大きく伸びをして、事務所の電気を落とした。
今年の年末年始、ファットガム事務所は年末警備の担当だ。といっても、年が明けたと同時に年始警備のヒーローと交代できるわけではない。特に大きな事件がなくとも、例年三十分から二時間程度、終わる時間は長引くものだ。本年もそれは同様で、時刻は一時をほんの少しまわったところ。
なまえはまだ起きとるやろか、と思いながら頭上を見上げる。
自社ビルの最上階がファットの住まいだ。そこにあかりが点いていることを確認し、ファットはゆっくりと口角をあげた。
昨年まではわびしい一人の年越しであったが、今年は違う。
待っていてくれる人のいる喜びを噛みしめながら、二メートル半の巨体が一気に階段を駆けのぼる。
「たっだいまァー!」
呼び鈴を鳴らすのももどかしく、カードキーを掲げて玄関扉を開けると、奥から「おかえりなさい」という声が響いた。
「思ってたより早かったのね」
「おう。引き継ぎがスムーズにいってな」
キッチンでワイングラスを片手になにやら作っていたらしいなまえを見おろして、微笑んだ。すると彼女もこちらを見上げ、柔らかく目を細めた。笑みのかたちに。
「あけましておめでとう」
年始の挨拶を受け、こちらも同じ言葉を返す。
「なにか食べる?」
「おおきに。メシは食うてきたから大丈夫や。ちょおつまめるものがあれば助かるわ」
「ハムとチーズの盛り合わせでいい? ワインもあけたばかりだから、いっしょにどう?」
「いただくわ」
「おせちもあるけど、さすがにそれは朝になってからね。手作りじゃなくて悪いけど、梅乃井さんのだから美味しいはずよ」
「梅乃井って京都の老舗料亭やん。豪勢なおせちやな」
「母方の祖父の家が近いのよ」
そういえば、なまえの母方の実家はやはり老舗の呉服屋であると聞いたことがある。その関係もあり、近隣の料亭とも懇意にしているのだろう。
「ところで」
と、ファットは鼻をひくつかせる。
「エエ匂いしとるけど、なんか作ってたん?」
ああ、となまえが再び目を細めた。
「お雑煮のね、お出汁を引いてたの」
「え?」
「なにか問題でも?」
「いや」
問題ないけど意外やな、と続く言葉を飲み込んだ。
なまえはあまり料理が得意ではない。だからこんな時間にキッチンに立っているのも、インスタントの出汁ではなくわざわざ出汁を取るということも、しごく珍しいことだった。だからといって、余計な一言を付け加え関係を悪くする必要もないだろう。
「大阪ふうのお雑煮の作り方を調べてみたから、ちょっとね」
「お……」
あまりのことに、言葉に詰まった。
自分は食べることが好きだ。だが、女は料理をするべきだなどと、前時代的な考えはない。だからなまえが料理が苦手なことに、不満を抱いたことはなかった。
けれど、料理が苦手ななまえが、自分の為にわざわざ大阪の雑煮を作ってくれているという。その事実が、とてつもなく嬉しかった。
「……おおきに」
すこし遅れて応えたファットの声を受け、なまえの頬が赤く染まった。これがワインの酔いのせいではないことを、ファットは充分に理解している。
「そんなにたいしたことじゃないのよ。大阪と京都のお雑煮って似てるようで若干作り方が違うの。それを知れただけで勉強になったわ」
さもなんでもないというふうに、なまえがくるりと背を向けた。つれなく見えるこの行動が実際はそうでないことも、ファットは経験で知っている。
これはただの照れ隠し。
そして料理の苦手ななまえが発した「あなたの故郷のお雑煮の作り方を調べた」という台詞は、つまり、「愛している」という言葉に言い換えられる。
もちろん、そんなことを言ったが最後、しばらくは口も効いてもらえなくなるだろうが。
だからファットは「今年もよろしゅう」とだけ告げて、なまえを背後から抱きしめた。
幸福感に満たされながら。
夢本「スローなジャズを聴かせて」の夢主で書きました。
2023.1.1
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