ふたりのエビフライ

 食卓に並んだ皿を見た瞬間から、悪い予感はしていた。

 テーブルに並んでいるのが、エビを使った料理ばかりだったからだ。トムヤムクンスープにシュリンプカクテル、小エビの入ったサラダにアスパラとエビのマヨ炒め、メインディッシュはもちろん、エビフライ。
 むろん、いつものくるみの料理はこうではない。我が妻はフードスペシャリスト及び栄養士の資格を持っている。いつもはもっとこう、バランスがとれた食事を作る。
 だが彼女はイベントごとになるとこうなりがちだ。ハロウィンの夜にテーブルの上がカボチャ料理で埋めつくされたこともある。困ったものだ。
 しかし、せっかく作ってもらった料理にケチをつけるのはよくないことだ。だからそれについては口をつぐむ。ただ問題は、このエビ尽くしがなんのイベントに関わっているかということだ。
 だから食事をすべてきれいにたいらげたあと、口をひらいた。

「くるみ」
「なあに?」
「……今日はエビの記念日かなにかかい?」
「違うけど?」
「じゃあ、どうしてこんなにエビばっかりなのかな」
「うーん、なんかね、今日はエビって気分だったの」

 気分かよ、まあ……私好き嫌いないからいいけどさ。
 記念日でないならいいか、と安堵のため息を漏らした。くるみは私が記念日を忘れると、少し不機嫌になる。そうでないならそれでいい。
 だから私はちいさな声で、ごちそうさまでした、と言って席を立った。

「あ、待ってマイトさん」
「なんだい?」
「お食事のあと、着てほしいものがあるの」

 またしても、嫌な予感がした。

「なんだい?」
「じゃじゃーん」

 うげっ、と叫びそうになり、ギリギリでそれを抑えた私を、どうか褒めて欲しい。
 私の小悪魔がはりきって取り出した物体を見た時の、衝撃たるや。

 くるみは大きな黄色い布を手にしていた。もこもこの毛足がついたその生地は、まるで揚げ物のコロモのようだ。

「なんだい? それ」
「見てわからない?」
「……わかるけど、わかりたくないと思っているよ」
「なあに、その言い方」

 ぷう、と怒ったふぐのようにくるみは頬を膨らます。そのお顔はたしかにかわいいけれども、もうこういうの、やめないか。……っていうかね、ヤメテクダサイ。

 くるみが持っているのは、巨大なエビフライだった。正しくはエビフライのフォルムをした寝袋だ。コロモに似せた部分を頭からかぶることでエビフライを表現したもので、頭と脇に当たる部分には穴が空いており、そこから顔や腕が出せるようになっている。ちなみに尻尾の部分は、フライ部分と同素材の赤い布で作った室内用ブーツだ。
 サイズはコロモ部分が二メーターちょい、ブーツ部分が40センチほどあるだろうか。どうみても、くるみのサイズではない。
 ……というかこれ、私向けのサイズだろ。

「……君さ……」

 なかば呆れ、なかば憮然としながら口を開く。
 これを着た私に、我が妻はいったいなにを期待しているというのだろうか。
 だってさ、エビフライだぜ。エビフライ。
 二メートルを超える身長のおじさんが、エビフライの寝袋を着ているところを想像してみてくれよ。怖すぎるし痛すぎるだろ。

「すごいでしょ」
「……すごいは……すごいね」
「SNSのフォロワーさんが教えてくれたの。あ、そのひとの彼氏もとっても大きいのね。で、彼が着られるサイズの着ぐるみか寝袋を探してたらしくて。やっと見つけたんだって。それがこれだったの。これを着た彼氏さんのお写真がめちゃくちゃ可愛かったから、わたしもほしくなっちゃって。通販サイトを教えてもらっちゃった」
「……ふぅん」
「あ、彼氏さんのお顔はちゃんとスタンプで隠してあったよ」
「うん……」

 ということは、この世界には愛する女性にこのエビフライを着せられたあげくに写真を撮られ、それをSNSにUPされてしまったかわいそうな男がいるというわけだ。
 私はその彼氏とやらに心の底から同情した。きっと断れなかったんだろう。心優しき大男にどうか幸あれと願わずにはいられない。
 そして私は盛大なため息をつく。なぜって? 次は私こそがその心優しき大男にならざるを得ないだろうからだ。

