抱かれたい男

「マイトさん、ちょっとそこに座ってください」

 帰宅するなり投げかけられた言葉に、思わずハイと返してしまった。くるみが私に敬語を使う。それは、彼女が大きく機嫌を損ねているしるし。
 いったいぜんたい、どうしたというのだろう。我が小悪魔は、なにで機嫌を損ねるかわからないから困ったものだ。
 言われたとおり、くるみの正面に座り、彼女の言葉を待った。

「わたしもね、過去のことをいろいろ言いたくはないんですけど、これはちょっと」

 過去って、いったいどれのことを言っているのだろうか。たしかに私は、くるみと出会う前は、それなりに女性と関係を持ってきた。
 マスコミには報じられていないが、若気のいたりでしでかしたやんちゃの数は、まあ、この年齢の男としても多いほうなんじゃないかと思う。
 けれど法に触れるような真似や、相手に恨まれるようなことをした覚えはない。どれも合意の上で、互いに納得した関係だ。
 それにくるみと出会ってからの私は、彼女一筋。職場でも愛妻家で通っている。やましいことなど、なにもない。
 だから、そんなに怒られる覚えはない……はずだ。

「コレデスヨ」

 ばさり、と目前に差し出されたのは、古い一冊の雑誌。

「あ! これ? 懐かしいな」
「懐かしいな、じゃありませんよ。ナンデスカ? コレハ」
「なにって、女性向けのファッション誌だよね」

 懐かしさに、雑誌を手に取ってぱらぱらとめくった。
 これはたしか、この雑誌がはじめておこなった「抱かれたい男」特集で、私が一位をとった時のものだ。表紙も私なら、巻頭のグラビアも私。
 確かに、この見開きページはきわどいものではある。全裸――に見えるが、ちゃんと下着はつけている――の私がベッド上に横たわっているものだ。

「懐かしいな。十年くらい前のものだよね。でも、こんなのどこで手に入れたの?」
「出どころはこのさい問題ではありません。わたしが言いたいのは、この写真が非常にケシカランということなのです!」
「けしからん、って言い方、おじさんみたいだね」
「そこも今はどうでもいいの! イイデスカ、こんな破廉恥な格好をしてたら、みんながえっちな妄想をしちゃうじゃないですか。触手やモブおじさんに狙われちゃっても、おかしくないんですよ?」

 モブおじさんってなんだよ……それに触手だって? どこでそんなの覚えてきたんだ。
とてもじゃないが、うぶなくるみの発想とは思えない。
 だが、これでくるみにこの雑誌を渡した人物が誰か、なんとなく予想がついた。

「なぁ、この雑誌、どこでゲットしたんだい?」
「ないしょ」
「ナイショ禁止」
「ずるい。マイトさんだって、わたしに隠してることたくさんあるくせに」
「いいから言いなさい」
「だめ。雑誌の出どころを言わない約束で協力者から本をもらったんだから」

 協力者、ときたか。大げさな。
 思わずくすりと笑ってしまった私をきっと睨みつけ、くるみが口をとがらせる。
 小さなフグみたいにふくれる妻のかわいさにゾクゾクしながら、たたみかけるように協力者と思しき人物の名を告げた。

「ミッドナイト、だろ」

 するとくるみは、とがらせていた口を大きくへの字にまげた。
 やっぱりか。
 君はさ、嘘がつけないんだ。すぐに顔に出るんだよ。

「最近、やたらとつるんでいるとは思ってたんだよな」

 くるみは一度、私の忘れ物を届けに来た際、ファンと間違えられてミッドナイトに追い返されそうになったことがある。
 そのせいかどうかは知らないが、こちらに引っ越してきてすぐに、くるみはミッドナイトと仲良くなった。
 くるみはなぜか、彼女より少し年上の、しっかりした女性に可愛がられる。思いかえせば、事務所の秘書との関係もそうだった。
 まったく、とため息をつくと、くるみは不安そうにこちらを見上げた。

「ね……マイトさん……おこった?」
「いや。君が私の同僚と仲良くしてくれることは、いいことだよ」
「よかった……ミッドナイトのこと、怒らないでね。ナイショにする約束だったから……」
「わかったよ」

