八月八日

「なー。俺、来週誕生日なんやけど!」

 知っている。あなたの誕生日は八月八日。付き合って初めて迎えるお誕生日だから、何を贈ろうか、どうすごそうか、実はずっと考えていた。
 もちろん、そんなこと、口に出したりしないけど。

「うん、知ってる。だから?」
「だからてキミ、付き合うて初めての誕生日やっちゅうに、めっちゃ塩対応やな」

 やや不服そうに、豊満くんが口をとがらせる。本当に、このひとはいちいちかわいい。ふくふくしたほっぺをつつきながら「プレゼントなにがいい?」とたずねると、彼が満面の笑みを浮かべた。

「誕生日は休みとるつもりやから、一緒に過ごそ」
「わたし休みとってないけど」
「えええ……ほんまぁ〜?」

 心底残念そうに、豊満くんがまあるい肩をがっくりと落とす。

「嘘。八日だけじゃなく九日も休みとってある」
「なんや〜。もう。なまえは意地悪やなあ」

 ぱああ、と花が咲くように、豊満くんが笑顔を浮かべた。
 かわいい、かわいい、かわいい、かわいい。

「それだけでいいの?」
「ほな、もうひとつリクエストしてええ? 浴衣着てくれへん? どやろか?」
「浴衣?」
「せや。覚えとる? 高三んとき、普通科の寮生のみなさんが『受験の息抜き』言うて、浴衣でイベントみたいなのやっとったやん」

 そういえば、そんなことがあった。誰が言い出したのか忘れたが、受験勉強の疲れが出はじめていた高三の夏、みんなで浴衣を着て、寮の中庭でかき氷や流しそうめんをやったっけ。

「俺もたこやき屋台ひっさげて参加したろ思とったんやけど、俺らヒーロー科の夏はインターン三昧やったやん。結局参加できなくてなあ、ひそかに涙を飲んだんや」
「そうだったの?」
「あん時、キミの浴衣姿が見られへんかったのが今でも俺の心残りや。せやから、誕生日は浴衣でデートしてくれへん? 持っとらんかったら買うたるで」
「なんであなたの誕生日に、わたしがプレゼントされるのよ。大丈夫、持ってるから。浴衣で一緒にお出かけしましょうね」

 やった、と、豊満くんが丸いお顔に満面の笑みを浮かべた。

***

 ところがである、誕生日前夜から当日の朝方まで、豊満くんは帰らなかった。なんとなく予想はついていた。開放的になりがちな夏の繁華街は、事件が多発するものだから。
 本日の主役がヘロヘロになって帰宅したのは、朝の六時半。

「お帰りなさい。お誕生日おめでとう」
「おおきにぃ。……帰るの朝になってもうてスマンな。ほな、なまえが着替えてメシ食うたら出かけよか」

 こんな時間じゃまたお店も開いていないわよ、と内心で呟いて、ボロボロに疲れはてながらもわたしに向かってかがみ込んだ、優しくも愛しい彼のほっぺにキスをする。

「豊満くんは、まずお風呂に入って一眠りして。デートは午後からでいいから」
「……せやけど」
「いいから、さっさとお風呂入って寝なさい!」

 そう語気を強めると、豊満くんはやや不服そうにしながらも「ハイ」とちいさくうなずいた。

***

実際、豊満くんはひどく疲れていたようで、お風呂から出るなりベッドに倒れこみ、あっという間に眠ってしまった。
 わたしはその間にたまった家事をやっつけて、水出しのコーヒーを飲みながら、積んでおいた文庫本を手に一休み。

 三冊目を読み終えて、壁の時計を仰ぎ見る。時刻は一時二十分。あの寝入りようだと、豊満くんが起きるのはきっと三時頃だろう。疲れているだろうから、できるだけ長く寝かせておいてあげたい。それに浴衣でのおでかけは、昼間の明るいうちよりも、夕暮れ時を過ぎてからの方が好ましいというものだ。

「さて」

 爽やかな青を基調にした鰹縞の浴衣を広げながら、ふふ、とちいさく声を漏らした。やっぱり、新品をおろす瞬間は悪くない。なんとなく嬉しくなって、するりと手のひらで生地をなでた。近江ちぢみ特有の、コシがある、だが柔らかな手触り。さらりとした上質の布地は、きっと肌になじむだろう。これを見た時の、彼の顔が楽しみだ。

