商店街のアーケードは金や銀のモールで彩られていた。吊り下げられたフラッグバナーやガーラントは赤や緑。そこかしこに描かれたサンタクロース。そして中央の広場には、大きなツリー。
師走の頭ともなれば、街はすっかりクリスマスの様相だ
一年の終わりが近づいているのをしみじみと感じ、月日の経つのは早いものだと、心の中で呟いた。
「あれ?」
花屋の前を通りかかった時、店先にある白い花が目についた。花びらが真珠のように白い。どことなく塩月に似ていると思いかけ、珍珠梅を見た時も似たような感想を抱いたなと苦笑した。どうやら私は、白い花を見ると彼女を連想してしまうらしい。正直言って重症だ。
己の愚かさを自覚しつつも、そのまま通り過ぎることはできなくて足を止めた。
花バケツの下に、花に関する説明のようなカードが添えてある。
マーガレット。
真珠を意味するギリシャ語、マルガリテスが名前の由来。
花言葉、心に秘めた愛。
その三行を読み取って、どきりとした。
真珠、それに、秘めたる愛。
自分の心境を言い当てられたような気がして見入っていると、店員に声をかけられた。
「いらっしゃいませ。マーガレットですか?」
「あぁ……うん。綺麗だなと思ってね」
「マーガレットは花束にしてもかわいいので、贈り物としても人気ですよ」
「いや、自宅用なんだ。……そうだね。この白いマーガレットを包んでもらえるかい?」
「承知しました。数はいかがいたしましょう」
「うーん、そうだな」
衝動的に買い求めてしまったが、よく考えたら、家に花を飾ったことなどなかった。だから活けるための花瓶もない。
「そうしたら、そっちのフラワーベースももらえるかい? 花はそのベースにいけるのにちょうどいいくらいの本数で、お願いできるかな?」
「かしこまりました」
透け感のあるラッピングペーパーでラフにまとめられた花束は、女性が片手で持つのにちょうどよさそうなサイズとなった。
ありがとう、と店員に礼を言う。と、サインを求められたので快く応じて店を出た。
私の腕の中には、真珠の名を由来とする白い花がある。
まったく、我ながらたいへん乙女じみたありさまだ。
「心に秘めた愛、か」
内心で呟くだけのつもりが、実際に口に出してしまったことに気がついて、苦笑した。
秘めたる恋、充分じゃないか。今までもずっとそうしてきた。
いいなと思う相手がいても、できるだけかかわらないようにし、フェードアウトする。それが相手を守る最善の方法だったし、そうすることに苦痛はなかった。
だから今回も、想いを秘めたまま善き隣人として彼女のそばにいられれば、それでいい。
本当か、オールマイト。おまえは本当にそれでいいのか。
以前と違い、オール・フォー・ワンの脅威はないというのに。
頭の隅で声がする。それに「もちろんだ」と答えて、またため息。
このまま隣人としていられたとしても、もしも別の誰かが彼女といい仲になったら、私は今と同じ心境でいられるだろうか。
せめて私が生まれてくるのが二十年、いや、もう十年遅かったら、事態はかわっていただろうか、と、詮ないことを考えて、それだけ遅く生まれてきてしまっていたら、今の自分はないのだと思い直した。
正直な話、誰かに対して好意を抱いた過去はあれど、こんなことまで考えてしまうのはまったくはじめてのことだった。今までは、仕方のないことだと割り切れたのに、今はなかなかそれができない。
たまにではなく、毎日あの人と食事をしたり、会話をしたり…………その髪や頬に触れたりできたらどんなにかいいだろう。
ベランダから救出したとき、当然ながら彼女はこの腕の中にいた。そのやわらかな感触が忘れらない。まるで十代に戻ったかのように、その面影は夜毎私を悩ませる。
思わず立ち止まって、あの日彼女を抱きとめた手を開いた。いつでも思い出せる、あのぬくもりと感触。絹のような髪から立ち上った、かぐわしい香り。
とたん、身体の奥がずくりとうずいた。もたげ始めた欲をかき消すように首を振る。
「オールマイト先生!」
「うひゃっ!」
よからぬことを考えかけたタイミングでかけられた声に驚き、頓狂な声が出た。
「お買い物ですか?」
冷や汗をかきながら振り返り、かろうじて「うん」と答える。口の中がからからなので、やけにかすれた声が出た。
「お花、可愛いですね」
「ああ、自宅用なんだ」
すてきですね、と続けて言われ、ふわふわとした気分になった。
落ち着けオールマイト、彼女がほめたのはおまえではなく「花を飾るという行為」なのだ、と己を戒めながら、曖昧に笑む。
「オールマイト先生は白いお花がお好きなんですね。ほら、以前も植樹帯の珍珠梅を愛でていらしたでしょう?」
「ああ、だって君みたいだからね」
「えっ?」
「あっ」
うっかり滑り落ちた言葉だった。なんたる失態。
彼女はひどく驚いたように目を見開いている。当然だ。同じ職場の二十も年の離れた男にこんなことを言われたら、背筋も凍ろうものだろう。
