふわと揺れている。
自分より年齢は上に見えるけれど、新人ヒーローだろうか。男性的な色気も、野性味もある。あのルックスならすぐに女性ファンがつくだろう。どんな個性を持っているかはわからないが、せっかくの顔立ちや体型を活かせるようなコスチュームを作りたいなと小夜は思った。
目があった瞬間、男が小夜に向かって軽く手を上げた。おひさまのように破顔しながら。
新人のわりにずいぶんとフレンドリーなひとだなと思いながらも、小夜は名刺を取り出した。
「はじめまして。わたくし、ウィクトーリア社の湧水と申します」
すると、目の前の男が大きな目をますます大きく見開いた。背後で相棒たちがどっと笑い声を上げる。
「ちょお、待ってえ」
聞きおぼえのある、ハスキーな声。
「俺や、俺!」
男が自身を指さしながら叫んだ。
この声は――。
「流れでわかって。新入りがココ座って、たこ焼き食っとったらおかしいやろ」
言われてよく見てみれば、男性が着ているのはファットガムのヒーローコスチューム。
「もしかして……ファットガム……さん?」
「せや。ファットさんや。昨日ちょっとキツい任務があって痩せてもうたんよ」
小夜は大きく口を開けたまま、目の前の男を凝視した。大きくて丸い三白眼。白い歯を有する大きな口。ちょんとつまんだような、そう高くはないが形の良い、かわいい鼻。
ああ、たしかに面影がある。同じ人なのだから当然といえば当然なのだけれど。
それにしても驚いた。痩せたファットガムがイケメンであるとは聞いていたけれど、ここまでだとは思っていなかった。普段のファットガムは、かわいさが先に立っているから。
それに心なしか、手足まで長くなっているように見える。痩せただけなのに。
「コミットさん」
「お、知っててくれたんか」
「はい。弊社の切江から聞いて」
「キリエちゃんかぁ」
結果にコミットしたファットガムが、軽く目を細めた。小夜の心がまたざわめく。彼の口から別の女性の名前が出ただけで、こんなに心がささくれてしまうなんて、自分はどうしてしまったんだろう。
「ファットガムさんだと気づけず、申し訳ありませんでした」
「ええねん。初めて見た人はみんなそうや。で、君、今日はアレやろ、相棒の新スーツ」
「はい。試作品ができましたのでお持ちしました」
どれ、と黒衣の相棒が立ち上がり、試作品を手に取った。彼はしばらくスーツを矯めつ眇めつしていたが、やがてパーテーションの向こうへと姿を消した。
数分して出てきた彼は、新たなスーツにその痩身を包んでいる。そうして彼は、満足そうにうなずいた。
「……うん。ええんちゃうかな」
負っていた大きな荷物を背から下ろせた瞬間だった。
心の中で安堵の息をついてから、ではこちらで進めさせていただきますと告げると、返ってきたのはよろしくという明るいいらえ。
この間、痩せたファットガム――コミットさん――はずっとたこ焼きを食べ続けている。ゆうに50個のたこ焼きが、彼のお腹の中に消えたはずだ。
小夜の視線に気づいたのか、ファットガムが金がかった琥珀の瞳を細めて笑った。
「来てもらっとるのにずっと食っとって悪いなぁ。体重戻すために、ぎょうさん食べなあかんねん」
「ちゃうんちゃう?」
と、黒衣の相棒が面白そうに片方の口角を上げた。
「湧水さんがガン見しとるの、ファットがずっと食っとるからやのうて、かっこええからやんなあ」
「せやなあ。さっきからずっと視線はずされへんやん。見てるこっちが照れくさくなるくらいやわ」
「せやの?」
相棒たちの言葉に、口に青のりをつけたファットガムが小夜に向かって身を乗り出した。
「いや、そうじゃなくてですね……」
「ちゃうの?」
否定に入った小夜の言を受け、ファットガムが大げさに肩を落とした。
その余りに落胆した様子に、小夜は慌てて言葉を紡ぐ。
「そうではなくてですね、ファットガムさんはいつでもカッコいいですよ。今のお姿だけじゃなくて、普段から素敵で……」
何言ってるの、と、小夜は自分で自分に突っ込んだ。慌てすぎて建前ではなく本音のほうを話してしまった。
自分の口から出た言葉をかき集めて飲み込んでしまいたい気分だったが、もちろんそんなことができるはずもない。かといって、今さら訂正するのも失礼だ。
それにたぶん、自分はいま真っ赤な顔をしているだろう。これではごまかしようがない。それでもどうか、セールストークの一つとして聞き流してもらえないだろうか、と思いながらおそるおそるファットガムの顔を眺める。すると彼もまた小夜と同じように、顔を真っ赤に染めていた。焼けたたこ焼きを持ったまま。