***

「ウワー! 俺のために浴衣着て待っとってくれたん? めっちゃ似合とるわぁ。世界で一番かわいいわぁ!」

 予想していた通り、涙を流さんばかりに喜ぶ豊満くんの絶賛を、はいはいと受け流した。本当は、とても嬉しい。浴衣を着ただけでこんなに感激してくれる大好きなひとの存在の、なんとありがたいことか。かわいげのない女であるわたしをこんなにもかわいいと言ってくれるのは、きっと豊満くんだけだ。

「ほな、出かけよか?」
「なに言ってるの。あなたも着るのよ」

 「エッ、俺も?」と意外そうな顔をした彼に「そうよ」と応える。

 だって今日はあなたのお誕生日だもの。わたしがプレゼントした浴衣で、一緒に街を歩くの。わたしの浴衣は中藍色の絹紅梅で、あなたのは近江ちぢみの鰹縞。どちらも青系の浴衣だから、柄も生地も違うのに、どこか統一感がある。

「それにしても、よぉ俺のサイズあったなあ」
「プレタの浴衣もあるけど、基本的に和装ってオートクチュールだから」

 とはいえ、豊満くんの体格は規格外だから、個性出現前の力士がそうしていたように、幅広の反物をつなぎ合わせて仕立てるしか方法がなかった。そのうえで、普通なら一月はかかるお仕立てを、懇意にしている仕立屋さんに交渉し、一週間であげてもらった。

「そうなん? ほな、なまえのそれも? 吊しちゃうん?」
「ええ。これは二年位前に仕立てたの。やっぱり身体に合ったもののほうが着やすいから」
「へえー。ただ、せっかく買うてくれたのに水指すのもなんやけど、俺、浴衣自分で着られへんで。帯がわからん」
「大丈夫よ。わたし着せられるから」

 鰹縞の浴衣を、豊満くんの目の前で大きく広げた。彼は恰幅がいいから、ほとんど補正の必要はないだろう。男性の着付けはおはしょりもいらないし、帯結びもシンプル。そう難しくはないはずだ。

「なまえが着付けもできるなんて知らんかったわ」
「ああ、言ってなかった? うちね。母方の実家が呉服屋なのよ。だから小さい頃から和服には親しんでるの」
「そら初耳や」

 思った通り、彼の着付けはすぐできた。すっきりとした白の角帯を貝の口に結んで終了だ。

「鰹縞はくどいかなとも思ったけど、すごく似合ってる。すてきよ」
「おおきに!」

 大輪のひまわりが咲くように、豊満くんが笑った。わたしの好きな笑い方。それがあんまり眩しかったから、自分の中に湧き上がった好きという感情をごまかすように、口を開いた。

「さ、行きましょうか。実はね、予約してあるの」
「どこ連れてってくれるん?」
「屋形船。十人前の食事付きよ」
「ウワー、めっちゃ豪勢やな」
「お誕生日だからね」

 太い腕にそっと手を添えて、ふたりの部屋をあとにした。

 あのね、と、にこにこしている彼を見上げて、心のなかでこっそり呟く。
 高三のあの日、わたしも残念だったのよ。あなたに浴衣姿を見てもらえなくて。本当は、いつ乱入してくるかと、いまかいまかと待っていたのに。
 でも、あの日着ていた桜色の浴衣はもう着られないけれど、今、あなたと出かけられることが、とても嬉しい。

「暑っつ!」

 豊満くんが、汗をふきふき声をもらした。
 夕方とはいえ、真夏の日差しはまだまだ苛烈。けれどその日差しから守るように、さりげなく陽が当たる側を歩いて、自らの身体で日陰を作ってくれるやさしいひとのおかげで、わたしはそんなにつらくない。
 どうしよう。怖いくらいに幸せだ。この幸せがずっと続いてくれたらいいのに。

「どないした?」
「浴衣でおでかけも、たまにはいいなと思って」

 素直ではないわたしは、思っていたこととは違う言葉を口にした。

「せやなあ。さっきも散々言ったけどめっちゃ似合とるし」
「来年もこうして一緒に浴衣を着てでかけましょうね」

 はた、と豊満くんが驚いた顔をして、足を止めた。

「何言うとるん。来年どころか、再来年もその次もその次も、なんならその先もずっと、毎年こうして出かけようや」

 照りつける真夏の夕陽を見上げながらそう告げた豊満くんに、わたしはうなずく、ごくごく小さく。

 本当に、これから先もずっと、あなたが生まれてきてくれた日をわたしに祝わせてね。
 お誕生日、おめでとう。

2022.8.8
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