ルージュの囁き〜SheerBrown〜

短いお話「ルージュの囁き」からの続きとなります



「ただいま」
「おかえりなさい……って、どうしたの、それ?」

 帰宅した私を見て、くるみが呆れ声を上げた。
 さもありなん。いま私の手には、ハイブランドジュエラーとくるみの好きなメイクブランドと、それから有名パティシエのお店の紙袋が、それぞれひとずつぶら下がっている。
 どうだい、と思いながら、くるみに向かってウインクをした。恩着せがましくならないように、ここはさらりとスマートに。

「ん? 君へのお土産」
「……それは見ればわかるけど……今日は記念日じゃないよね?」
「記念日でなければ、贈り物をしてはいけないのかい?」
「……そんなことはないわね。うん。ありがと」

 君への感謝の気持ちだよ、という言葉も聞かずに、我が小悪魔は私から紙袋を受け取って、バリバリと包装紙を剥がし始めた。
 いや、君らしいっちゃらしいけれども、もうちょっとこう、情緒ってものがないのかな。

「わー、美味しそー。パンプキンパイのハロウィンバージョンだ!」
「好きなんじゃないかと思ってね」
「うん。こういうのわたし大好き。ありがとう。じゃあこれ、冷蔵庫に入れてきて」
「えっ……ちょっと待って、私が入れてくるのかい?」
「だって、わたしはプレゼント開封の儀を続けなきゃいけないじゃない」
「そうだけどさ。どうせなら私の目の前で開けてくれよ」
「じゃあ、待っててあげるから入れてきて」

 わかった、とうなずいて、買ってきたパイを冷蔵庫へ。
 正直、なんでだよ、と思わないでもないけれど、冷蔵庫にパイをしまうくらい別にたいした手間じゃないし、こんなことで言い争うほど子どもじゃない。これは別に、尻に敷かれているとか、言いなりになっているとか、そういうことではないんだ。私は大人だから、つまらない争いごとを嫌うだけ。そう、それだけだ。

 キッチンから戻ると同時に、くるみが「わあ!」と声をあげた。
 彼女のてのひらの上ではフェミニンなピアスが輝いている。それは金でできた、三輪の花。

 私が戻るまで待っていると言ったのに、どうして君はそうなんだ。ほんの数秒も待てないのかよ。そう思わないでもないけれど、これもまた、くるみらしいといえば、らしい行動。

「ねえ、マイトさん。これ、すごくかわいい」

 そうだろう? 絶対気に入ってくれると思ったんだよ。
 クローバーのシリーズはいくつも持っているからさ、今回は花にしてみたんだ。立体的なハートの花びらは、実に君好みのはずだ。

「つけてみたら?」
「ここはマイトさんがつけてくれるとこでしょ」

 ぷう、とふくれながらピアスを差し出したくるみに、ハイハイ、と答え、ちいさな耳に花のピアスをつけてやる。
 まったく、こんなにわがままな君がこんなにもかわいく思えてしまうのだから、恋というのは本当に困ったものだ。一緒になってけっこう経つというのに、君への思いがいつまでも色あせないのは、いったいどうしてなんだろうな。

「かわいいよ」
「知ってる」

 ……まあ、こういうところはちょっとどうかと思うけれども。

「もう一つは、口紅ね」

 そうだと答える前に、すでに包装紙は破られている。本当に、こういうことに関して早いな君は。

「ブラウン? おばさんくさくない? わたしピンクが好きなんだけど」

 知ってるよ。君がいつもつけているのは、淡いベージュみのあるピンクから、ローズに近い深めのピンク。他の色をつけるとしてもシアーな赤か、せいぜいモーヴ。

「いつもピンクばかりじゃつまらないだろ? こういうのがね、案外似合ったりするんだぜ」
「そうかなぁ……」
「私のセンスを信じろって」
「まあ、からし色のド派手なスーツを着こなす人が言うんだから、間違いないか」

 ねえ、なんか言い方に棘がない? なんだか少しカチンときたぞ。

 くるみは私のことなんかお構いなしで、くるくるとルージュを繰り出して、つつ……と、紅を引いてゆく。一切の迷いのない所作。
 こういうちょっとしたところに性格が出るなと、ひそかに思った。

 上下にきれいに口紅をつけ、最後にかるくなじませた後、くるみは鏡の前で満面の笑みを作った。

「あ。ほんとだ。思ったより薄付きなんだ。あと艶っぽくていいかんじ」
「ほらな。言ったろ」
「うん。ありがとう」

 そう言って私の首根っこにしがみついてくるのだから、本当に君は、気まぐれで甘えじょうずの子猫のようだ。

 けれど君のそんな天真爛漫さに、私は救われているんだよ。君とすごすこの時間が、私の癒しだ。
 戦えないけれど、くるみ、君は強い。そしてそのメンタルの強さに、私は支えられている。そう言ったら、きっと君は驚くだろう。

 大好きだよ、とささやくと、わたしも、と囁き返すブラウンの唇。
 そこにひとつ、軽いキスを落としながら、小さくささやく。

「その唇で、ずっと囁き続けてくれ。私のための愛の言葉を」

 それをきいたくるみは、ほんの一瞬目を丸くして、そして大きく破顔した。

2021.10.3
※オールマイト引退より一年前の話なので本当は「ラヴィアンローズ」の前にあたる番外編ですが、今はこちらに置いておきます。
月とうさぎ