できうるならば、今の言葉をすべてかき集めて口の中に戻してしまいたい。
けれどそんなことが、現実にできるはずもなく。
塩月は蒼白になっている。どうしよう、と思って言葉を探していると、次に彼女はなにかを察したように、そっと眉を寄せた。それはどうみても、困惑している表情で。
ああ、これはばれてしまったな。
内心で小さく呟いて、眉を下げる。
これがたいして関わりのない相手であったら、あまり上品ではない――ハラスメントじみた――軽口のひとつとごまかすことができただろう。けれど私は何度か彼女を食事に誘い、時に車で送迎までしてきた。そこになんらかの意図、つまりは一方的な好意があったと思われても不思議ではない。
「あの……」
ひどく弱い、遠慮がちな声だった。
ごまかしの言葉を探そうとして、やめた。今の言葉を冗談にしてしまうなら、即座にそう告げるべきだった。言葉を探してしまった時点で、こちらの気持ちは露呈してしまっている。
しかも彼女はそれなりの経験を積んできた大人の女性だ。今までの流れと今の言葉から鑑みれば、私の気持ちに気づかない方がおかしいだろう。
それに、と正面から彼女を見つめた。
痩せても枯れても私はオールマイトだ。己の気持ちをごまかすような言葉を紡ぎたくはない。
だから大きく息を吸い込んでから、ゆっくりと微笑んだ。
『俊典。怖い時、不安な時ときこそ笑っちまって挑むんだ』
そんなお師匠の声が、聞こえたような気がした。
「あ、あのっ……今のは……」
「うん。君の予想通りだ」
塩月がまた眉を寄せる。
そんな顔をしないでくれ。私は君に無理強いをするつもりはかけらもないんだ。
「私は、君のことが好きなんだよ」
生涯初の、愛の告白だった。
もっと切羽詰まった声になるかと思ったのに、自分で意図した以上にやわらかで優しい響きになったことに驚くと同時に、自分をほめてやりたい気分になった。
彼女は大人の女性だが、往来で年長の男に気持ちを打ち明けられたことなど、あまり経験したことはなかっただろう。
しかも私は元ナンバーワン・ヒーローだ。地位も、名声もある。そんな私に想いを寄せられていることが原因で、彼女に脅威を感じさせたくはない。
「でも気にしないでくれ。私が勝手に想っているだけだ。もちろん返事もいらない」
安心させようと続けた言葉だった。しかし彼女は、こちらの意図に反して、ますます困ったような顔をした。
ごめん、断る立場もつらいよな。と、思いながら私は続ける。
「二十も年の離れた君とどうにかなりたいだなんて、かけらも思っちゃいないよ。そこは安心してくれていい。ただ……今まで通り、同僚兼隣人として普通に接してくれると助かるな」
「あの……」
心の底から戸惑っているような表情のまま、塩月が視線を泳がせる。そんな彼女を見ていたくなくて、思わず大きな声が出た。
「いいから!」
先ほどとは違う強い響きに、塩月がびくりとした。しまったと思ったがもう遅い。彼女は少し怯んだように、もう一度唇を開きかけ、そして閉ざした。
まったく、五十年以上も生きているというのに、このていたらく。勝手に自分の気持ちを告げて、相手を怯えさせるなど、平和の象徴の二つ名が泣く。
「大きな声を出してすまない。本当に、気遣いは無用だ」
「……オールマイト先生」
じゃあ私はこれで、と告げて、きびすを返した。
あの、ともう一度声をかけられたが、これ以上はいたたまれなくて、黙ったまま一歩を踏み出す。
塩月はそれ以上なにも言わなかったので、早足でその場から立ち去った。
一気に商店街を抜け、そっと背後を振り返った。もちろん塩月は追いかけてこない。
まったく、と大きく息をついて、軽く首を振った。
思わぬところでするはめになった告白は、後悔ばかりだ。
知られてしまったことはしかたがない。けれどもう少しスマートな振る舞いはできなかったのだろうか。
まったくもって情けない。動揺しすぎて、一方的に想いを告げて逃げ出すという、三十年前の少女漫画でもなかなか見られないような行動をとってしまった。
下を向くと、手の中にある花束が見えた。真珠をその名の由来とする花と彼女の面影が、不意に重なる。
「……困った顔……してたなぁ……」
あまり表情を崩さない彼女にはめずらしく、心底困惑した顔をしていた。どう答えたらわからない、というような。
あんな彼女を見るのは初めてだ。
「ああそうか……私、それが堪えているんだ」
こぼれた声は、自分のものではないくらい弱々しかった。
「今日は寒いな」
師走の風が痛いほど冷たく感じられ、思わずコートの襟を合わせた。
肉付きの悪い頬に当たる寒風に辟易しながら、そろそろマフラーを出さなくちゃな、などというどうでもいいことを、ひとりぽつりとつぶやいた。
***
ガラスの花器にマーガレットを挿して、リビングのローテーブルに飾った。茎が細く華奢で儚げな風情でありながら、どこか強さも感じさせる。
ますます彼女に似ているなと思いながら、ソファに座りこんで、大きく息を吐いた。
