冬の海軟風

 冬の海に昇る朝日を見に行こう、と言い出したのは、彼の方だった。

「……寒ないか?」

 頭上から降ってきたのは、むろん太志郎の声だ。低くしゃがれているけれど、その声音はいつものように優しい。

「大丈夫」

 ――だってあなたに包まれているからという言葉を飲み込んで、簡潔に答えた。

 BMIヒーローである太志郎は、その呼び名から連想されるように身体にたくさんの脂肪を抱えている。様々なものを吸着できるその脂肪は戦闘時のみでなく、人を包み込むためにも使われている。例えば、数人を抱えて運ぶときとか、こうしてつめたい海軟風からわたしを守るためだとか。

 うっすらと明らみ始めた空の下、大きなおなかにわたしを納めている太志郎と、大きな人のおなかから首だけにょっきりと出しているわたしの姿は、ふつうに身を寄せ合っているカップルに比べて、きっと異様なものであったろう。

「そろそろや」

 と、また低く、太志郎が呟いた。

 そうしてふたり、明らんでゆく空を見つめた。無言のままで。

 静かなる夜明け。白々とした空と海をオレンジ色の太陽がゆっくりと照らしてゆくさまは、ため息が出るほど美しかった。

 幸せだ、と内心で呟き、同時に、こうやって太志郎とずっと一緒にいられたらどんなにかいいだろう、とひそかに思った。昇る朝日だけでなく、夕焼け空や一番星や満月を、一緒に眺めることができたら。

「あのな」
「あのね」
「なん?」
「なに?」

 ふたり同時に、しかも続けて同じことを言ったことに気がついて、同時に軽い笑い声をあげる。ふたりでひとしきり笑ったあと、太志郎がちいさく咳払いをした。少しわざとらしい感じで。

「……キミからどうぞ」

 キミなんていう呼び方、ふだん名前で呼ぶ彼にしては珍しい。なんだかちょっと他人行儀な感じがして、少しさみしかったりして。

「太志郎からどうぞ」

 ん……と答えて、太志郎がまた、こほりとちいさく咳払いをした。おなかのお肉に埋もれているから、振動がダイレクトに伝わってくる。

「これからも、こうして昇る朝日を一緒に見いひん?」
「え?」
「いや、朝日だけやのうて、夕焼けとか、一番星とか、満月とか……なんや空ばっかりやな」

 くつくつと笑いながら太志郎が続ける。

「空見上げるだけやなくて、キミとずっと一緒におれたらええな……て思うんや」
「それ! わたしも同じこと考えてた」
「ええ? そらもう運命やん。ほな一緒に住んでまう?」
「住むだけ?」
「せっかくやから籍も入れとこ」
「ついでみたいに言うじゃん」
「……わざわざこんなとこまで連れてきて、ついでなわけないやん」

 わかってる。あなたは図太いようでいて、案外シャイなところがあるから。

「それなら、籍入れましょ」
「せやせや。そうしよ」

 嬉しげな太志郎の声を聞きながら、せっかくのプロポーズなのに、なんだかちょっとムードがないなあ、なんてことを考えた。だって、おなかに埋もれたままでは、顔も見えなければキスもできない。

「なあ」
「ん?」
「チューしたくなってしもたんやけど」
「……キスするとなると、おなかから出なきゃだめだよね?」
「まあ、出てもらわんとでけへんな」
「じゃああとにして。寒いから」
「いやひどいなキミ」

 本当は似たようなことを考えていたのだけれど、それは口には出さないでおく。ちゅーしたいと言われてずぼっとおなかから引っこ抜かれるのは、やっぱりムードがない気がしたから。

「キスはあとで、たくさんしようね」

 おう、と答えながら、太志郎がわたしのあたまをくしゃりと撫でた。きっと彼は今、照れ笑いをしているに違いない。

 つめたい海軟風の吹く中で、大きなおなかにわたしを納めて笑んでいるであろう太志郎と、大きなおなかから首だけにょっきりと出して笑っているわたしとを、生まれたばかりの太陽が優しく照らし続けていた。

2024.1.26

Twitter(現X) 憂様【@torinaxx】のワードパレットより
「冬の海軟風」身を寄せ合って 明らんでいく 無言

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