金色のノエル

 西の空を橙色に染めながら、太陽が沈んでゆく。初秋の長い夜は、あの夕焼けが濃紺に飲み込まれた時からはじまる。
 夏の名残が猛威を振るう日中とは違い、日没後は秋の気配が濃厚になる。日を追うごとに冷たくなっていく夜風。今はまだ心地よいそれは、やがてぴりりと頬を突き刺す冬の風にといずれかわっていくのだろう。
 あの日、小さな日本庭園でわたしの髪を揺らしたのと同じ、冬の夜風へと。

 わたしは一つ息をつき、携帯のアルバムを開いた。スクロールして一昨年のフォルダを表示すると、すぐに目的の写真が見つかった。
 画像をぽんと指先でタップする。と、ハート型のイルミネーションをバックに笑うマイトさんとわたしの姿が画面いっぱいに映し出された。
 これはおととしのクリスマス当日に、庭園の池の前で撮った写真だ。つき合いはじめて最初に迎えた、聖なる夜。
 金を基調にした池の周りのイルミネーションは、六本木の街を彩る華やかな光の渦の中にあっては、そう目立つものではなかった。
 けれどこれから先、どんなクリスマスを過ごすことになったとしても、わたしはあの日に見た幻想的な金色の光を、ずっと忘れないだろうと思う。
 あれは一昨年の十二月の半ば。マイトさんの住むマンションからすぐそばにある、夜景の綺麗なバーでのできごとだった。

***

「私の側にいてくれないか。君さえよければ一生」

 マイトさんはごくごく薄い水割りを傾けながら、そう静かに言ったのだ。

「……えと……それって……」
「うん。あの薔薇園で、君から花束をもらった時から決めてたんだ。ただ君は若いから、もう少しつき合う期間を設けたほうがいいかなと、今日まで先延ばしにしてきた」

 それはきざな演出が得意なマイトさんにしては珍しい、オーソドックスなプロポーズ。夢に見ていたロマンチックなものでは決してない。それでもわたしは、この提案を辞退するつもりなどさらさらなかった。
 マイトさんより好きになれる人なんて、これから先もう絶対に現れない。わたしにはそんな妄信的な確信があった。

「ただ、くるみ。君には受け入れてもらわなければならないことが、少しばかりある」
「なに?」
「まず、君は八木俊典の妻になるけれど、オールマイトの妻にはなれない」
「それは……わたしとのことをおおやけにはしないっていうこと?」
「そうだね。だからおそらく、君が憧れているであろう大々的な結婚式も、大げさな披露宴もあげることはできない」

 泣きそうになった。
 幼いころからずっと夢見ていた、幸せなウエディング。
 有名な大聖堂での挙式。
 純白のウエディングドレスは優雅で繊細なレースを用いて、トレーンを長く引いたもの。ヴェールはドレスと同じモチーフのレース。
 響き渡るパイプオルガンの生演奏と、聖歌隊の歌声。ライスシャワーを浴びながら、白とピンクの薔薇のブーケを友人たちに投げるわたし。
 それらすべてを諦めろと、このひとは言う。

「ウエディングドレス……着られないの?」
「いや。ドレスは君が着たいものを着るといい。写真だけ残すという手もあるし、他人を呼ばないなら挙式も挙げよう。その場合の列席者は君のお母さんと弟さんだけになるけどね」
「ともだちは?」
「それをし出すと私の方も同じようにしないとおかしいし、きりがなくなる。すまないが式に呼ぶのは身内だけにしてもらいたい」
「……」
「それから、仕事をしたいなら続けてもいいけど、できれば家に入って私のサポートをしてもらえると嬉しいな」

 なんだか少し勝手だな、と思った。
 オールマイトが私的な部分を公表しないのは周知の事実だ。他にもプライベートを公表しないヒーローはいる。だからそれは仕方がないことだと思っていた。
 でも、式に知人すら呼ばないというのはいささか徹底しすぎていないだろうか。痩せた姿のマイトさんがオールマイトだと知る人は、彼にとってごく近しい人だけなのに。

