小夜はパステルピンク

 大きなベッドの上で正座して、わたしは年上の恋人を待っている。
 身にまとっているのはパステルピンクのベビードール。

 これは、ミッドナイトこと睡さんからのプレゼントだ。マイトさんとつき合うことになったと報告をしたら、お祝いにと買ってくれた。
「いい? 男は視覚に訴えると弱いのよ。こういうのを着て悩殺しちゃいなさい」
 美しい18禁ヒーローはそう言って、芍薬の花のような面をほころばせた。

 睡さんお勧めの「勝負用ナイティ」は、どきどきするくらいセクシーだ。
 胸元にあしらわれた、繊細なレースや裾のフリル。
 アンダーバストは黒のバイヤスで切り替えられ、その下は中央から左右にわかれている。生地は透けるオーガンジーで、シルエットは裾広がりのAライン。
 切り替えの上、つまり胸元は透けないようサテン地のカップとレースで覆われていた。
 アンダーバストの中央には、黒いリボンが施されている。それをほどくと胸元があらわになって、するりと脱げるようにデザインされたものだ。
 このベビードールにはおそろいのショーツもあって、パステルピンク地に両サイドが黒のリボンになっている。
 つまりは黒いリボンを三回ほどくだけで、わたしは全裸にされてしまうということ。

 可愛いけれど、わたしにはセクシーすぎるんじゃないかと少し不安になってしまう。
 果たしてマイトさんは、引いたりせずに、可愛いと思ってくれるだろうか。

 あの蓮池の公園でマイトさんと気持ちを通わせてから、もう三週間もたっている。
 わたしはベッドの上で正座したままあの日の夜を思いだし、一人顔を赤らめた。

***

 背後で扉が閉まる、重たい音がした。
 それと同時に、むわっとする真夏特有の重たい空気に襲われた。気密性の高い集合住宅の室内は、とても蒸し暑い。
 靴を脱ごうとしたその瞬間、後ろから優しく抱きしめられた。

「マイトさん?」
「ここで質問です。ご飯にする? お風呂にする? それとも私?」

 耳元に吹きこまれた甘い低音。吐息が耳にあたってぞくぞくする。

 どうしよう、どうしよう。
 玄関ホールからまっすぐ続いているはずの廊下が、ぐにゃぐにゃに歪んで見える。どうして周りがぐるぐると回っているのだろう。
 回っているのは周りではなく自分の目であるのだと、気がつくまでに少しかかった。

「そ……そういうのって、普通女性側が聞くものじゃないんですか?」
「だって実桜。私は『もちろん君だよ』って答えるぜ?」

 いいのかい?、とまた、耳元で囁く低い声。
 ああ、もう。こういう時に口調を変えるのは、本当にずるい。

「じゃっ……あの公園で汗をかいたし、お風呂が先で……」
「了解。一緒に入るかい?」
「@$%#&*+〜〜〜〜」

 振り返りながら言葉にならない返答をしたわたしを見下ろして、マイトさんが噴き出した。

「冗談だよ」
「……子ども扱いしないでください……」
「ごめん。君がかわいいからつい」

 マイトさんがぐっとわたしに屈みこんだ。額に優しいキスを落として、彼は続ける。

「じゃ、私が先に入っていいかな」

 鼻歌交じりでリビングダイニングを通過し浴室に向かった恋人を見送りながら、わたしはどうしようと頭を抱えた。
 「大切なのは時間じゃない」などと自分で言ったくせに、いざとなったら怖くて怖くてたまらない。
 どんなことをするのかはなんとなくわかっているけれど、どうふるまえばいいのかわからない。それにとっても痛いと聞いた……身長差もすごいし、大丈夫なのだろうか。

 わたしは軽く頭を振ってからダイニングへと移動した。慌てたってしかたがない。
 と、その時、ダイニングテーブルの上に、大手薬局チェーン店の黄色いビニール袋が置いてあることに気がついた。
 この袋は、先ほどまでマイトさんが持っていたもの。
 わたしがICカードのチャージをしている間、マイトさんがすごい勢いでどこかへ走っていって、同じような勢いで戻ってきた。その時にはもう、あの大きな手にはこの袋が握られていたような気がする。
 電車の中で何を買ったんですかと尋ねたら、内緒だよとウインクされた。
 中身はいったいなんだろう。大学で怪我をした腕の傷が痛むのだろうか。
 そう心配しながら、袋の中身を確かめた。

「ひえええええ」

 思わず変な声が出た。
 そこには、長方形の箱がひとつ。
 黒地に、マンモスのイラストのパッケージ。これは、いわゆるひとつの避妊具だ。
 それにしても避妊具にマンモスって……と顔が引きつるのを自覚しながら、箱をくるりと返してみる。
 そこに書かれた恐ろしい言葉を確認し、わたしはめまいをおこしそうになった。
『極太! 最長! メガビッグ! 特大サイズのあなたでも安心』

 ごくぶと? さいちょう? めがびっぐ? 

