自分の力を使い果たしてしまう夢だ。
悪いことにそれは、そう遠くない日に訪れるであろう現実。
緑谷少年に個性を譲渡することを決意したあの時から、私はその日が来ることを知っていた。
それなのに、今になってなぜ、こんな夢を見るのだろうか。
一つため息を落として、ぎくりとした。
くるみが目をぱっちりと開けて、こちらを見つめていたからだ。
「起こしてしまったかい? すまなかったね」
「どうしたの?」
「どうもしないよ」
「そう?」
「そうさ」
くるみの頭をくしゃりと撫でて微笑んだ。
だが、夢に見た内容を思うと、胸の奥がじくじくと痛む。見えない傷口から、見えない血がどくどくと流れ続けている、そんな錯覚に襲われる。
力を使い果たすということは、私がオールマイトではなくなるということだ。
すべて納得したつもりでいたのに、心のどこかで、それを恐れる声がする。それを悲しむ感情がある。
先代から譲渡された個性を、次世代に託す。
倒れた杉の樹から新芽がでるように、倒木更新のように、次なる力の礎となることに誇りを持っていたはずなのに、この期に及んで、なんと未練がましいことか。
意図せず、大きな溜息がこぼれ出た。
「大丈夫?」
暗闇で、くるみの声がした。
ごめん、と謝ろうとしたところを、頭をかかえ込むようにして抱きしめられた。くるみの柔らかい胸元から、甘い香りがふわりとただよう。
「眠れないの?」
「……少し、喉が渇いただけだよ」
「ああ、わたしもそうかも。ちょっと待ってて」
言うや否や、くるみは私の頭からかいなを離し、寝室をあとにした。
私はベッドサイドの明かりを一つつけ、くるみが戻ってくるのを待つ。
待つと言っても、そう長い時間はかからなかった。戻ってきた彼女の手には、丸いトレイの上にのせたルイボスティーのグラスが二つ。
「ありがとう」
「ううん。わたしも飲みたかったから」
えへっ、と、くるみが笑う。だが本当に喉が渇いていたのかどうか、怪しいものだ。くるみはそういう、優しいところがある。
せっかく用意してくれたものだ。もう一度礼を言い、ルイボスティーを喉の奥に流し込んだ。
冷えたお茶が食道を通り、腹に落ちる。ないはずの胃袋がひんやりと潤ったような気さえして、私はくるみに、心の中で感謝する。
「ねえ、どこにも行かないでね」
薄明りの下でグラスを傾けていたくるみが、ぽつりと漏らした。
「……どうしたんだい? 急に」
「なんとなく……あなたがどこかに行ってしまいそうな気がしたから」
「私はどこにも行かないよ。ずっと君の側にいるさ。生きている限りはね」
「生きている限りとか、不穏なこと言わないで」
「ああ、ごめん。たとえ仕事のうえの事故じゃなくてもさ」
力が衰えていようがいまいが、ヒーローという職業は危険と隣り合わせだ。怪我だけでなく、殉死も多い。けれど私はあえて、『事故』と言った。少しでも柔らかく響くように。
「平均寿命は男の方が短いし、私は君よりもずっと年上だ。だから順当にいけば私の方が先に逝く。そういう意味だよ」
「……それはそうかもしれないけど……わざわざそんなこと言うことないじゃない。それに何が起こるかわからないのが人生よ。わたしの方が先に死んじゃうことだってあるかもしれない」
「縁起でもないこと言わないでくれないか」
「ずるーい」
「ずるくてもなんでも、嫌なんだ」
身勝手なことを言っている。わかってはいるが嫌なものは嫌だ。
ずるいかもしれないが、くるみがいない日々が想像できない。くるみを失うことは、個性を失うことと同じくらい、いや、それよりもずっと怖いことであるような気がする。
「これ、コミックの真似になるんだけど」
「うん」
「君は必ず、私より長生きしてくれ」
「なにそれ」
「え。知らないかい? 昔、そういうコミックがあったんだよ。プロポーズされた女性が、承諾するかわりに『一日でいいから、私より長く生きて』って男に言うんだ」
「その漫画は知らないけど、男女が逆になるわけね?」
「うん」
「確約はできないけど、いいよ。残されるのは悲しいもんね」
そう答えて、まっすぐにこちらを見つめてくる双眸の、何と力強いことだろう。
本当に私は勝手だ。先に『どこにも行くな』と言ったのはくるみの方であったのに。
先に死ぬなということは『私を置いていかないでくれ』と言うにひとしい。
それなのに、くるみはいいよと言ってくれる。
私の甘えを許してくれる。
『平和の象徴』と添うことは、並大抵の苦労ではないだろう。
おそらくくるみは、私が現場に立つたびに涙をこぼしたことだろう。
それがわかっていてもなお、世に何かがあった時、私はすべてを投げ打って、闘いの場に出るだろう。
それでもくるみは、私を受け入れ続けてくれている。
くるみは私の弱さを知っている。弱い部分も、情けない部分も、勝手な部分も、すべてその小さな身体で受け止めて、私の側にいてくれる。
こういう時にいつも思う。女性は、いや、くるみは強い。
私のすべてを飲み込んで、それを優しさへと変えていく。それは子を産み育てる性だからなのか、それともくるみがそういう女だからなのか。
「あなたが悲しむのは、嫌だもの」
笑みながらのこの言葉に、くるみを強く抱きしめた。
「ちょ……どうしたの?」
「なんでもない」
「もう、嘘ばっかり」
「そう嘘だ。急に君が欲しくなった」
耳朶を甘噛みしながら、やわらかな双丘を撫でまわす。小さいけれど、甘い声がそれに応えた。
「……もう……明日も学校あるんでしょう?」
「大丈夫」
「でも……」
「大丈夫だ」
でも、と言いかけた唇を強引に塞いだ。
この優しい女を絶対に離さない。絶対に先に死なせたりなんかしない。
くるみ、君は私を看取るんだ。
それがごく近い未来になるのか、遥か数十年後のことになるのか、私にはわからないけれど。
その日が来るまで、君とこうして身体を重ねるこの場所を、君と過ごせるこの場所を、楽園と、私はそう呼ぶのだろう。
2016.8.8
マイト視点で、本編4話の一部分
「15万打企画 五日連続更新」で書いたお話