「ねえ、マイトさん」

 自分でも棘のある声だなと思った。マイトさんもそれに気づいたのだろう。軽く眉をあげ、なんだい、と応える。

「ダズンローズはどうしたの?」
「……怒るのそこかい?」

 その答えに苛立ちがつのった。
 マイトさんは自分の出した条件が一方的だと自覚している。それでもすべて飲み込めと、彼は笑顔で言ったのだ。
 そのうえ彼は、わたしの返答をきかないまま話を進めていた。それは最初からわたしが承諾すると決めつけているということだ。自分が断られるなんて、思ってもいないに違いない。
 そこがなんだか、癪に障った。

「だって、ダズンローズでプロポーズされるのが夢だって話してたじゃん」
「ダズンローズは薔薇園でやっただろ?」
「ちーがーう! あれはわたしがマイトさんに渡したんじゃん。わたしはマイトさんから12本の薔薇をもらいたいの」
「……わかった。あとでやり直すよ。通り沿いの花屋はまだやってるはずだ。そこで薔薇を買って……」
「そんなのだめだもん! プロポーズの言葉と一緒じゃないと意味ないじゃない」
「プロポーズからやりなおすから」
「わたしに言われてからじゃ意味ないもん。もう遅いもん。もうダズンローズなんか絶対いらない!」
「……相変わらずわがままだな、君は」
「わたしがわがままだったらマイトさんは自己中でしょ! もういい、わたし帰る!」

 そのままバーを飛び出した。
 マイトさんが追ってくるかとわざとゆっくり歩いてみたが、彼は追ってはこなかった。
 美しいイルミネーションで彩られた師走の六本木。その華やかな街を、半泣きになりながらひとり歩いた。

 マイトさんから連絡がきたのは、それから五日後の祝日……クリスマスイブの前日のことだ。
 年末のヒーローは忙しい。マイトさんのようなトップヒーローはなおさらだ。
 年の瀬は犯罪が増加するし、本来の業務の他にもイベントやメディアへ駆り出されることも多くなる。同じ事務所で働いてはいても、わたしとマイトさんとではフロアが違う。一事務員がオールマイトに会う機会はそうそうない。
 マイトさんの事情はわかっていたが、喧嘩別れした後、五日も連絡が来ないのはさみしかった。
 それなのに、彼から来た久方ぶりのメッセージは、たったの二行。

「イブは仕事が入っちゃってるんだけど、クリスマス当日ならなんとかなる。十九時にいつもの庭園の、あのベンチで」

 待ち合わせ場所は、わたしたちの思い出の場所のひとつ。けれどどうして、真冬の夜にあんなに寒いところで待ち合わせするんだろう。
 思い出の場所だったら、ふたりが初めて結ばれた恵比寿のホテルだってそうなのに。彼はそのあたり、気が利くようで気が利かない。



 庭園の池の周りは、金色の光で彩られていた。派手さはないが、蛍の群舞を思わせるイルミネーションは幻想的で美しい。
 けれど光り輝く眩い街に吹く師走の風は、突き刺す針を思わせる冷たさだった。
 そして一週間ぶりにあうマイトさんは、また少し痩せたように見えた。

「メリークリスマス。で、こないだの話だけど、どうする?」

 会うなりマイトさんが本題を切り出した。
 このひとのこういうところが嫌なのだ。いつもあっけらかんとして、こっちの気持ちなんかおかまいなし。

「どうしてこんなところで言い出すの? 素敵なレストランに移動してお食事したあと、婚約指輪の入ったケースをぱかって開けながら言ってくれたらまた違うのに!」
「それはあまりにもベタだろ」
「時にはベタなのも大事なの!」
「でもさ、そんなことしたら君は『違うデザインがよかった〜、わたしの憧れは××の○○で〜』とかなんとか言い出すだろ?」
「い……言わないもん」
「いや、言うね。君は絶対言う」

 どうしてこうなっちゃうんだろう。
 せめて「この間は悪かったね」と最初に言ってくれればいいのにと思いかけ、自分もまだ謝っていないのだということに気づいて苦笑した。
 結局、似た者どうしなのかもしれない。わたしたち。

