「クリスマスに愛する人から送られたい花、第一位はダズンローズです」
懐かしい。
ダズンローズ、それは砂糖菓子のように甘い夢。
それにしてもなぜクリスマスにダズンローズなのだろう。
「本来は古代ヨーロッパの求婚の儀式の一つであったのですが、花一輪ずつにも意味があり、それに憧れて記念日にダズンローズを欲しがる女性が増えているようです」
好感度ナンバーワンのアナウンサーが、笑顔のままでそう言った。
たしかにダズンローズには、一輪ずつに意味がある。
感謝、誠実、幸福、信頼、希望、愛情、情熱、真実、尊敬、栄光、努力、永遠……だっただろうか。
ダズンローズに憧れていたのはそんなに遠い日のことではないのに、ひどく懐かしい気分になる。
夢と憧れが去った後に残されたのは、幸せな日常だった。
だが時に、愛は日常に流されていく。
そして安らかな日常の中には、倦怠感と孤独が潜んでいた。
オールマイトは本当に多忙な人だった。
クリスマスイブの昨夜も、マイトさんは日付が変わってから帰宅した。つまりは今日だ。
年の瀬は犯罪が増える。だからこそ、『オールマイト』はいろんな場所に姿を現し、その存在をアピールする。存在そのものが犯罪の抑止力になるからだ。
だが活動時間が限られているマイトさんにとって、あの姿を維持し続けるだけでかなり疲弊したことだろう。あちらこちらに出没するヴィランを倒しながらなのだから尚更に。
一日の活動限界を大きく超え、ふらふらになってベッドまでたどり着いた彼は、シャワーも浴びずに眠ってしまった。
こんなことは日常茶飯事だ。
帰宅が深夜を回ることなんて珍しくない。やっと帰ってきたかと思えば、出動要請でまたいなくなる。そんな日々の繰り返し。
限界ギリギリまで『オールマイト』は自分の体を痛めつけ、活動を続ける。
あの夏の日に、ダズンローズをマイトさんに手渡したあの日に、すべてを共に背負っていこうと覚悟したはずだった。
だが……ボロボロになり日々衰えていくマイトさんを見るのは、覚悟の上でもつらかった。
今朝も『オールマイト』は早くに家を出た。地方でのチャリティイベントに参加するために。
この街はいつも賑やかだ。
六本木が一望できる自宅からは、発光ダイオードで彩られた華やかなイルミネーションがよく見える。
幸せな人々が集うきらびやかなこの街で、この聖なる一日を一人で過ごすということがどれほど寂しいことなのか、誰かに分かってもらえるだろうか。
群衆の中にいるからこそ、孤独が際立つ。
幸せな日常を、黒い孤独感が侵食してゆく。
テレビの画面が、情報番組から騒々しいバラエティに変わった。
なんとなく物悲しくなって、わたしはテレビを消した。
どうせどこの局も、バラエティか幸せ家族ものか、恋人たち向けのクリスマス番組ばかりだろう。
寂しい夜に見る幸せなテレビ番組は、物悲しさを増幅させる。
***
がちゃん、という、鉄製の扉が閉まる重たい音で目が覚めた。
慌てて時計を見ると、時刻は十一時四十五分。
いつのまにかテーブルで転寝をしていたらしい。あと十五分で時刻が変わる。今年のクリスマスも、もう終わり。
疲労して帰宅したであろう愛する人をねぎらうために、わたしは立ち上がる。
「ただいま」
「おかえりなさい」
「うん」
「お腹すいてる? なにか食べる?」
「食事はすませてきたけど、小腹が空いちゃったな。軽くつまめる物はあるかい?」
「簡単なカナッペならすぐ用意できるけど」
「ありがとう」
そう言ったままコートも脱がず、マイトさんはわたしを見おろしている。
よく見ると、後ろ手に何かを持っている。なんだろう。
「ねえ、くるみ」
「なに?」
「私の希望であり」
「へっ?」
言葉と共に差し出されたのは、ピンク色の薔薇の花だった。
「光である君が」
また差し出される一本の薔薇。
「私のためにしてくれている努力に」
また、薔薇が一本。
「尊敬と」
「感謝をこめて」
つぎつぎと語られる言葉と、そのたびに渡されるピンク色の薔薇。
「常に信じあえる」
「幸せな二人でいよう」
「嘘偽りのない気持ちで言うよ」
「世界中のだれよりも」
「君を愛してる」
「永遠に」
12本目の薔薇をわたしに手渡して、マイトさんはにっこり笑った。
「君だけの私から、私だけの君に」
これ……もしかして……ううん……もしかしなくても、ダズンローズだ。
わたしたちにとって思い出深い、一ダースの薔薇。
このひとは、こういうところがずるいのだ。
要所要所でキメてくる。
日常に潜んでいた倦怠も、黒い孤独も、この12本の薔薇ですべて吹き飛ばしてしまった。
腕一本で天候を変えてしまったという、あの伝説のスマッシュのように。
「どうして?」
「クリスマス一緒に過ごせなかったからね。大切な君に、精一杯の愛と感謝をこめて」
「ありがとう……あのねマイトさん」
「ん?」
「メリークリスマス」
「え? ここは普通『大好き』とか『愛してる』って返してくれるものじゃないのかい?」
ふふっ、と笑みを返して、はるか上空から覗きこんでくる青い瞳をじっと見つめる。
「今夜……ちょっとでいいから愛してね」
気恥ずかしさに、パタパタとその場から立ち去った。
薔薇が枯れないうちにと花瓶を選ぶ。
本来ならば水切りするべきなんだろうけど、それはまた明日。
引っ張り出したクリスタルの器に水を満たして、そのまま花を移した。
「恥ずかしいこと言っちゃった……」
先ほどの自分のセリフを思いだし、きゃっと顔を覆ったその時、体がふわりと宙に浮いた。
後ろから抱き上げられたのだ。
そのまま寝室まで運ばれて、ベッドの上におろされる。
「今からたっぷり愛してあげるよ」
上着とネクタイを投げ捨てたマイトさんが、耳元でそうささやいた。
筋張った大きな手をとって、上目づかいで彼を見上げる。
「あれ? 今日は待って……とか、でも……とか、いやだもん……とか言わないの?」
不思議そうに尋ねてきた低音に笑みだけを返し、そのまま彼の中指に舌をはわせる。ぴくり、とマイトさんの頬が軽く動いた。
だってずっと寂しかったんだもの。
相手が欲しいと思うのは、なにも男性ばかりの特権じゃない。
ブロウジョブをする時のように、長い指をゆっくりと口に含んだ。つま先を舐め、根元から指先までを、舌を絡ませながら音を立ててしゃぶる。
青い眼を下から覗きこみながら、大好き、と呟くと、小悪魔め、とそのまま優しく押し倒された。
時に、甘い夢は日常に流され、隠れてしまうことがある。
けれど日常の中にこそ、愛は潜んでいるものだ。
ねえ、強くて優しくてずるいひと。
いつかまたわたしが黒い影に飲み込まれそうになったら、今日のようにスマッシュを決めてね。
愛が見えなくならないように。
ずっとそばにいられるように。
あなただけのわたしから、わたしだけのあなたへ。
2015.12.25
2015 クリスマスに