「ヒーローをやめないペナルティとして、わたしに似合う香水を選んで買ってきて」
それがくるみが私に下した指令だった。
アレ? 君は私を守ってくれるんじゃなかったのかい?
第一、ヒーローをやめないペナルティってなんだ?
日本語としてもおかしいし、だいいち意味がわからない。
相変わらず、私の可愛い小悪魔は無茶ぶりをする。
「元カノと同じ香りなんかだめだからね」
言われなくても昔の恋人と同じ香りを選ぶ気なんかさらさらないよ、ハニー。
だけどね、女性の香水なんてよくわからない。
逆に詳しかったら気持ち悪いだろ。
しかし適当に選んだりしたらきっとくるみに気づかれる。そしたら絶対怒るよな。
ああ、なんであんなわがままで面倒な女を好きになってしまったんだ私は。
……そんな一筋縄ではいかないところに惹かれたんだよね、うん。
というわけで、私は今、デパートの香水コーナーにいる。
ありがたいことに男性販売員が出迎えてくれた。
さすがの私も化粧品フロアのアウェー感には弱いんだ。同性がいると心強い。
そして件の男性販売員はさすがにプロだ。くるみの年齢と雰囲気を告げると、すぐにいくつかのボトルを用意してくれた。
目の前に並ぶ香水は、どれも若い娘に合うような爽やかで可愛い香りだ。
ウーム、可愛いんだけど、個人的にはもう少しひねりのある香りが好きだし、私の思うくるみは正直もっと癖がある。
もう少し毒が欲しいところだ。
そういえば毒と言えば、かつて一世を風靡した香りがあった。
私でも知っているくらい有名なその香水は、フランス語で「毒」という。本当に大胆で濃厚な香りだった。チュベローズにコリアンダー等のスパイスが混じった、肉感的でセクシーな香水。
妖艶な大人の女なら似合いそうだが、残念ながらくるみにはまだ早い。
若向けでももう少し毒のある香りはないかいと男性販売員にたずねると、「毒」の系統を継いだフレグランスがあると教えてくれた。早速ムエットを試してみる。
「ン、いいね」
ジャスミンとマンダリンオレンジが爽やかに香る中に混じる微かな苦み。透明感があるのにどこか魅惑的。爽やかな純粋さとスパイシーな奔放さが同居する香り。
これだと思った。
くるみのイメージにぴったりだ。その名も純粋な毒。
メゾンブランドのフレグランスだけあって、ボトルのデザインすらも美しい。パールホワイトをベースにしたオーロラカラーと、林檎を思わせるコロンとしたフォルムが秀逸だ。
例えて言うならそうだな、白雪姫の毒林檎。
うん、これに決定だ。
***
「まぁるくてかわいい」
ボトルは気に入ってもらえたようだ。
香りは……なんかちょっと濃いとかぶつぶつ言ってるな。
それを横目で見ながらカッシーナのソファーに腰かける。
変化がない爽やかで軽い香りなんて君には似合わないからね、悪いけど。
それでも苦手な系統ではないようで、くるみは先日雑誌で見たらしい香水のつけ方を実践していた。
まずはコットンに1プッシュ。
香水のついたコットンを、身体のいろんな場所に押さえるようにして香りを移していく。
一通りつけて満足したのか、くるみが私の隣に腰を下ろした。
「ね、マイトさん。香水はどこにつけるか知ってる?」
「え? 脈打つところとか、濃い香りだと下半身とかだろ?」
「キスしてほしいところにつけるのよ」
ああ、ココ・シャネルね。
それにしても明るいうちから大胆な。それもメイク系雑誌とやらに載っていたのかい?
「あとね、こないだ雑誌で見たんだけど」
と、いきなりくるみが私の手を取った。相変わらず私のハニーは唐突だ。
「こんなのどう?」
ちゅ、と、いきなりくるみが私の中指に口づけた。
たどたどしくも初々しく、柔らかい舌が指の先端を舐めまわす。
ぞくりと背筋が震えた。くるみの顔を見下ろすと挑発するような眼差しとぶつかる。思わずごくりと生唾を飲んだ。
いったいどんな雑誌を読んでるんだ、ハニー。余計な情報を仕入れてくるんじゃないよ。
そんなふうにされたら、似て異なるもっと淫靡なことを連想してしまうじゃないか。
だがしかし、くるみのやり方は少々拙い。
私の小悪魔は毒があるけどまだまだ初心だ。
どうせならもう少しがっつり銜え込んで、舌でねっとりとこねるようにしゃぶるといい。
先端だけなめられていた指を、そっと第二関節まで押し込んで、指の腹で上あごの裏を愛撫してやる。
「ふあ……っ」
おいおい、誘惑する側が感じてちゃ世話ないぞ。
くるみの目元が朱に染まっていく。
だめだって、その眼は反則だ。
その気になるよ。イヤ、もうなってるけど。
ああそうか、君はかまってほしかったのか。
夜間の活動要請が続いたせいで、あっちも最近ご無沙汰だ。
ペナルティって、もしかしてそこ?
あのね、そういうことはちゃんと言わなきゃわからないんだよ、ハニー。
君はどうでもいいところではぐいぐいくるけど、大事なところで一歩引く。逆なんだよな。甘えたいなら甘えていいんだ。
くるみ、君はいつもそうだ。
一人で怒って、一人で悩んで、一人で泣いて。
ああ、なんでこんなに面倒くさいんだろうね、私の可愛い小悪魔は。
たどたどしい舌遣いでしゃぶり続けるくるみの口から指を引き抜き、うなじにそっと手を添える。
そのままぐっと引き寄せて口づけた。小さくて柔らかな舌を思う存分堪能する。
「ここ、君好きだよね」
「んっ」
囁いてから耳たぶを甘噛みすると、甘い声がもれた。
そのまま耳からうなじにそっと舌を這わせると、切ないくらい愛らしい声がまた一つ。
唇を寄せた部位から漂うオレンジとジャスミン、そして密かな白檀。
なるほど、今日はかわいがって欲しいところからこの香りがしてくると、そういうわけだ。
今日は少し体力に余裕があるんだ。
一息にマッスルになって、ひょいとくるみを抱き上げた。
「……まだ明るいからいや……夜まで待って」
「NO! 待たない!」
その気にさせたのは君だろう? きっちり責任は取ってもらうよ。
そのままベッドまで直行して、そっとくるみを横たえる。
「……だめだもん」
だもんが出たら甘えたいしるし。それは私も学習した。
だからもう、ね、黙りなさい、ハニー。
制止される前にまた唇をふさぐ。その隙間から漏れ出る声ですら愛しい。
メディアでいろいろ情報を仕入れているみたいだが、君はまだまだ初心者だ。
普段の生活ではやられっぱなしだけどね、ここから先は私のターン。
主導権は譲ってもらうよ。私がすべて教え込む。
耳元から鎖骨まで唇を寄せ、香りを堪能する。
トップノートのジャスミンが消え、ミドルのガーデニアが華やかに主張し始めた。
無垢のようでいて、たまらなく悩ましい。
この香りのキャッチコピーは、まったく君そのものだ。
純粋さの中に潜む一滴の毒、それが君。
一度それを味わったらもう二度と手放せやしない。
中毒性の強い、私の小悪魔。
2015.3.21