玄関チャイムを押した私の上に返ってきたのは、そんな彼女の声だった。
扉から顔を出したのは、黒のドレスに身を包んだ小悪魔ならぬ可愛い魔女だ。
「なんだ、マイトさんか」
「なんだじゃないよ、どうしたんだい? それ」
「ああこれ? さっき下の階のひとたちに会ったの。後でお子さんたちが来るっていうから……せっかくだからわたしも魔女になってみようかなと思って」
なるほど、ハロウィンか。
しかし、ハロウィンがキリスト教の正式なお祭りではなくケルト人由来のものであることや、使われている野菜が最初はかぼちゃではなくカブであったことなどを知っている日本人が、いったいどれだけいるだろう。
我が国は、そのイベントの持つもともとの趣旨から微妙に外れて発展している部分がある。クリスマス然り、バレンタイン然り。
各業界に踊らされているというか。なんというか。
そう内心で嘆きながら、私は魔女を見おろした。
その仮装、今日思いついてできるもんじゃないだろ?
絶対、前々から準備してただろ?
それにしても、可愛い服が大好きな彼女のこういう格好は珍しい。
まず、黒のロングドレスがいつになく大人っぽくていい。
袖口とスカートには蜘蛛の巣柄のレースがあしらわれ、大きく開いた胸元からは真っ赤なビスチェが顔をだす。
長い丈のスカート部分に深く入ったスリットはレースとチュールで装飾されて、動くたびにそこから白い脚がちらちらのぞく。
まいったな。男はこういうチラリズムに、とことん弱い生き物なんだぜ。
さっきの言葉は訂正しよう。
この際、行事の趣旨なんかどうだっていい。
ハロウィン最高。コスプレ最高。各業界さん、ありがとう。
靴も脱がずに魔女を抱きしめ、キスを落とした。魔女はうふふと小さく笑う。
このままベッドまで運んでしまいたいという欲がむくりと起き上がったその時、無粋な呼び鈴がピンポンと鳴った。
扉の外から聞こえてくるのは、元気すぎる子供たちの声。
我が家の魔女が満面の笑みで、扉を開ける。
予想通り、飛び込んできたのは子供たちの元気な顔だった。
かわいい狼男とドラキュラと、ジャック・オー・ランタンと西洋風の化け猫と。
「あっ、ハロウィン街の王がいる!」
子供の一人が私を見上げてそう叫んだ。
おいおい、ハロウィン街の王って私のことかい?
ハロウィンの王ってあれだろ。かの有名なアニメーション映画に出てくる、手足の長い骸骨紳士。
そういえば、今日の私のスーツは黒だ。
まあ、確かにね、私痩せてて背が高いから、似ていなくもないんだろうな、あの骸骨に。
心の中で苦笑する。この姿でいる時に子供に囲まれるのは、珍しいことだ。これもハロウィンならではだろう。
「おじさんは仮装しなくても、ハロウィン街の英雄になれるからいいな」
「……ありがとう」
「おじさん、近くで見ると超でけー!」
「手もでけー! すげえ!!」
「手足なげー! こええ!!」
なすすべもなく苦い笑いを浮かべていると、オレンジ色のパッケージのお菓子を手にした我が家の魔女が、子供たちに声をかけた。
「はい、お菓子。ハッピーハロウィン!」
嬉しげにお菓子を配る彼女と、満面の笑みを浮かべてお菓子を受け取る子供たち。
悪くない光景だ。日常に潜む幸せってこういうことか。……うちに子供は、まだ早いかな。
「ありがとうございます」
急に大人の女性の声がしたので、そちらの方に視線を動かした。子供たちから少し離れた先に、母親らしき女性たちの姿がある。
我が家の魔女がそれに「いいえ、お子さんたち、可愛いですから」とにこやかに応じていた。
少々お堅い話をさせてもらえば、同じマンション内であっても、こうして親が一緒に回るというのは正解なのだ。子供を狙う変質者やヴィランは、どこに潜んでいるかわからない。
ハロウィンの日に子供が犠牲になった悲惨な事件も、少なくはないのだから。
***
笑顔で子供たちを見送ったあと、可愛い魔女にもう一度唇を落としてから家の中入った。
ダイニングテーブルで待ち受けていたのは、黄色とオレンジの食材だ。
「今日はハロウィンメニューにしたの。かぼちゃのシチューにかぼちゃのパイにかぼちゃのパンにかぼちゃのサラダ」
ああ……と、私は心の中で今度は大きな溜息をつく。
ココアで顔を描いたであろうパンや、ハート形の野菜が入ったシチューは本当に手がかかっていて可愛いけれど、見事にかぼちゃばっかりだ。
私の可愛い魔女は、普段は栄養バランスのとれた食事を作ってくれるのに、イベントごとになるとどうしてこうなってしまうのか。
気を取り直して、私は脱いだ上着をハンガーにかけた。
ネクタイを緩めながら、魔女との間合いをゆっくり詰めていく。
「ね、君は私にさっき言ったね。お菓子をくれなきゃいたずらするぞって」
「……言ったけど」
魔女が察して一歩下がった。私は歩を進めて、壁際に彼女を追いつめる。
逃がさないよ。
なんたって私は、ハロウィン街どころかこの国一のヒーローだからね。
「悪いけど、私には君にあげるお菓子がないんだ。仕方ないからいたずらをしてもらおうかな」
ひょいと抱き上げ囁くと、魔女は耳まで真っ赤になった。
「意味はもちろん分かっているよね」
「マイトさんずるい。いつもわたしがやり込められてばっかり」
「そりゃこっちの台詞だ。やられっぱなしなのは私の方だろ。だからね、こっち方面くらいは私にリードさせてもらわないとな」
「でも、そういうのはあとにして。せっかく作ったご飯が覚めちゃう」
くるみがぷううとふくれながら睨み付けてきた。
怒るとふくれる君は、鑑賞用の小さなフグによく似ている。
けれど私は、君のそういうところに弱いんだ。
「わかったよ。先に食事にしよう」
肩をすくめてそう答えると、可愛い魔女はにっこりほほ笑む。
「マイトさん、なんだか嬉しそう」
「そうかい?」
そりゃそうだろう。このあとはお楽しみがたくさんあるんだ。
私は彼女に笑みを返した。
子供たちは「お菓子をくれなきゃいたずらするぞ」だろうがね、ハロウィン街の王である私の場合は「君をくれなきゃ食べちゃうぞ」だよ。
そう。いずれにせよ、君は私に食べられてしまう運命だ。それを今夜はたっぷり教えてあげるから。
かぼちゃ料理はテーブルで。
私にとってのメインディッシュはベッドの上で、時間をかけていただくよ。
「いただきます」
胸の前で両手を合わせて、私はまずかぼちゃたちを攻略すべく、行動を開始した。
2015.10.31
2015 ハロウィンによせて