ひまわりと百合

「ただいまァ〜」

 慣れ親しんだ自宅の扉を、いつものように開けた。
 なまえはフリーランスの記者という帰宅時間の読めない仕事をしているので、出迎えの声があるときもあればない時もある。本日は後者だ。
 だが、玄関には脱ぎそろえられたパンプスが置いてある。どうやらなまえはすでに帰宅しているようす。

 おるなら返事くらいしてや、と、思いながら「ただいま〜」と、同じセリフをもう一度。
 これはファットのちいさなわがまま。今日はそれくらい許されるだろう。なぜなら今日は――。

「お帰りなさい。お誕生日おめでとう!」

 リビングの扉を開けたとたん、大きな花束と共に出迎えられた。
 なるほど、この準備があったから、出迎えの声がなかったのか。それにしても、ひまわりと白百合にグリーンが添えられた花束は、ずいぶんと立派で。

「おお……。どないしたん? この花束」
「買ったのよ。ひまわりってあなたと似てるでしょう? 花も丸いし、大きいし」
「まあ、それはよう言われるけども」
「だから、あなたのお誕生日にぴったりだと思って」
「さよか。おおきに」

 満面の笑みを浮かべてお礼を言いはしたものの、個人的には花より団子を好むタチ。大きな花束よりもたこ焼きの山のほうがありがたい――と思ったが、それはもちろん、口には出さない。

「ん? このにおい……」

 ふと出汁の焦げたような匂いを感じて、ファットは鼻をひくつかせる。と、わかる?となまえが小さく笑った。その笑顔はとても美しいけれど、同時に嫌な予感が胸をよぎった。

「今日はあなたのお誕生日だから、たこ焼きをたくさん焼いたの!」

 予感的中。

 なまえは仕事はできるし掃除整頓もとても上手だ。たいていのことはそつなくこなす。だが、なぜか料理だけはダメなのだ。食べられないほどではないが、進んで食べたくはないという、微妙なレベルのメシマズなのだ。

 どう返すべきか、と自問して、どうもこうもないやろ、と自答した。
 料理の苦手ななまえが、心を込めて作ってくれた料理だ。

――漢、豊満太志郎、大喜びして食卓に着き、その気持ちに感謝して、ありがたくいただくべきや。そうしろ俺。頑張れ俺。

 ああ、だが、しかし、他の料理は譲れても、たこ焼きだけは……たこ焼きだけは譲れない。
 ちらりとテーブルに視線を走らせる、と、そこに置かれた鉄板の上でぶすぶすと嫌な音を立てている黒っぽい球型を発見し、絶望的な気分になった。

――焦げとるやないか。

「ちょうど今焼けたところだから、お花そこに置いて、手を洗ってきて」
「お……おう。……たのしみやな……」

 言われるがままに手を洗い、食卓につく。と、なまえがファット専用の特大ジョッキにビールを並み並みと注いでくれた。

「ではあらためまして、豊満くん、お誕生日おめでとう」
「おおきに」

 景気づけにとビールを半量ほど飲んで、なまえお手製のたこ焼きを一口。

「お? 思ったより味悪ないな」
「それ、どういう意味?」

 つるりと口からこぼれ落ちた言葉をキャッチしたなまえが、きりりと柳眉を逆立てる。もともとの顔立ちが整っているだけに、なまえは怒った顔をすると怖い。
 そして悪いことに、ファットはなまえに叱られると、なぜか背筋がゾクゾクして、嬉しいような照れくさいような、妙に甘酸っぱい気分になってしまう。これは士傑高校で出会った頃からずっとで、自分でも少し呆れてはいる。しかし、怒る方になってみれば、やはりいい気分はしないだろう。

「やや、ちょっと焦げとったから、苦いかなと思ってたんや」

 だから、感じていたことの一部を素直に告げた。そうすればなまえは許してくれる。
 なまえは昔から、ファットに甘い。ファットはそこに気づいているし、おそらくはなまえ自身も知っている。

「ああ、そういうこと。たしかに焦げちゃってるもんね」

 うまくできなくてごめん、となまえが眉を下げる。

――ああ、ちゃうで、そんな顔をさせたかったワケやないんや。

 ファットも同じく、眉を下げた。

「焼き方は正直アレやけど、味はめちゃめちゃええよ。ホンマ驚いたわ。どうやって作ったん?」
「たこやき生地の配合を『こなもん屋』のご主人に教えてもらったの」
「え? あの頑固オヤジに?」

 こなもん屋は、近隣でも一、二を争ううまいお好み焼き店だ。その秘伝レシピとなれば、それはうまいに違いない。

「よく教えてくれたなァ」
「うん。あなたのお誕生日にたこ焼きを作りたいので、初心者でもできそうなレシピはありますでしょうか? っておたずねしたら教えてくれたの。ファットにはいつも世話になってるからって」
「ほお。そら、感謝やなぁ」
「そうね。あとでお礼言っといて」
「ああ、ちゃうで。こなもん屋のオヤジさんもそうやけど、一番感謝しとるのは君にや。忙しい中、わざわざ聞きにいってくれたんやろ? ほんまおおきに。大好きやで」

 するとなまえは、花のようなかんばせを真っ赤に染めた。なまえは普段クールぶっているが、たまに見せるこうした素の部分がとてもかわいい。

「大大大大大好きや」
「わかったから」

 そう言いながら、赤い顔を見られぬようにそっぽを向く、そんなところがますます愛しい。

「ほな、残りの生地は俺が焼くよ。君は座って待っとって」
「でも、あなたの誕生日なのに……」
「俺がたこ焼き焼くの好きなのも知っとるやろ?」
「そうだけど……」
「ここは江州羽のたこ焼き名人、ファットさんにまかしとき。ほな、いきまーす」

 大きなボールの中身を、鉄板に注ぎ込む。とたんに広がる、出汁が焼ける匂い。
 うん。いい匂いだ。自身の誕生日に、大好きな君と、大好きなたこ焼きを焼いて食べる。こんな幸せなことがあるだろうか。

「世界一うまいたこ焼き作ったるでェ!」
「楽しみ」

 と、応えたなまえの向こうに、先ほどもらった花束が置かれている。丸くて大きなひまわりと、楚々としたようすの白百合と。そしてその脇には、ラッピングされたちいさなボックスがひとつ。

――あれプレゼントやな。君は料理だけやのうて、サプライズもへたやったんか。

 長く一緒にいるのに、まだまだ知らないことがある。これから一緒に年を重ねて行くたびに、発見も増えていくのだろう。それはそれで楽しみだ。
 トトトト、と、鉄板のくぼみに一つずつたこを入れながらなまえを見つめる。

「今日はおおきにな!」

 にかっと笑うと、なまえもまた微笑んだ。
 ひまわりの隣で咲く、白い百合のように。

2024.8.8
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