ふたたびエビフライ

「あのね、マイトさん。お願いがあるんだけど」

 おかえりなさいの声より先にくるみがそう切り出してきたとき、冷たい汗が一筋、背を伝った。
 嫌な予感に駆り立てられるように、ダイニングテーブルの上をちらりと見やる。
 そこに並べられていたのは、エビピラフと小エビのアボカドのサラダにさくらえびとズッキーニのかき揚げ、エビ天にエビフライ、大エビのコキーユ。それだけでなく、キッチンではまだなにか作っている様子だった。おそらくそれもエビだろう。つまり今日はエビ尽くし。

 年若の妻は、普段バランスの取れた食事を用意してくれるのだが、たまにこうなることがある。イベントの日はそうなりがちで、一緒になってすぐのハロウィンには、テーブルの上がかぼちゃ料理で埋め尽くされたこともあった。

 エビ尽くしも、実は二度目だ。
 あの日はエビフライの寝袋を着せられた。コロモに似せた部分を頭からかぶることでエビフライを表現したもので、頭と脇に当たる部分には穴が空いており、そこから顔や腕が出せる。ちなみに尻尾の部分は、フライ部分と同素材の赤い布で作った室内用ブーツだ。
 まさか、あのエビフライを再び着せられる日がやってきたというのだろうか。

 彼女は楽しそうにしていたが、あれは正直いただけなかった。想像していただきたい。エビフライから無駄に長い我が手足がにょっきり突き出ているさまを。

 しかもあの時は、その間抜けな姿を相澤くんに見られてしまった。あんな恥ずかしい想いをするのはもうごめんだ。

 ああそうだ。もしもまたアレを着ろと言われても、私は断固、固辞するぞ。ああ、絶対に辞退する。かわいい顔と甘えた声でおねだりをすれば、私がなんでも言うことを聞くと思ったら大間違いだ。

 だが考えていることをおくびにも出さず、私は柔らかな笑顔を作った。

「いいものってなんだい?」

 そう、無駄に長く生きているわけじゃない。大人の余裕を見せないとね。
 しかし「じゃじゃーん」と言いながらくるみが出してきたものを見た瞬間、やっぱり、と、叫びをあげそうになった。
 それはエビの形をした筒状の布だった。

 ひとつは黒のボーダーに尻尾がついたエビ――おそらく生エビをイメージしているのだろう――で、もうひとつは赤のボーダーエビ――こちらはきっと加熱されたエビ――だ
 だが、私はこれでも平和の象徴。こんなことくらいで、大きな声をあげたりはしない。

「これ、なんだい?」
「なにって、アームカバーだけど」
「……へえ……」

 思わず気の抜けた声が出た。
 私の知っているアームカバーは無地だ。柄物にするとしても、ドットとかストライプとか小花柄とか、そういう無難なものを選ぶものだろう。
 たいていは、エビを模したものなど選びはしない。

「マイトさん、めっちゃ微妙な顔してる」
「そりゃそうだろ。なんでエビのアームカバーなんて買ってきたんだい? 前に買ったエビフライの寝袋だって、結局一回着たっきりでクローゼットの奥に追いやられてるの知ってるぜ」
「そうなんだけど、これにはちょっとした事情があるの」

 なんだよ事情って、と思ったが、とりあえず話を聞いてみることにした。ここでヘタを打ったら、くるみの機嫌が悪くなる。
 言いなりになっているわけじゃあないが、せっかく好きで一緒になったのだから、できるだけ穏便に、なるべく楽しく過ごしたい。

「わたし今日、エリちゃんとショッピングモールに行ったのね」
「うん、知ってるよ。相澤くんからお礼言われた」
「洋服とか雑貨とか見てたら、これと子供用のエビフライ寝袋が売ってて」
「……うん」

 なんだろう、すごく嫌な予感がする。

「同じものをオールマイトさんも持ってるよって言ったら、エリちゃん目をキラキラさせちゃってね。思わず買ってあげちゃった」

 買ってあげるのはかまわないが、そういう言い方はやめてくれ。まるで私が好んで買ってきたみたいじゃないか。それに私だけじゃなく、同じものを君も持っているだろう。

 そう言いたかったが、かろうじて飲み込む。
 私は余裕のある大人の男だ。そう簡単に動じる姿を見せたりしない。

「でね、今日マイトさんとエリちゃんがコレをつけて、うちでエビパーティーをしよう、ってことになったの」
「なんで?!」

 自分でも驚くくらい大きな声が出た。
 大人の男の余裕はどこへ。

 いやだって、しょうがないだろう。なんで私がまたあのエビを着なきゃいけないんだ。しかもにょっきり出た腕にはまたしてもエビだ。

「それさあ、私も着る必要ある?」
「着るのがエリちゃん独りじゃ盛り上がらないし、最初にマイトさんも持ってるって言っちゃったから、エリちゃん楽しみにしちゃってるし」
「…………じゃあ、君も着たらいいじゃないか」
「そう思ったんだけど、あれ着たらちょっと動きにくいじゃない。まだお料理途中だし」
「私がそっちやるから、君はエビフライ着てエリちゃんとおしゃべりしてたら?」

 うーん、とくるみが自身の口元に人差し指を置き、ちいさく首をかしげた。
 惚れた弱みで、こういうちょっとしたしぐさもかわいいんだよな、と思ってしまった自分が哀しい。

