甘え上手

「今日は薔薇のお風呂っちゅうことで。どないやろか?」

 四角い箱のフタをぱっかーんと開きながら、太志郎がいきなりそう告げた。
 なるほど、たしかに正方形の箱の中身は色とりどりの薔薇の花。茎や葉はカットしてありヘッドの部分だけがきれいに並べられているところからみるに、お風呂用のお花ということか。花数も百くらいはありそうだ。これだけあれば、この家の巨大なバスタブに浮かべても、きっと見栄えがするだろう。

「とても素敵だけど、それ、どうしたの?」
「クイズ番組の景品でもろたんや。放送は明日。見たってや」
「花より団子のあなたに、薔薇ねえ」
「なに言うとんねん。俺ほど薔薇の似合とる男はおらんやろ。ファットさんはいつも薔薇の香りやで」
「太志郎はいつもたこ焼きの香りでしょ?」

 言いながら太い腕に自分のそれを絡ませた。太志郎からは、いつもたこ焼きの美味しそうな匂いがする。それともうひとつ。あたたかなお日様の香りもだ。

「そら、ええちゅうことやな?」
「今日は泊まるつもりだったから、もちろんいいけど、入るのは別々よ」
「なんでぇ?」

 心底残念そうな声を、太志郎が出す。

「だって恥ずかしいもん」
「ほな、暗くしたらええ?」

 いつも電気を消すのを渋る――でも結局は消してくれる――彼にしては、珍しいなとひそかに思った。
 さすがに真っ暗な風呂場ではなんだからと、わたしがアロマキャンドルを用意したが、太志郎はそれも好まない様子だった。なんでも、小さなキャンドルに火を点すというちまちました行為が、彼の性にはあわないらしい。

「……まあ、それならいいけど……キャンドルつける?」
「いや、ローソク使わんでも好きな明るさにできんで。風呂場の電気な、調光式のに変えたんや」
「え?」
「イヤ、なまえいつも恥ずかしいから電気消せ言うやん。真っ暗な風呂場は危ないし、かといってちまちまローソクつけるのも性に合わへんし、明るい風呂に入れて強制するのもあかんやん」
「それはそう」

 一緒には入らない、という選択はないのかな、と思ったが、あえて口には出さなかった。 こういう関係になってわかったことだが、地元の若者や若手のヒーローたちに兄貴と慕われるファットガムは、存外甘えたで、しかも甘え上手だから。

「ほな、いっそ電灯ごと変えたろ思って。調光できるのにしたんや」
「……」
「な、一緒に入ろ? なまえ好みの明るさに調節すればええんやろ? な?」

 大きな身体を折り曲げて懇願する太志郎を見ていたら、まあいいかな、という気持ちになってしまう。かわいさに負けてしまうのだ。本当に、これはいつものことだった。

「……ほんと、あまえじょうずよねぇ……」
「そら、相手がなまえやからや」

 君だけやで、と耳元で続けられたささやかな響きは、普段彼がファットガムとして敵を前にした時の凄みあるしゃがれ声でも市民に向けるキュートで陽気な声音でもなく、低いが甘い色香を含んだ、豊満太志郎という、ひとりの男のものだった。

***

 広い浴室内を、薔薇の香りが満たしていく。人工的な薔薇のエッセンスにありがちなくどさのない、青みを含んださらりとした香。
 灯りも先ほど太志郎の言っていたとおり、暗すぎず、さりとて明るすぎず、適度な明るさに調節されている。うっすらとオレンジがかったやわらかな光は、キャンドルの炎ほどではないが、落ち着いたムードを醸し出すのには充分だった。
 太志郎の大きな身体に包まれながら、目の前に浮かぶ白い薔薇を、ひとつ手のひらに載せた。百輪の薔薇を浮かべたお風呂だなんて、なんてロマンチックなんだろう。

「素敵ねぇ」
「せやなぁ」

 後ろから巨大な手が伸びてきて、周囲に浮かんでいた薔薇をいっきにすくい取り、わたしの目の前でそれを広げた。いつみても大きな手、と思いながら、目の前に掲げられた薔薇の香りをゆっくりと吸い込む。華やかな香り、やわらかな湯気、そして愛しいひとの大きな手のひら。
 いいかおり、と呟くと、そらよかったわ、という応えとともに、巨大な手のひらの上にの薔薇たちが、再び湯船に浮かべられる。

「電気もいいね。やさしい色で」
「この電気なぁ、七色にもできるっちゅう話やったんやけど、なまえは嫌がりそうやから、普通のにしてもろた」
「それは助かる」

 照明が七色に変化するお風呂なんて、場末のラブホみたいだもの。いや、場末のラブホとやらに行ったことはないから、あくまでもイメージなのだけれど。
 そう思いながら、目の前の手をとって、太くて長い指に、自分のそれをからめた。

「なー」

 甘い声で、太志郎がささやいた。なあに、とたずねると、彼は大きな身体を軽く揺すって続ける。

「ファットさんのファットさんが、めっさおっきくなってしもたんやけど」

 あ、うん。わかってた。さっきからずっと、硬いものが当たっていたから。

「……いまは我慢して」
「ええ〜。ええやん。ここでしよ。ちょっとだけ、ちょっとだけやさかい。なんなら先っぽだけでも」

 そんなこと言って、始めたらぜったい最後までしてしまうだろうことは火を見るよりも明らかだ。
 わたしたちはお互いに、相手に与えられる快楽に弱い。それは今までの経験でわかっている。それでいい時もあるけれど、今はもう少し、せっかくの薔薇のお風呂を楽しみたかった

「ここじゃだめ」
「ほな、もう出よか。ベッドならええやろ?」
「いまはやだ」

 ひくく答えると、太志郎は珍しく黙りこんだ。
 その間数分……いや、もしかしたら数十秒であったのかもしれない。普段饒舌な人の沈黙は、そうでないひとのそれよりも長く感じるものだから。

「……ゴメン」

 ぽつりと太志郎が呟いた。彼は続ける。薔薇の香りの中で。

「俺、がっついとったわ。せっかくの薔薇のお風呂やもんな、ゆっくり入ろ」

 と、耳元でささやきながら、太志郎がわたしを抱く腕に力をこめた。力強いけれど、やさしい抱擁。
 太志郎は、決して行為を強要したりしない。今のように、彼の身体に性的な変化がおきていたとしても。

「うん……。あとでね……」

 答えながら大きな手の甲に、ちゅ、とちいさく口づける。
 本当の甘え上手は、いったいどちらなのかと心の中でつぶやきながら。

「大好きよ」
「おおきに。俺もや」

 すっぽりとわたしを包み込みながら、太志郎がやさしくささやいた。
 薔薇の香りと幸福で満たされた、広い広いバスルームで。

2023.4.23
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