「SNSって、君が料理の写真をあげている、アレかい?」

 フードスペシャリストになったくるみは、今後のためにとSNSで料理の写真をあげている。ランチラッシュがフォローしてくれているのもあって、そちらはおおむね好評だ。フォロワーも徐々に増えてきている。

「ううん。違うよ。あっちはお料理関連だけにしてる」
「それは懸命だ」
「うん。だからね、こっちは身体の大きなパートナーがいるひとたちとつながってる鍵アカウントなの」
「へえ……」

 そこでどんな話をしてるのか気にはなったが、この個性時代、体格差のあるカップルというのはそれなりにいる。我々大きいほうもそれなりに苦心しているが、それと同じように小さいほうにも悩みはあるのだろう。そういった悩みや情報を共有できるのはいいことだ。
 私も一度、そのメンバーのパートナー――つまりは身体の大きい方――に話を聞いてみたいものだなと、ちらりと思った。

「で。私は今からこれを着なくてはいけないわけだな?」
「そうよ。そのために買ったんだもの」
「着てもいいが、いくつか条件がある」
「なに?」
「私の写真をSNSにあげないこと」
「うん。写真は撮ってもいいのね」
「……君、ダメって言ってもどうせ撮るだろ」
「そうね。撮るわね。そのふたつ?」
「いや、もうひとつ」
「なあに?」
「君も似たようなものを着るなら、私もそれを着てもいい」

 これは私のちいさな抵抗。どうだくるみ。君にとってこういうタイプの「かわいい」は人が着るための物であって、自身が着用しようとは露ほども思っていないだろ。

 ところがだ。「うん。いいよ」とくるみは答えた。

「わたしのも実は買ってあるの」

 続くいらえに、ひっくり返りそうになった。
 げっ、まじか。こういうの、君いけるんだ。

「ただ、わたしってのサイズって、マイトさんと違って平均的じゃない? だからちょうど売り切れちゃってて、先にマイトさんのだけ届いてて、わたしのは入荷まちしてたの」

 なに? この寝袋、売り切れるほど人気なの?
 今の若い子の流行はわからない、と思ってしまった私は、やっぱりおじさんなのだろう。

「でもさっき発送完了メールが届いてたから、取ってこようと思って」
「……そ……そう」

 雄英の寮に届いた荷物は、すべて危険物か否かのチェックを受けた後、一階の共通ボックスに届けられる。

「だから下行ってくるね。マイトさん、それ着て待っててね」
「え、すぐ着るの?」
「そう、すぐ着るの!」

 そう言って駆けだしたくるみの後ろ姿を見送って、本日何度目かわからないため息を盛大についた。
 私が彼女の言葉に、逆らえるはずなどないのだ。



「これはさ……アウトだろ」

 リビングダイニングの姿見の前に立ち、ひとりごちた。
 いや、どうひいき目にみてもこの絵面はだめだろう。
 エビフライの寝袋を着て――しかも脇にあいた穴から長い両腕がにょっきり出ている――年の離れた妻を待つアラフィフおじさん……。やばくないか。やばいだろ。

「オールマイトさん」

 と、その時、玄関のほうから聞き覚えのある声がした。くるみ曰くの、魅惑のバリトンボイスイケメン。相澤だ。

「玄関のドアが全開ですよ。いま下で奥さんとお会いしたのできっと彼女でしょうが……いくら寮とはいえ不用心が過ぎます。……書類を届けにあがりました」
「アッ、ありがとう」
「奥さんがあがっても大丈夫とおっしゃっていたので、ちょっとおじゃましますよ」

 うん、と返事をしかけて、自分がエビフライのままであることを思い出した。
 いや、あがってこないで相澤くん。君にこの姿を見られるわけにはいかない。

「ちょ……ちょっと待ってて」
「いや、おかまいなく。時間は有限。書類を置いたらすぐおいとましますから」

 おいやめろ、合理主義者め。待っててくれよ。この寝袋を脱ぐ、ただそれだけの時間じゃないか。
 お願いだから、そこで待ってて。

「失礼します」

 私の願いもむなしく、開かれたリビングの扉。

 黒衣の男は、書類をもったまま固まっている。
 ちーん、という音が、聞こえたような気がした。続いてしばしの沈黙が狭いリビングを埋め尽くす。何時間にも感じたこの沈黙がどれくらいの間だったのか、私にはわからない。ほんの数十秒であったのか、それとも数分であったのか。

