サンシャインゴールドの仕合わせ

 昨日急激に発達した低気圧は、この街に暴風を伴う激しい豪雨をもたらした。北から流れてきた冷たい空気と南から入り込んだ暖かい空気がぶつかることから生じる、春の嵐。

 だが、今朝は昨夜の嵐が嘘のような好天だ。カーテンの隙間から忍び込むのは、金色の太陽光。
 まぶたを擦り、時計を眺める。時刻は十時十五分。久しぶりにゆっくり寝た気がする。
隣には未だすやすやと寝息を立てている、年若い恋人。

 今日は久しぶりに互いの休みが重なった。たまにはこういう日があってもいいだろう。枕の上に流れる髪をひとすじすくって、さらりと梳いた。実桜はぐっすり眠ったまま、身じろぎもしない。

 さもありなん。昨夜は春の嵐の如き激しさで愛し合ったのだ。さぞや消耗したことだろう。
 そう……昨夜は年甲斐もなく張り切りすぎてしまった。若い頃と違って回数がこなせないぶん、時間をかけて、執拗に責め立ててしまうのは中年男の悲しさだ。

 それだけでなく、もともと実桜は、宵っ張りで朝に弱い。
 いつも私の予定に合わせて起きてくれているが、早朝任務の時などは、かなりつらそうに見える。日々遅くまで勉学に励んでいるのだから、無理をしなくていいのにと思うし、そう伝えもするのだけれど、わたしがそうしたいんですと言ってきかない。

 そんな頑なだが愛しい恋人にふといたずらがしたくなり、さくらんぼのような唇を軽くつついた。それでも実桜は目覚めない。
 ん……と軽く身じろぎし、またすやすやと寝息を立てる。

 いかん。ついちょっかいを出してしまう。これ以上ここにいると、実桜を起こしてしまいそうだ。たまの休みくらい、ゆっくり寝かせてやりたい。
 恋人の寝顔に未練を残しつつ、ベッドから降りた。もちろん、眠れる美女を起こさぬよう、細心の注意を払いながら。

***

 キッチンで私が一番にすることといえば、コーヒーの準備だ。
 私は気分によって豆や淹れ方をチョイスする。今日は断然エスプレッソだ。全自動のコーヒーメーカーに深煎りしたブレンド豆を入れ、スイッチを押す。

「さて、今日のブランチはどうしようか」

 ひとりごちつつ、冷蔵庫の中を確認する。実桜が朝食にと用意してくれたのだろう、ヨーグルトで戻したドライフルーツがガラスの器に入っていた。
 他はどうだ、と、開けた冷凍庫の中でいいものを見つけた。今日はこれできまりだ。
 オーブンを二百十度にセットして、スイッチを入れる。

 一人でいるときはおざなりだった食事が、実桜と暮らすようになって、きちんとしたものになった。実桜は私がキッチンに立つことを申し訳なく思っているようだが、なんのことはない。したくてやっていることだ。それに、もともと分担制にしていた家事のほとんどを、今は実桜が負担してくれている。それを思えば、手が空いているときに私が食事を作ってもいいだろう。ふたりで暮らしているのだから、助け合うのは当然のことだ。

 とまあ、偉そうに語ってはみたが、今日のブランチは、実桜が用意してくれていたフルーツヨーグルトと、冷凍食品をオーブンで温めただけの、簡単なものだ。

 驚くべきことに、その簡単なことが、こんなにも楽しい。

 いざよう月を眺めながら自分の気持ちから目をそらしていた頃から一年半ほどしか経過していないというのに、情交のあとのけだるさを残す体で、朝日を浴びながら実桜ととるためのブランチを用意しているだなんて、まったく、嘘みたいな話だ。

 充分に温まったオーブンの上段に先ほど冷凍庫で見つけたキッシュを、下段にポロネギのタルトを並べる。焼きあがりまで二十分ほどかかるので、できあがったエスプレッソをマグに注いで、テレビをつけた。
 画面に映し出されたのは、紀伊半島の白い砂浜。悪くない、いや、とてもいい。実桜が夢見ているのはきっと、こんな美しい海辺の街だろう。

 温暖な地域の別荘地で、温泉も出る。少し車を走らせた先には、アウトレットやショッピングモール。イメージ的にはそんな場所。

 ロッキングチェアに座ってコーヒーを飲む私と、ソファで本を読む実桜。彼女の足元には、毛足の長い大型犬。以前実桜が話していたように、そんな暮らしができたなら。

***

 一杯目のエスプレッソを飲み終える頃、バターの焼けるいい匂いがしてきた。
 そろそろかと立ち上がり、テーブルの上にクロスを広げる。今日のクロスは実桜の好きな、イギリス製のファブリック。続いて真っ白な食器と銀のカトラリーを並べ、新たなエスプレッソの準備だ。もちろん、実桜のためのフォームドミルクも忘れずに。

 さて、全ての準備が整った。
 時刻は十一時ちょうど。そろそろ実桜を起こしてもいいだろうか。それとも寝かしておいてあげるべきか。
 少しの間悩んでいると、かちゃり、と、リビングの扉が開いた。

「寝坊しちゃいました」

 顔を出したのは、恥ずかしそうに笑う君。

「なに、気にすることはないよ。さあ、席について。私のプリンセス」

 さんさんと朝日が降り注ぐダイニングで、君ととる朝食。
 それはなんてことはない日常だけれど、その日常がこんなにも仕合わせだ。この日常が、いつまで続くのか、戦いの場に身を置くことを選んだ私にはわからない。けれど、それでも――。

――それでもこの仕合わせができうる限り続きますようにと、私は願いつづける。今日も明日も、明後日も。

初出:
初出:2020.8.9
サイト掲載:2024.6.23

夢本「カレイドスコープ」のために書き下ろした話です。発行から四年近く経つのでこちらに再録します。

月とうさぎ