行きつけの定食屋のアルバイトの子にそう話しかけられたのは、昼飯を食べ終わってすぐのことだった。
「なん?」
ずず、と茶をすすりながら、さりげなくファットは茶から彼女――なまえ――の顔に視線をうつした。
なまえはこちらの大学に通うため、昨年関西に出てきたばかり。明るくて気立てがよく、そしてかわいい。そんな子に頼られれば悪い気はしない。それがひそかに惚れた相手であれば、なおさらだ。
「実はね、こないだヴィランに襲われかけたところを、若い男の人に助けてもらったの。私服だったからはっきりしないんだけど、相手を倒して確保するまでが一瞬で、しかもすごく手慣れた感じだったから、多分ヒーローだと思うんだ……」
ん、とファットは眉をあげた。身に覚えある話だったからだ。
非番の日に、ファットは街でなまえを助けた。あの時ファットは痩せていたから、なまえが気づかなかったのは当然のことだ。またヴィランを連行する時間的な問題や諸々の事情もあり、名乗りもせずヴィランを連れてその場を去った。たしか先週の話だ。
「すっごくカッコいいひとだったの。金髪で背が高くて、体つきもがっちりしてて……」
「ほお……」
「ファット、その人のことなにか知らない?」
むむ、とファットは腕組みをした。自分が痩せることがあるのはあまり公にはしていないが、極秘事項というほどでもない。
――言うてもええかな、この子なら。
「おう。よう知っとるで。なん? なまえちゃん、そいつに惚れてしもたん?」
「ば……ばかなこと言わないでよ。ただお礼を言いたいだけ」
「そんな照れなくてもええやん。エエ男や思たんやろ?」
「それはそうだけど、好きとかじゃないから!」
かわいい顔を上気させ、なまえが両手をぶんぶんと振る。
これ脈ありやん、とファットは心の中でガッツポーズを決めた。こんな好機をわざわざ見逃すことはない。定食屋のバイトと常客という今の関係を、別のものに変えるいい機会だ。
「そのイケメンな、実は俺やねん」
「は?」
「せやから俺やて。俺、たまに痩せることあんねん。で、マイトサインの裏でキミを助けたんは、痩せた俺」
「……ファット……」
真顔になったなまえがファットの顔をまじまじと見つめる。そして数秒ののち、小さな手のひらが、ファットの背中をばちりと叩いた。
「もう。ふざけないで! こっちは真剣な話をしてるのに!」
「……いや、せやからキミの探し人はここにおるって」
「もういい!」
なまえが柳眉を逆立てる。これあかんやつや、と気づいたときにはもう遅い。彼女はひどく立腹し、厨房の奥へと去ってしまった。
「……ほんまに俺なんやけどなァ……」
――いつになったらこの気持ち、わかってもらえるんやろか。
大きくため息をついてから、ファットは静かに湯飲みを傾ける。濃く淹れられた番茶はファットの舌に軽い苦みを残して、喉の奥へと消えていった。
***
「もう」
定食屋ののれんを下げながら、なまえはひとつ、ため息をついた。
先週、マイトサインの裏でヒーローと思しき男性に助けられた。私服だったところを見ると、おそらく非番だったのだろう。だから一言お礼が言いたかった。それだけだ。
「……あんなふうに言うなんて」
助けてくれた男性は、たしかに格好のいい人だった。なかなかお目にかかれないようなイケメンだ。けれど見た目がいいからといって、それだけで好きになったりしない。
なにより、なまえにはひそかに想うひとがいる。明るく楽しく気さくで、熱くて正義感溢れるヒーローだ。それは他でもない、ファットガムなのに。
けれどファットは、なんでもないような顔をして、「そいつに惚れてしもた?」とたずねた。いや、なんでもないどころか、むしろ楽しそうだった。その上で、彼は「そのイケメン、俺やねん」と言った。
「もう全然……脈なし……」
あの時はからかわれたことに腹を立てたフリをしたが、そうではない。本当は、ひどく悲しかったのだ。
「……やっぱり、わたしのことなんかなんとも思っていないんだろうな……」
だから、あんな悪い冗談も言えるのだ。平気な顔で。
――いつになったらこの気持ちが伝わるんだろう。
涙が出そうになったから、きゅ、と唇を噛んで、空を見上げた。
都会の狭い空に見えるのは、大好きなファットガムによく似た、まんまる黄色いおつきさま。
同じ気持ちを抱えながら相手の想いに気づかない、二人の距離が縮まるまでは、まだまだ遠い。
2023.1.29
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