薔薇色の日々

 窓の外を、木枯らしがゆく。
 木の葉や電線をゆらす晩秋の冷たい風の音を遠く聞きながら、くるみがルビー色のお茶をいれる姿を、ただ眺めた。
 赤く美しいそのお茶の名は、薔薇色の人生。まったくもって、我々の暮らしを象徴するような名だと思う。
 ほんのりと薔薇の香りがするお茶を片手に過ごす、穏やかで静かな秋の夜長。
 だが、果てなく続いて欲しいと願うこの優雅なる秋夜をかしましい夜に変えたのは、やはり、くるみの声と行動だった。女という文字を三つ重ねてかしましいと書くが、若き我が妻は、ひとりきりでも騒がしい。

「ねえ、マイトさん。これどう思う?」

 テレビをつけた途端、そうこぼした君。
 番組のタイトルは、懐かしのメロディだ。センスを疑うような直球すぎるタイトルからわかるとおり、それは中高年以上を視聴対象とした、懐古的な特番だった。

「わたし、前から思ってたのよ」
「うん?」
「どうしてこんなに前時代的なんだろうって。百年以上前の価値観よね、これ」

 美しいルビー色のお茶を私の前に置き、興奮気味に彼女が続ける。怒りの矛先はもちろん私にではなく、ギターを持った文豪と称される、大御所歌手の曲に向けられている。
 たしかにこの曲の歌詞を表面だけでとらえてしまったら、女性は我慢ならないだろう。実際、この曲が世に出た当時も、フェミニストから少なからぬ抗議があったときいている。
 けれど――。

「自分より先に寝るなとか、ご飯は美味しく作れとか、女にだけに家事労働をおしつけているくせに、いつも綺麗でいろだとか!」
「ああ……まあ……そうだね」

 「薔薇色の人生」に蜂蜜を入れながら、しずかに応えた。
 ルイボスティーには慣れてきたけれど、ハイビスカスとローズヒップがブレンドされたこのお茶だけは、いまだにストレートでは飲めない。
 爽やかな酸味がいいとか、ビタミンが豊富だとか、色がとても綺麗だとか――そういえばくるみは鮮やかな赤色の飲み物が好きだ――そういった理由で彼女はこのお茶を好むが、私には、どうにも酸味が強すぎる。

「なんでこんな曲が売れたんだろう……」
「うーん。でもね、私、この曲けっこう好きだよ」
「えっ」

 あぜんとしたくるみににっこりと微笑みかけて、蜂蜜のおかげで飲みやすくなったお茶を口にした。酸味のなかに広がる、ハニーのこってりした甘み。やっぱりこのお茶は、こうしたほうが断然うまい。
 なにごとにおいても、一面だけをとらえて苦手意識を持つのはナンセンス。それが私の持論でもある。

「だって君、この曲を最後まで聞いたこと、ないだろ?」
「……ないよ」
「だからさ、さわりだけ聞いて怒ってないで、ちゃんと最後まで聞いてみなよ。怒るのはそれからでもいいだろ」
「……そうよね。マイトさんは『ついてこられるなら来い、そうでないならそれまでだ』のタイプだもんね。そりゃあこういう歌、好きよね」
「ええ。私そんなふうに言ったことあるかい?」
「言わなくても、態度がそうなの!」

 くるみはぷりぷりしながら、頬をぷうとふくらませた。
 まったく、ずるいな。
 すねると小さなふぐみたいになるところ、君はちっとも変わらない。その顔を見ると、反論する気をなくしてしまう。
 だからそのまま、ギターを持った文豪の歌を、ふたりで聞いた。

「あ……」

 聞かせたいと思っていたフレーズにきたとき、くるみが小さく声をあげた。

「……」

 複雑そうな表情で、こちらを見やる、君。
 そうなんだ。これは勝手な男が相手に依存しつつ自分の意見を押しつけるといった体をとりながら、実は妻となる女性に愛を告げる歌なんだよ。
 この曲、口うるさく指図する部分はフェイクで、男が本当に言いたいことは最後のフレーズなのではないかと、私は勝手に解釈している。
 曲が終わり、画面が往年のアイドル歌手に切り替わった。
 くるみがちいさく、息をつく。

「……でもね、愛してるって言えばいいってもんじゃないのよ……」
「うん。わかるよ」
「自分の価値観をぎゅうぎゅうに押しつけたうえで、愛する女はおまえだけとか言われても、だめなんだから」
「ハイハイ」
「だめなんだからね!」
「わかったよ」

 笑いながら、薔薇色の人生を飲み干した。

「でもさ、なんだかんだ君はこの歌みたいにやってくれてるよね。どんなに遅くなっても、起きて待っててくれるじゃないか」
「それはね、マイトさんが寝てていいよって言ってくれるからだよ。強制されたら、きっとしないもん。そういうのって、自らやるのはいいけど、強要されると嫌になるものだと思うの」
「ああ。そうかもね」
「でもね、私も君に強要したいことはあるよ」
「なに?」
「あの歌と同じことを、前にも言ったろ?」
「どれ?」
「言わないよ。わかってるだろ?」
「……わかってるけど、もう一回聞きたいんだもん」

 それはまた今度だ、と、くるみを抱き寄せ、桜桃のような唇にキスを落とした。ついばむように、やさしく、何度も。
 やがて、ね、と甘えた声で、君がささやく。私はあいたほうの手で、テレビの電源を落とす。

「ベッド、行く?」
「ああ、お願いしたいね」

 うん、と、くるみが私の首筋にしがみつく。私はくるみを横抱きにして、立ち上がる。

 ひゅうう、ひゅうう、と、寒々しい音を立てて外をゆく風の名は木枯らし。だが、部屋の中はあたたかだ。去りゆく秋の風情を感じながら、君とすごす夜。
 切に願う。
 私と君とのこれからの日々が、これまでどおり薔薇色でありますようにと。

2018.11.24

どうやら出番のようだ!14 無配折りペーパー収録
月とうさぎ