 ああ、どうしよう。これはほんとに見るんじゃなかった。
 でもこれは『オールマイト』でいる時のサイズかもしれない。痩せた姿になったらきっとこんなサイズじゃない……はず……。うん、そう、きっとそう。

 黄色い袋の中に箱をそっと戻しておいてから、「どうかそうでありますように」とわたしは神に祈りをささげた。

「なんか変な声上げてたけど、大丈夫?」

 後からマイトさんの声がして、飛び上がらんばかりに驚いた。
 大丈夫ですと答えるために振り向いて、また卒倒しそうになってしまう。
 マイトさんは、素肌にタオル地のバスローブをまとっていた。
 襟から覗く鎖骨と胸元。その破壊力たるやない。

「だっ……大丈夫です! わ……わたしもシャワー浴びてきますね」

 緊張のあまり声が裏返ってしまった。マイトさんは一瞬けげんそうな顔をしてから、うんと小さく頷いた。



 シャワーを浴びながらふと思う。
 わたしたちは一緒に住んでいるから、これは新婚初夜のようなものなのだろうか。
 マイトさんは大人だから慣れているのかもしれないけれど、わたしは正真正銘初めてだ。
 どうしよう、やっぱり怖い。でも今さらやめてくれなんて、ちょっと言えない雰囲気だ。

 着替えには、一番かわいいと思うピーチピンクに白の水玉のルームウエアを選んだ。Tシャツにショートパンツで、袖口とパンツの裾にフリルがついたもの。少し子供っぽいだろうか。

 シャワーを終えてリビングに戻ると、マイトさんの姿が消えていた。例の袋も消えている。
 どこだろうと思って探してみると、エアコンの効いた自室の大きなベッドの上で、ヒーロー雑誌を読んでいた。

 ……どうしよう……やっぱりやる気満々だ……
 
 お風呂から戻ったわたしを、マイトさんは照れ笑いで迎えてくれた。
 ばさりと雑誌をサイドテーブルに置き、こちらのほうに向き直る。
 両肩を優しく抱かれて、優しいキスを落とされた。

「実桜……」
「はい、あのっ、マイトさんっ! 教えてください!」
「……名前が違うよ」

 やんわりと訂正されて照れ笑いが漏れた。ずっと呼びたいと思っていたマイトさんの名前。けれど、こういうところでいざ呼ぼうとすると、なんだかとってもてれくさい。
 顔に朱が上るのを感じながら「俊典さん」と呼ぶと、マイトさんは満足そうに目を細めた。 
 わたしは質問の続きを口にする。

「……男性のその……あれ……は、体格とは比例しないというのは本当でしょうか」
「は?」

 唐突な発言にマイトさんはほんの一瞬眼を丸くして、やがてぷはっとふきだした。

「まあ小男のなんとかとも言うしね。でも私はマッスルの時と比例してるよ。長さも太さも」
「えと……マッスルの時と今とではサイズに違いはあるのでしょうか」
「んー、かわらないかな。筋肉や脂肪がつく部位じゃないし」

 ……ソウナンデスカ……ジャアアノ……メガナントカッテサイズナンデスネ……
 ああどうしよう、聞かなきゃ良かった。

 心の準備、心の準備をしなくては。
 だめだ、もう目が合わせられない。
 マイトさんの手がわたしの肩にかかった。
 どうしよう、やっぱりこわい。
 もう一度キスをしようと屈みこんだマイトさんの唇が触れる寸前に、こらえきれずに声を上げた。

「あっあのっ!」
「なんだい?」

 これにはさすがのマイトさんも眉をひそめた。罪悪感でいっぱいになりながらも、わたしの口から出る言葉は、実にどうでもいいもので。

「先ほどネットで調べたら、身長差がある場合は騎乗位がおすすめって出てきたんですが、お好きでしょうか?」
「そういうのも悪くないけど、最初からは無理なんじゃないかな。深い位置での挿入になるし」
「それではですね」
「ちょっと待て!」

 強い口調で遮られた。青い瞳がまっすぐわたしを見つめている。すべてを見透かしているような、空色の瞳。
 一つ大きな溜息をついてから、マイトさんが続けた。

「前から思ってたんだけど、君、その場から逃げたくなると、どうでもいいことを話してごまかそうとするくせがあるだろ?」

 うっとわたしは絶句した。その通りだったからだ。
 マイトさんはベッドの上で胡坐をかいて、金色の頭をばりばりとかいた。
 そして下を向いて、大きな溜息をまたひとつ。