 くるみはほっとした表情を見せ、そしてすぐに、また眉を吊り上げた。
 あ、これ、続くな。

「ではマイトさん、続きです!」
「……ハイ」
「ここまでする必要ってあったの?」
「いや。……オファーの段階では、ヒーロースーツでの撮影の予定だったんだけどね。なんか、現場で盛り上がってしまって、気づけばこんなことに……」
「やっぱり! マイトさんはサービス精神が旺盛なうえにノリで行動するところがあるから、そうじゃないかと思ったんだよね」
「いや……でもね。これ、シーツとアングルのせいで隠れてるけど、ちゃんと下着はつけてるんだよ」
「当たり前です!」
「……スミマセン……」

 十年前も、似たような感じで怒られたなと、少し懐かしい気分になった。
 当時、私が最も信頼していたサイドキック……サー・ナイトアイにも、「ここまでサービスする必要はない」「ノリで行動するのはやめるように」と怒られたっけ。
 マスコミ対応や事務処理能力に長けていた彼の手によって、その後しばらく、雑誌のカラーグラビアの撮影の仕事は禁止されたんだ。

「また今年も、抱かれたい男の企画、あるよね」
「あるだろうね」
「マイトさん、毎年一位だよね……」
「だね」
「もう、脱がないでね」
「しないよ。それに、こんな身体で脱いでも、誰も喜ばない」
「そんなことない。痩せててもマイトさんはセクシーなの!」
「そんなことないよ」
「……そうだもん……マイトさんのこんなセクシーな姿、ほかの人には見せたくない。わたしだけじゃないと、いや」

 ついつい口元が緩んでしまう。
 こんな昔の写真を引っ張り出して、過去の行動にやきもちを妬くくるみが愛しい。
 普通なら面倒だと思ってしまうような嫉妬も、くるみがするとかわいく見えてしまうのだから、まったくもって困ったことだ。

「わかった」
「なに?」
「今からあの雑誌と同じポーズをとってやるから、私を好きにしていいよ」
「え?」

 慌てた声を上げたくるみをひょいと抱き上げて、そのまま寝室へと向かった。ちょっと待って、とか、なに言ってるの、だなんて言っているけれど、気にしない。
 ベッドの上にくるみを下ろして、目の前でどんどん衣服を脱ぎすてる。
 撮影の時は脱がなかった最後の一枚もついでに脱いで、シーツの上にうつぶせた。

「ほら、好きなようにしていいよ」
「……そんなのずるい……」
「不特定多数はこの姿を見たことがあるかもしれないが、私を好きなようにできるのは、君だけだぜ?」

 くるみはすでに、耳まで真っ赤だ。
 どうして全裸の私より、服を着ているくるみのほうが、恥ずかしがっているのやら。

 まったく君はいつまでたっても、かわいくて面白いな。真っ赤になったりふくれたり。忙しいことだ。

「ホラ。なんなら仰向けになってやろうか? 君も脱ぎなよ」
「自分で脱ぐなんて……むり!」
「そう言わないで、せっかくだから、君のいいように楽しめばいい」
「……そんなのむりだもん。マイトさんのばか!」

 そう言いながら、必死でこちらを睨み付けるくるみ。
 悪いけど、その恨めしそうな眼、私を煽るだけだから。

「あー。それじゃあしょうがないな。私が君にするしかない」
「……どうしてそういう発想になるの?」
「そりゃ、君がかわいいからだよ」

 くるみの手を取って、引き寄せた。ばか、と呟く唇をそのまま塞いで、彼女の服のボタンをはずす。くるみは小さく身じろぎしたものの、嫌がる気配はやはりない。

「……ごはんは?」
「あとでいい」
「おふろは?」
「君と一緒なら、今入ってもいい」
「マイトさんって、いつもそう!」
「いいだろ? 世間に『抱かれたい男』とどれだけ持ち上げられてもね、私はずっと、君だけのものだよ」

 きらい、と小さく呟いた君に、嘘つけ、といらえ、また唇を塞いだ。
 ふっくりとした唇、やわらかな頬。しなやかな身体、滑らかな肌。
 誰よりも愛しい君と、長い秋の夜を、これからたっぷり楽しもう。

2017.10.14
月とうさぎ