「そら……おおきに」
この場をどうつなげばいいかわからず、小夜は立ち尽くしてしまった。
デザイン画の時もそうだったが、この事務所で小夜が困惑するようなことがおきたとき、さりげなく助けてくれるのはいつもファットガムだった。だがいまは当の彼が赤面したまま凝立している。小夜と同じように、言葉を探しているようにも見えた。
「ところで湧水さん、このあと予定は?」
救ってくれたのは、黒衣の相棒の声だった。ほっとしながら小夜は答える。
「特には。社には戻らず直帰するつもりでした」
「それやったら、体重戻すためにファットがどんだけ食うか、一度その目で見とってもええんちゃう? 今後の参考になるかもしれへんし」
「そういったデータも、とっておいたほうがいいでしょうか」
「もしかしたらなんかの時に使えるんちゃう? なあファット」
「お? ……おお……そうやな……今までとったことあらへんけども、そういうんがあってもええかもしれんな……知らんけど」
「はい。ではそのように。どちらかお店をお取りしたほうがよろしいでしょうか?」
「平太でええんちゃう? あそこのじいさんらはコミット知っとるから話早いし。ついでやから、俺今からで予約とっときますわ」
「すまんなぁ」
と、相棒に告げてから、ファットガムが小夜に向き直る。
「小夜ちゃん、俺、家に戻って私服に着替えてくるから、ちょお待っとってもらえる?」
「はい、お近くなんですか?」
「ああ。俺んちここの上なんや。中でつながってはいないんやけど」
そうなんだ、この上に。
ファットガムのプライベートな情報をひとつ知ってしまったことを心ひそかに喜びながら、小夜は「待ってます」とちいさく答えた。
***
お店には、本日貸し切りの札が下げられていた。
「これな、俺がこの姿の時に下がる札なんや。ほんまの貸し切りは縁に色がないんやけど、縁が黄色いやろ。これ常連さんだけがわかる目印なんや。この黄色い縁の貸し切り札がさがっとる時は、事情知っとる常連だけが入れてもらえる。ま、だいたいは江洲羽商店街の消防団のみなさんや」
消防団とは地元の人たちで構成された、街の自警団のようなものだ。彼らは火事や災害時に警察や消防署と連携して活動する。
すでに都会ではなくなっているものと思われがちだが、実はそうとは言い切れない。新興住宅地などではあまりみられなくなったこのシステムは、古くから住まう者も多い街では大都会の中でも――たとえば東京の浅草や銀座など――未だに残っていたりする。
「ぼん、揚げ物はいつもの倍。たこ焼きは3倍。飲みもんはビール」
「ん。おねえさんは?」
「生中で。揚げ物は……」
「ふたりだけやし、俺の頼んだ皿から適当にとったらええんちゃう? ぼんもそのほうが楽やろ」
たしかにその通りだ。小夜は自分が食べた分を覚えておけばいい。
とりあえず今は、と、ファットのオーダーをメモしようとしたところを、大きな手に遮られた。
「メモとるんも大変やろ。会計のあと、レシートの写真撮っとけばええんちゃうか?」
「あ、そうですね」
「ん」
柔らかく笑んだファットガムは、オフホワイトのプルオーバーとカーキのカーゴパンツを身につけている。今は脱いで椅子の横にまとめられている上着は、イエローオーカーのマウンテンパーカーだ。足元はごつめのブーツ、そしてしっかりした左手首には、大ぶりのクロノグラフ。
ごく普通のカジュアルファッション。
なのに、その気負わない感じが逆にかっこよくみえる。それに今のファットガムは目元のマスクをはずしているので、普段は隠れている眉が見えるのが新鮮だった。ただそれだけのことなのに、マスクをしているときよりも、少し若い印象を受ける。
ビールはすぐに運ばれてきた。ファットガムのジョッキはいつもと同じ、小夜の頭がすっぽり入ってしまいそうな特大サイズだ。
「そういや、小夜ちゃんとサシ飲みするんは二度目やな」
「そうですね」
「どや、今日は怖ない?」
「はい。ファットガムさんとなら大丈夫です」
「え〜、ファットさんかて男の子なんですけど〜」
不服そうにふくれた、その顔がかわいい。
「わかってますよ」
「ほんまかいな」
「ホントですって」
「ん。そんならそれでええわ。ほんじゃ、せっかくやし今日はちょっとした自己紹介でもやってみましょか」
「はい?」
あまりにも唐突な発言に目を丸くすると、ファットガムがいたずらっぽく笑った。