 扉を開いたまま硬直していた黒衣の教師は、やがて無言のまま長い足を踏み出した。彼は手にしていた書類をダイニングテーブルに置いて、きびすを返す。

「待って相澤くん。せめてなにか言って!」
「…………失礼しました………」
「そうじゃなくて、もっとこう、突っ込んで!」

 相澤が呆れたようにため息をついて、こちらを振り返った。その顔に、何言ってんだこのおっさん、と書いてある。

「突っ込んでって……なにも言うことなんかないでしょう……。その妙な格好でかわいい新妻とよろしくやってくださいよ」
「かわいいだって? たしかにうちのくるみはかわいいけれども、君は私の妻をそんな目で見ていたのか!」
「意外と面倒くさいなあんた……。俺はあなたの妻には興味ありません。何度も言ってますが、書類を届けに来ただけなんで」
「ちょっと待て! くるみに興味が持てないだって? 信じられないな。君、ドライアイが過ぎるんじゃない?」
「……めちゃくちゃ面倒くさいなあんた……。では言い方を変えます。俺は他人の妻には興味が持てないんです。これでいいですか?」
「不倫はしたくないということだね。それは賢明な意見だ!」
「……どうも」

 はーっという大きなため息とともにそう呟いて、相澤が再び背を向ける。

「ただいま」

 リビングのソファの前で立ち尽くすビッグエビフライマン――私のことだが――と、扉の前の黒衣の教師を見て、くるみが微笑んだ。

 ねえ、なんで君、この絵面で笑っていられるの? 前から思っていたけどさ、ほんとメンタル強いよね。一般人にしておくにはもったいないよ。

「あ、相澤先生。よかったらお茶でも」
「いえ、忙しいんで遠慮しときます。それじゃ」

 いつになくにこやかな笑みを残して、相澤が去って行った。

「相澤先生ってさ、笑うとイケメンみが増すよね。いま、めっちゃ微笑まれたんだけど」
「……それは私がこんな格好をしてたからだろ」

 この姿をくるみにアピールするため、エビフライの寝袋からにょっきり伸びた手を大きく広げた。

「あ、マイトさん似合う」
「似合うじゃないよ。こんな格好してるとこ、相澤くんに見られちゃったじゃないか」
「いいじゃない。別に。かわいいし」
「……そうかなぁ」
「そうよ。世界一かわいい」

 言いながら、くるみが私にしがみついて背伸びをした。意図を察して膝を折り、彼女の次の行動を待つ。
 くるみが私の頬に、軽いキスをした。

「さあ、これから君も同じ物を着るんだぞ。せっかくだから私が手伝ってあげよう」

 くるみの服に手を伸ばし、ひとつ、ふたつとボタンをはずしていく。寝袋なのに両手が出ちゃうのはどうなんだと思っていたけれど、なるほど、これはこれで便利ではある。

「寝袋だから服は着たままでいいのに」

 口ではそう言いながらも、くるみはなんだか楽しそうだ。そのままトップスを脱がせ、上からエビフライをかぶせると、穴から顔を出したくるみが、ふふ、と小さく笑った。

「なるほど、君はエビフライになってもかわいいな」
「マイトさんもね」

 ソファの上に腰掛けて、その上にくるみを座らせた。大小のエビフライが仲良くソファに座る図は、おそらくきっとシュールだろう。
 平和の象徴と呼ばれた男が、親子ほども年の離れた妻とこんなばかなことをしているだなんて、きっとだれも思うまい。――相澤以外は。
 それでも今は、このばかげたお遊びを楽しみたいと思い始めている自分がいる。

「くるみ」
「なあに?」

 と、顔をあげたくるみに、触れるだけの口づけを。

「もう」

 と、唇をとがらせたくるみに、君があんまりかわいいからさ、とささやいた。
 つかの間かもしれない平和の中での、ふたりの時間。
 だから今は、今だけは、こんなお遊びも悪くない。

2020.4.5
月とうさぎ