「さて、どんな感じかな」
ひとりごちながら、昨夜から仕込んでおいたケースを冷蔵庫から取り出した。中身は、一晩お水に漬け込んだ焼き海老と干し椎茸……つまりはお出汁。
それをそのまま鍋にあけ、一煮立ちしたら海老と椎茸を別皿に取る。そこに鰹節を投入し、再び沸騰させて、火を止めた。
「いい匂いだね。なにを作っているんだい?」
お出汁を漉していると、お風呂あがりのマイトさんが、キッチンに顔を出した。
「お夜食にお雑煮をと思って。おせちは昨日今日と散々食べて、飽きちゃったでしょ?」
「私の奥さんは気が利くな」
「ありがと」
マイトさんは胃袋がない。だから彼は、一日に数度の食事を必要とする。少量ずつ、だいたい一日五〜六回。低血糖やダンピング症状を防ぐため、彼にとって必要なこと。
「ところで、よかったのかい?」
後ろからわたしを抱きしめながら、マイトさんがささやいた。
「君は東京に残って、ゆっくりしてもよかったんだよ」
今日は新年の挨拶で、荻窪の実家に顔を出した。
都内の国立大に通う弟にも、久しぶりに会えた。弟は、オールマイトが創設した給付型の奨学金を受けている。高校三年時の授業料と現在通っている医学部の学費は、そこからまかなわれていた。
オールマイトの真実の姿が世に知られてしまってから、弟がマイトさんに会うのは今日が初めてのこと。それまでは「姉の、年の離れた配偶者」に対する接し方だったのに、真実を知ったが故だろう、弟があきらかに緊張しているようすだったのが、なんだかおかしかった。
「お義母さんも、もう少し君と過ごしたかったんじゃない?」
確かに、母はそうして欲しそうだった。けれど今の情勢で、わたしだけが実家に残るのは、どうかと思った。
雄英の生徒たちは、年末年始も一日しか家に帰れないという。
昨年の夏、生徒の誘拐事件があったとはいえ、現在雄英が布いている厳戒態勢は、素人目にも異様なほどだ。現役を引退したはずのマイトさんが、多忙すぎるのもまた然り。
おそらく、水面下でなにか大変なことが起きている。ずっとマイトさんの側にいたのだ。それくらいのことはなんとなくわかる。しかも起きているのは、とてつもなく大変ななにかだ。一般に知られたらパニックになりかねないような、そんな重大なこと。
だからこそ――。
「いいの、今はマイトさんと一緒にいたい」
「……ありがとう」
回されていた腕に、軽く力が込められた。首をねじ曲げて上を向くと、降りてくるのは乾いた唇。触れるだけの軽いキスを交わして、わたしはふたたび、お雑煮の続きにとりかかる。
「もうちょっとだけ、待っててね」
「ウン」
ゆでたほうれん草をカットして、お出汁にお醤油とお酒を入れ、味を整える。続いていただきもののお餅を取り出すと、マイトさんが声をあげた。
「珍しいね。丸いお餅だ」
わたしたちはふたりとも東京出身。各家庭で多少の違いはあるけれど、お雑煮と言えば、昆布と鰹でお出汁をとったすまし汁に、焼いた角餅を入れたもの。
「うん。13号先生にいただいたの」
「……本当に、君は誰とでもすぐに仲良くなるな」
「なんかね、わたし、年上の女性受けがいいみたい」
半分にカットしたお餅を焼き網の上に並べながら答えると、マイトさんが、ふふ、と笑った。
「それは知ってる」
「せっかく丸いお餅をいただいたから、お雑煮も東京風じゃなくて、種子島風にしてみたの。13号先生のご実家のレシピをいただいて」
答えながら、お碗に焼いた餅、椎茸、ほうれん草、かまぼこを盛り付けて、そっとお出汁を注いだ。最後に、焼き海老とユズの皮を添える。
「すごいな。海老も入るんだ」
「鹿児島のお雑煮は、焼き海老でお出汁をとることが多いんだって」
「そりゃ、豪勢だね。美味しそうだな」
「豆もやしやにんじんが入るおうちもあるみたい」
「ああ、東京でも、家によって具材が微妙に違ったりするもんな」
「そうね。うちはお雑煮の青菜といえば小松菜だけだったけど」
「私の家は三つ葉も入ったよ。練り物は紅白かまぼこ」
「ほんと、いろいろね」
できたお雑煮をテーブルに運びながら、ふと思う。
昨年は嵐のような一年だった。今年はどんな年になるだろう。水面下で蠢いている恐ろしいなにかが、浮上するようなことがあるのだろうか。
いや、やめよう……。今だけでも、そんなことは考えまい。
わたしにできるのは、マイトさんがゆったりと過ごせる環境を作ること。資格をとったりもしたけれど、彼の日常を支えることが、わたしにとってやっぱり一番の優先事項。
「さ、食べましょ」
「うん」
ふたりそろってテーブルにつき、いただきますと手を合わせて、お醤油強めのお出汁をひとくち。とたんに鼻に抜けるのは、焼き海老の芳醇な香り。続けてやってくるのは干し椎茸の強い旨味だ。
「うまいな。これ、もしかして、九州のお醤油使った?」
「うん。せっかくの種子島レシピだから、調味料も鹿児島のものを使いたくて」
九州のお醤油は関東のそれとは異なり、甘みが強い。はじめての時はやや驚いたけれど、甘いだけでなくコクとキレがあるので、今は煮物に作る時などに重宝している。
「いつものお雑煮もうまいけど、これはこれで、とてもいいね」
「ありがと。この時間だからお餅は半分にしたけど、たりた?」
「うん。ちょうどいいよ」
「よかった」
夜半に、二人で温かい汁物をいただく。ただそれだけのことだけど、それだけのことが、こんなにも嬉しい。
小さな幸せを噛みしめながら、強く願う。
マイトさんが安らげる場所であり続けたい。これからも先も、そう、ずっと。
2020.5.5(夢本発行日)
(注)
こちらは1ダースの薔薇をあなたにシリーズの4冊目の夢本「マイトさんといっしょにごはん」より抜粋しています。
弊サークルは本のために書き下ろしたお話の無配及びweb再録をしない方針ですが、このお話はサンプルとしてpixivに一話まるごと載せているので、こちらにも収録いたしました。