「さっきも言ったけど、エリちゃんは背の高いマイトさんがどんな大きいエビフライになるかも含めて、楽しみにしてるのよ」
「あー……」

 なるほどね、そうだよな。二メートルを超えるエビフライ、エリ少女にしてみれば、そりゃ楽しみかもしれないよな。

「だから、ね、お願い」

 と、すがるような視線を向けてこられたら、もうだめだった。
 言いなりなわけじゃない。振り回されてるわけでもない。違うぞ断じて絶対に。

 だが私は、くるみのこういう視線とこういう声に、どうにも弱い。

「……つまり、私はあのエビフライを着ればいいんだな?」
「生エビと茹でエビのアームカバーもつけてくれる?」

 あー、これやっぱり茹でエビなんだ。どうでもいいことに感心しつつ、私は「オーケー」と応え、彼女からアームカバーを受け取った。

「寝袋はソファの上に出してあるから」
「……準備がいいね」

 もう完全に腹をくくって、エビフライを模した寝袋を頭からかぶる。頭と脇に当たる部分には穴が空いているので、そこから顔や腕を出した。もうこの時点でずいぶん間抜けなのだが、私は無言のままに、尻尾の形をした室内用のブーツを履き、右手には生エビ、左手にゆでエビのアームカバーを装着した。

 玄関の姿見に映る己の姿の、なんとばかばかしいことか。

 大昔、片手に……ではじまる曲があったが、エビではまったくさまにならない。
 せめて背中くらいは人生を滲ませたいものだ、と思いつつため息を吐いた瞬間、インターフォンが鳴った。

 子供相手に恥ずかしがっても仕方ない。ここはノリよく思い切り。
 巨大なエビフライと化した私は「私が着た!」と声高に告げながら、扉を開けた。

「……こんばんは」
「いらっしゃい…………」

 この時の気まずさ、わかってもらえるだろうか。

 目の前にいたのは、小さなエビフライとなったエリ少女。同じ寝袋を装着しているはずなのに、エリ少女のそれはとてもかわいい。
 そして問題はその隣だ。エリ少女の隣には、相澤くんが立っていた。
 そりゃそうだ。いくら復興が進んだとはいえ、この時間に小さな女の子をひとり歩かせるわけにはいかないだろう。

「本日はお招き……くくっ……ありがとう……くっ……ございます。よくお似合いで……」
「……お気に召したなら相澤くんもどうだい? よければプレゼントするよ」
「俺は遠慮しときます。それに一応エビは着てるんで」

 と、相澤が自身の胸元を指さした。

 そこには、ごくごくちいさなエビのワンポイント刺繍がひとつ。黒いTシャツほどこされたそれには、言われなけば気づけなかったかもしれない。

 ずるいぞ相澤くん。私もそっちがいい。
 こちらの想いを察したのだろう。愉快そうに相澤が続ける。

「しかし、オールマイトさん、あいかわらず奥さんに逆らえないんですね」
「相変わらずとは失敬な。そんなことはないぞ」

 夫婦は対等。逆らえないとか、言いなりだとか、そういうことではないからな。うん……ないはずだ。

「オールマイトさんはくるみさんに逆らえないの?」

 まずいぞ。純真な子供はこういうことをすぐ覚えてしまう。
 なんて返したらいいかなと間抜けな格好のまま思案していると、キッチンから出てきたくるみが、ゆっくりと微笑んだ。

「わたしに逆らえないわけじゃなくてね、マイトさんはとってもやさしいの」

 くっそ、うまいな。そう言われてしまったら、君のお願いをなんでも叶えてやりたくなるじゃあないか。

「仲良しなんだ!」
「そうね、仲良し。エリちゃんと相澤先生も仲良しだし、わたしとエリちゃんも、相澤先生とマイトさんもそう。みんな仲良しね。さあ、奥へどうぞ」

 そう告げてにっこりしたくるみに、エリ少女も楽しげに笑む。

 ああ、実に平和で、微笑ましい光景だ。

 玄関の姿見に映る己の姿は、正直とても間抜けだけれど、もしかしたら、これはこれで、そんなに悪くはないかもしれない。
 そういえば前にこれを着せられた時も、最終的には悪くないなと思ったんだっけ。

「さて、と」

 テーブルについたお客様のための飲み物を、と、巨大エビフライはキッチンへ向かう。と、そこにくるみが近づいてきた。

「マイトさん。今日はお願いを聞いてくれてありがとう」

 言いながら私の手をきゅっと握ったくるみに、どういたしまして、と微笑みかけて、すばやく額にキスをする。

「こんなこと、君とエリ少女の笑顔のためならなんでもないよ。さて、相澤くんはビール、エリ少女にはジュースを出せばいいかな?」
「ありがとう。そうしたらあなたはお客様とお話してて。私はエビのビスクを温めなおして持って行くから」
「了解」

 くるみの手を取り、細い指に唇を落とした。

 そうだ。
 ヒーローが少しばかり暇になった平和な世界で、こんなばかげたお遊びに興じるのも、たしかに悪くはないだろう。

初出:2025.7.7

サイト十周年リクエスト企画「ギャグ強めのオールマイト夢」

月とうさぎ