poisson d'avril

 うららかに晴れた昼下がり、いきなり私の小悪魔が言った。

「だいきらい」

 は?
 えと……私、何かした?

 私の可愛いくるみは何もなくても怒るけど、そっちはちゃんと満たしてる……はず。

「マイトさんとなんか出かけたくない」

 何言ってんの?

「夜桜なんか見ない」

 ぷうと頬をふくらませて、くるみがカレンダーを指差す。

 あ、うん。今日はアレだな、エイプリルフール。
 ……あー、そういうこと。
 小さい子がやる、反対言葉ってやつ。

 いったい君はいくつだい?
 第一エイプリルフールって、そういうものじゃあないだろう?
 でもつきあわないと、君はすぐヘソを曲げるんだ。

「あー、そうだね。私も君が嫌いだし、絶対君とは出かけたくない」

 えっ、ちょっと待って。どうして泣くの?
 自分は良くて、私が言うのはダメなわけ?

 あーもう、どうして君はそうなんだ。
 私の小悪魔は本当に面倒臭い。

「じゃああとで夜桜でも見にいこうか」

 そう言った途端に満面の笑み。

 だが、どこにしよう。
 私の大事な小悪魔は、桜の下でどんちゃん騒ぎみたいなのはお気に召さない。
 毛利庭園の桜も綺麗なんだけど、あれは毎日見てるしなぁ。
 どこかないか?
 人が多いのは仕方ないとして、あまり騒々しくない、それなりに桜を楽しめる場所。
 少し考えて、いい場所を一つ思い出した。

***

 千鳥ヶ淵緑道は、700メートルほどの遊歩道だ。
 頭上を囲むように咲き乱れる桜の花は、さながら薄桃色のトンネル。儚い小さな花々が夜空をバックにゆらゆら揺れている。
 淵の向こうでは水面に枝を伸ばす見事な桜が、いくつものLEDに照らされて咲き誇っていた。

 うん、人は多いが、こういうのも悪くない。
 君と手をつないで桜のトンネルの中を歩く、本当に些細な幸せ。

「あのね、だいきらい」

 ニコニコしながらくるみが言う。

 あのさ、それ、もうやめない?
 反対言葉だとわかっていても、言われる方は少しだけ傷つくんだぜ。
 この償いは寝室でしてもらうからね。覚悟しておきなよ。

 そう告げると、遠慮などしないくるみは私の左のあばら辺りをばしばし叩く。

 痛い痛い。そこはやめて、痛いから。

 そして吐血しそうな私を見上げながら、可愛い小悪魔がすがるような目でこう言った。

「ヒーローなんかやめて」
 
 ぎくりと体が強張った。
 目線を合わせようと、思わず身体を大きく屈める。

「ごめ……」

 謝罪の言葉を紡ごうとする私の唇を、小さな手がそっと抑えた。
 ふるふると首を横に振りながら、可愛いくるみが続ける。

「だいきらい」
「桜なんか咲いてない」
「今日は全然楽しくない」

 だから……ね、と泣きそうな顔で微笑まれた。

 たくさん織り交ぜられた嘘の中の、あれはたった一つの本音だ。

 すまない、私はきっと死ぬまでヒーローだ。そして私がそう思っていることを、おそらく君は知っている。

 ごめん。心配ばかりかけて。
 ありがとう。こんな私を支えてくれて。
 
「愛してる」

 だから謝罪の代わりに、そっと耳元で囁いた。
 君は小さく笑って私の腕にしがみつく。

 春の夜はまだまだ冷える。
 二人そっと寄り添いながら、触れている部分のぬくもりを共有する。
 ほんのわずかな、あたたかい幸せ。


2015.4.1
月とうさぎ