「うん、決めた。今日はやめよう」

 ぐいと顔を上げたマイトさんが、わたしに告げた。

「だ……大丈夫です!」
「いや。私が悪かった。ちょっとがっつきすぎたね」
「だめ!」
「だめって……実桜、怖いんだろ? それに気持ちがかよったその日のうちに身体の関係を持つなんて、君にはやっぱり早すぎる」
「子ども扱いしないでほしいし……それに……」
「ん?」
「マイトさんモテるから、ぐずぐずしてたらほかの女の人に取られちゃう……」
「あのね、性行為をさせてくれるかどうかで女性を選ぶほど、私は若くも青くもないよ。それに怯える君を抱いたって嬉しくない。いいかい、私は君を大事にしたいんだ」

 そう言うと、マイトさんはわたしの脇に手を差し入れてひょいと抱き上げ、膝の上に座らせた。膝の上に乗っても、わたしの顔はマイトさんの顔にはとどかない。
 ブランデー漬けのフルーツみたいな香りがふわりと漂ってくる。
 これはマイトさんが使っているトワレと同じ香りのシャワージェル。香りが強いトワレよりも、こっちの方が淡くて甘くて、わたしは好き。

 薄いけれども広い胸元からただよう甘い香りにうっとりしていたわたしの顎を、マイトさんの長い指がやさしくとらえた。くいと上を向けさせられて、そこにゆっくり唇が降りてくる。

 公園でしたのより、もっと深く濃厚なキスだった。
 舌を絡ませそして吸われ、やわやわと甘噛みされる。歯茎をなぞられ、上あごをこするように舐められる。
 角度を変えて何度も何度も繰り返される口づけに、わたしは不思議な浮遊感を味わっていた。頭の芯がしびれて体が溶けてしまいそうなはじめての感覚。
 キスだけでこんなふうになってしまうなんて、わたしはどうしてしまったんだろう。それ以上のことをされたなら、わたしはどうなってしまうのだろう。

「今日は、ここまで」

 わたしの瞼にそっとキスして、マイトさんは笑った。

***

 初日のキスから始まって、三週間かけて少しずつ関係を深めてきた。
 そしてとうとう今夜、わたしはマイトさんのものになる。
 一つ屋根の下で暮らして約一年半、気持ちをかよわせてから三週間。これが早いのか遅いのか、わたしにはよくわからない。
 でも今ならはっきり言える。大丈夫、きっともう怖くない。

 お風呂から出てきたマイトさんが、トレイに氷の入った飲み物を二つ乗せて現れた。
 グラスの中身は、わたしが冷蔵庫に作り置きしているミントティーだ。

「それ、かわいいね。似合うよ」

 隣に腰掛けた大好きなひとが、わたしを抱きよせて囁いた。
 んっ、と思わず鼻にかかった声が出る。マイトさんの口角がゆっくりとあがった。
 わたしはうなじ方面から囁かれるのにめっぽう弱い。それは、この三週間でいろいろ教えられるうちに知ったこと。

「そんなに緊張しないで」

 いつもと違う、少し掠れた低い声。マイトさんも緊張しているのだろうか。
 優しくついばむようなキスをしながら、大きな手がベビードールの上から胸元をまさぐる。
 大事なものを扱うかのような、やわらかな愛撫。
 この21日間で少しずつ少しずつ慣らされてきたわたしの身体は、それに反応してしまう。

 その時、わたしの携帯が鳴った。
 マナーモードにしておけばよかった……いや、それ以前に、寝室にこんなものを持ち込むべきではなかった。
 申し訳ない気持ちでマイトさんをちらりと見ると、出ていいよと優しく笑まれた。
 慌てて画面を操作する。表示されたのはわたしが最も頼りにしているお姉さんの名。

「あっ、睡さん。はい、えっ、今ですか……ええと……」

 会話を聞いていたマイトさんが、小さい声で香山君かい?と尋ねてきた。
 わたしは小さくうなずいて答える。
 するとマイトさんが、わたしの手からひょいと携帯端末を奪い取った。えっと思わず声が出る。
 わたしから携帯を奪った犯人が、首をかしげてにへらと笑う。
 かわいい……こんなに大きいのに、たまにとっても可愛くなるから、このひとは本当にタチが悪い。

「ああ香山くん。私だ。すまないが今取り込み中でね。終わったら実桜のほうから電話させるから」

 それだけ言って、通話どころか電源までを一方的に切ってしまった。
 電源の切れたスマホをベッドの脇にしずかにおいて、マイトさんがまたにっこり笑った。

「マイトさん、いま終わったらって言いましたよね」
「言ったね」
「なにしてたのってぜったい聞かれますよね?」
「かもな」
「ど……どう答えたらいいでしょう?」
「たぶん君には聞いてこないよ。聞かれるのは私で、またなにかしら奢らされるんだろうな」
「でも……あの……その……」
「うん、さすがにもう黙ろうか」

 優しく口づけられて、わたしは言葉を飲み込んだ。
 愛しいひとの大きな手が、ベッドルームのあかりを落とす。

 小夜はまだ、始まったばかり。


2015.8.1
年齢制限のあるこちらの続きをPrivatterに掲載しています。
リンクはinfoにありますので、よろしければ。
月とうさぎ