「ただ俺が食うとるとこ見とってもつまらんやろ。よう考えたら俺らお互いのことあんま知らんし、これから円滑に仕事するためにやってみてもええんちゃう?」
「そうですね」
小夜にしてみれば願ってもない提案だ。だって、本人の口からファットガムの話が聞ける。
「そんなら俺から行くで。ぼくはファットガムいいます。本名、豊満太志郎。8月8日生まれの二十八歳、獅子座のO型や。身長はそん時によるけどだいたい250センチくらい。趣味は飯を食うことで特技はぎょうさん飯を食うこと。ハイ次、小夜ちゃんどうぞ」
「湧水小夜です。誕生日は……」
勢いに乗って趣味と特技まで語り、一息ついたころ、第一陣の串カツが大皿に盛られて運ばれてきた。
「じゃ、食べながら話そか」
そこから先は圧巻だった。
数本の串をガッと持ったかと思えば、次の瞬間にはもう、カツは彼の口の中に消えている。肉付きのいいときと同じように、いやそれ以上のスピードで、目の前から食材が消えていった。
しかも、その合間合間にビールを流し込み、同時に語りを入れてくるのだから本当にすごい。次々に運ばれてくる串カツとビールを口にしつつ、ふたりで交互に自分のことについてを語った。小夜は彼の言葉を心のメモに刻み付ける。
例えばたこ焼きが好きで毎日でも食べていられること。
高校の文化祭でたこ焼き屋をやったら大当たりしたこと。
地元出身のアーティストが好きで、カラオケで歌うのもほぼそのアーティストの曲だということ。
食べるのも好きだがお酒も好きで、洋酒もビールも日本酒も焼酎も、どれもすべていけること。
かっちりした服装よりも、カジュアルなファッションが好きなこと。
インダイヤルやタキメーターがついた時計になぜか男のロマンを感じ、スポーティーなデザインのクロノグラフをついつい集めてしまうこと。
チョコレートプレッツェルのCMでブレイクした女優さんのファンであること。
今の姿のほうが女性受けするけれど、いつもの姿も好きなこと。
知り得たファットに関する情報は、宝石のようにきらめきながら小夜の心の奥底に蓄積されていく。
「ほんで、好きなタイプの女性はやや童顔で頑張り屋のかわいいひとでえす」
たとえが具体的なのでどきりとした。誰か特定の人物の話をしているのだろうか。
「次、小夜ちゃんやで。ハイ、好きなタイプは?」
「やさしいひとですね」
さすがにあなたですとは言えなくて、無難な答えを選んだ。けれど嘘はついていない。ファットガムがやさしいことには変わりない。
すると彼はにこっと笑って、自分のことを指さした。見慣れない姿のせいだろうか、いつものファットガムと同じひとのはずなのに、ちょっとした仕草にいちいちどきどきしてしまう。
「ファットさんもやさしいで。一応高身長高収入の優良物件なんやけど、どやろか?」
心臓が大きく跳ね上がった。
もちろん、今の言葉は場を和ませるための冗談だろう。わかっている。わかっているけれど、それでもこの冗談に乗っかる形でよろしくお願いしますと言ったなら、このひとはいったいなんと答えるだろうか。
慌てるだろうか、困るだろうか、なんでもないというふうに微笑んで流すだろうか、それとも――。
「よ……」
精一杯の勇気をふりしぼり返答しようとしたそのとき、ファットガムの携帯端末が鳴り響いた。ヒーローはその職業の特殊性から、来た連絡を見落とさぬよう店内でもマナーモードにしていないことが多い。
「……電話ですね」
「……せやな……」
「どうぞ。出てください」
「ん」
ファットが大きく息をついて、自身の端末を取り出した。画面を確認した彼は、眉根を寄せて立ち上がる。
「お仕事の電話や。ちょお待っとって」
ファットガムが端末を手に開き戸を開ける。そのがっしりとした大きな背中を見送って、小夜は自分のジョッキを手に取った。
いま、あの電話がかかってこなければ、いったいどうなっていただろう。
小夜はひとり、問いかける。
どうもこうもないだろう。酒の席の冗談だ。
己で出した答えはしごくまっとうで、そして同時に悲しいもので。
自分の頭の中でくらい幸せな想像をすればよかったな、と思いながら、ジョッキに残された四分の一ほどのビールを静かに飲み干す。
爽やかなのどごしと軽い苦みが美味しいはずの飲料がなぜかいつもよりほろ苦く感じ、小夜は小さく細く、ため息をついた。
2020.4.10
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