「……言うかもしれないけど、だったらそれこそ、今、ダズンローズがあってもいいじゃない」
「え? それはこないだ『もういらない』って言ってたじゃないか」
「違うもん! いらないんだけどいるんだもん。マイトさんはあいかわらず女の子の気持ちがわかってない!」
「残念ながら、私は女の子じゃなくておじさんなんだ。若い女性の考えていることなんか、さっぱりわからない。特に君みたいな、気まぐれでわがままな若い女の気持ちはね」
「じゃあ……なんでそんなわがままな女とつき合ってるのよ」
「……」

 マイトさんが片手で口元を覆い、そっぽをむいた。
 事務所のロッカールームでカールしなおしたばかりのわたしの髪を、師走の風が揺らす。でもついさっきまで突き刺すようだったビルの谷間に吹く風が、不思議と冷たく感じなかった。

「そりゃ、好きだからに決まってるだろ」
「…………」
「なんて顔してるんだよ。私はなにがおかしいことを言ったかい?」
「だって……そんなのずるいもん……」
「君が好きだからずっと一緒にいたい。好きだから一生そばにいて欲しい。好きだからこそ私の勝手を許してほしい。私がわがままを言う相手は君だけだ」
「ほんと、マイトさんはずるいよ」

 こんな風に言われたら、怒っていいのか、笑っていいのか、泣いていいのかわからない。わからないけど、涙は出てくる。

「ズルい男は嫌いかい? 私はわがままで気まぐれな君が好きだけど」
「わだじぼ」
「ん?」
「わだじぼわがばばでじごじゅうだまいどざんがずぎぃ」
「…………そんな泣きながらじゃ何を言ってるかわからないよ。ほら、鼻水拭けよ。君は泣くといつもそうだな」

 マイトさんが優しく笑う。この笑顔は本当の笑み。
 でも彼の笑顔の大半はお仕事用に作られたものだ。
 怖いからこそ笑うんだ。彼は以前、そう言っていた。
 強くて弱い、孤高のヒーロー。
 彼の背負っているものは、今はまだ、他の誰にも背負えない。
 たった一人で重積を背負い続ける英雄を、わたしに支えられるのだろうか。
 満身創痍でそれでも抗うこのひとを、わたしは見守っていけるだろうか。

 彼と共に歩む道は、苦しいものになるだろう。彼のヒーローとしての生き様を見守ることは、きっとつらいことだろう。
 それでももう、このひとと離れて生きることなど考えられない。

「で、どうする? くるみ、君は八木くるみになるかい?」
「だりまず……」
「ありがとう」

 池の周りに植えられた緑のうえに施された黄金色の電飾が、幻想的な光景を作り出す。涙でにじんだそれは、先ほどまでよりもずっとずっと綺麗に見えた。

「くるみ」

 近づいてくる彼の顔。そのまま目を閉じ、冷たい唇を受け止めた。泣いたせいだろう。それはちっとも甘くなく、少ししょっぱいキスだった。

***

 と、開いていた画面ごと携帯がぶるぶるとふるえた。
 届いたのは、マイトさんからのメッセージ。それはやっぱり「今から帰るよ」と書かれただけの簡単なもの。
 ヒーローを引退した彼の帰宅は、かつてにくらべて格段に早くなった。

 マイトさんの帰宅に合わせて食事を出せるようにと、わたしは立ち上がる。職場からここまでは目と鼻の先。きっとすぐに玄関のチャイムが鳴らされることだろう。

 今日のメインは、秋刀魚と大根を圧力鍋で煮たものだ。こうすれば、胃のない彼でも骨まで美味しく食べられる。副菜は冷やし茶碗蒸しと、なすの煮びたし。
 根菜と一緒にお魚を煮る。
 それは幼いころに夢見たお伽噺の世界とは大きく異なる、きわめて平凡な日常だ。
 白タイツの似合う王子様とではなく、ストライプのスーツの似合う背の高い彼と過ごす日々。
 でもその平凡な毎日は、思っていたよりずっとずっとしあわせなものだった。
 マイトさんを案じ、想い、たくさん泣いたりしたけれど、それでもやっぱりしあわせだった。きっとこれからもそうだろう。そうであってほしい。

 すこし先の話になるけれど、今年のクリスマスもまた、彼としあわせに過ごせますように。
 そう祈りながら、わたしはお味噌汁の入ったお鍋を火にかけた。

2016.12.24

2016 クリスマス

月とうさぎ