栗の花の落ちるこの時期は、雨ばかりだ。湿気と低気圧が続く梅雨どきは、肺の半分を失った者にとってはつらい。
大きく深呼吸をしてから呼び鈴を押し、ただいま、の声と共に帰宅した。
「おかえりなさい。……大丈夫? マイトさん、すごく疲れた顔してる」
「今日はトラブルが続いたからね。でも大丈夫、君の作ってくれたごはんを食べれば、あっという間に元気になるさ」
そう告げながら笑顔を返す、とくるみは少し心配そうに、小さく首を傾げた。
「……その前に、もっと元気になることさせてあげる」
なんだい? えっちなことは正直きついよ。
……まあできなくもないけれど。
思ったことを口には出さず、静かに微笑む。と、くるみははいと言いながら、私に向かって大きく両手を広げた。
「充電させてあげる」
それはつまり、ハグをしろってことだな。それは果たして、私にとっての充電なのか、それともくるみにとっての充電なのか。
とはいえ、もちろんこれも口には出さない。世の中には言わずにいた方が人間関係を円滑にできることがたしかにあるのだ。
「どうしたの? 遠慮しなくていいよ」
うん、遠慮はしていない。っていうかさ、君のこういうとこ、出会った時から一ミリたりともブレてないよね。立派だよ。
「じゃ、遠慮なく」
自分より遥かに小さくて華奢な身体を抱きしめる。と、その瞬間、ふわりと淡くバニラが香った。
密やかな甘い香りと君のぬくもりに包まれる、短いひととき。そっと腕の力を緩めて、愛するひとを見下ろした。
「どう? 元気出たでしょ?」
くるみが得意げに微笑する。
「いや、まだだ」
小さく耳元でささやくと、くるみは残念そうに眉を下げた。表情豊かな君が愛しい。
私は両の口角を上げつつ、続ける。
「だからもう少し、充電させてくれないか?」
返事を待たず、くるみを抱き上げ見つめ合う。なにか言いたげに動いた桜桃のような唇を、すかさず奪った。
もう私たちに余計な言葉は必要ない。ああだから、だからくるみ。疲れ切った私に、たっぷり君を与えてくれよな。
2022.6.21