――あなたになら美栗を救えるのではないかと思った。あなたは最高のヒーローだから。
ベストジーニストの声が、脳裏に蘇る。
「……救えるどころか、うっかり困らせてしまったよ」
ぽつりともらした声は、自分でもうんざりするほど弱々しい。
私が彼女を助けるのは大変難しいことだ。さっきの反応を見るに、彼女はまったくそれを望んではいない。
だから私にできることは、彼女がもう一度誰かを愛することができる日がくるのを遠くで見守ることくらいだろう。
――美栗は苦しんで苦しみ抜いて、自らの精神を守るために自らの記憶から、ブランダーバスに関することすべてを消した。
普段冷静なジーニストらしくない、重く暗い声だった。それだけに、彼が語ったことが真実であるということがうかがえる。
彼女が記憶を失うまでを知る男の言葉を思い出しながら、そっと目を閉じた。
*
「そうだ、ブランダーバスは八年前に亡くなった。美栗との共闘のさなかに」
そして、ジーニストは静かに語り始めた。
あれは八年前、『オールマイト』が一時的に姿を消した翌日のこと。
都内のターミナル駅がネームドヴィランの集団に襲われた。その時現場近くにいたのが、ブランダーバスとソルティだ。ソルティは身体から放出した岩塩を駆使して戦うタイプのヒーローで、ブランダーバスはその名の通り、腕がラッパ銃となる個性の持ち主だ。銃口からは散弾を発することができたが、ショットガンやグレネードランチャーの個性に比べると威力は弱い。
彼らは果敢に戦ったが、いかんせん多勢に無勢。なんとか半数を倒すことができたが、最終的にふたりは戦闘不能に陥ったという。
「要請を受けた私が到着した時、現場はひどいありさまだった。敵は駅に直結した施設の三分の一ほどを破壊していて、そこに瀕死の美栗と、彼女をかばうようにおおいかぶさったまま事切れているブランダーバスの遺体が残されていた。これはあとでわかったことだが、美栗は両足と右手の骨が折れていた上に内臓の一部に損傷を受けていて、ブランダーバスはほぼ即死に近い状態だった」
「……救出されたとき、彼女に意識はあったのかい?」
「ああ……残酷なことにね」
「……ということは、ソルティは自分の上で愛する人の命の灯火が消えるのをじっと見ていたということか」
そうだ、と、ジーニストが小さくうなずいて、続ける。
「すぐにヒーロー専門病院に搬送され、大手術ののちに美栗は一命をとりとめた。だが……」
だが彼女は、意識を取り戻してすぐ、自らの命を絶とうとしたという。
「幸い未然に防ぐことができたが、当時の彼女はいつ同じことをするかわからない状態だった。…………だから私は、彼女が自らの命を絶たぬよう、呪いに近い言葉を告げたんだ。あいつが命をかけてつないだ命を無駄にする気か、と」
それは、彼女をこの世につなぎ止めるに最も効果的な言葉であったろう。私がジーニストの立場であったら、同じことを言ったかもしれない。
「それから、美栗は死にたくても死ねなくなった。けれど自分のせいでブランダーバスが死んだという意識や、死ぬべきなのは自分であったという気持ちは消えない。彼の後を追いたいという気持ちと、彼がつなぎ止めた命を無駄にはできないという想いが交錯した結果……彼女は自分の中にいた、ブランダーバスの記憶を葬った」
「解離性健忘か……」
「目が覚めたら、自分がなぜ入院しているのかさえわからなくなっていたそうだ」
解離性健忘とは、大きなトラウマや心理的ストレスにより記憶を失ってしまう精神疾患だ。脳が起こす自己防衛反応のひとつで、つらい出来事をその前後の時間を含めて意識から切り離すことで、精神ダメージを最小限に抑える。たいていにおいて、脳の物理的損傷は見受けられない。
塩月が陥ったのは、特定の期間の記憶がすべて抜け落ちてしまう限局性健忘だと、ジーニストは言った。
「それからだ、美栗から屈託のない笑顔と個性が消えたのは」
「……個性が使えなくなったのは、怪我が原因ではなかったのか?」
「表向きはそうなっているし、本人もそうだと思い込んでいるが、個性の機能にはなんの問題もみられなかった。そちらも精神的なものが原因だろう。だが治療して個性が使えるようになったとて、現場に出たらひどいトラウマに苦しむ可能性もある。それを危惧した彼女の親族は個性の治療を彼女に勧めず、本人も同意し活動停止の道を選んだ」
そうか、と呟き、ちいさく息をついた。
彼女の心の痛みを想像するだけで、胸がしめつけられる。
「……ジーニスト。今の話、他の人間には……」
「もちろん、他の誰にも話していない。ごく近しい人間しか知らないことだ」
*
心から愛した人をの記憶を失ってしまうほどの苦しみは、想像を絶する。貝が体内に入った異物から身を守るため長い時間をかけて真珠を形成するように、彼女は堪えきれないほどの悲しみから己を守るため愛した人の思い出をその胸の中に押し込めてしまった。
カーテンを閉めるため、窓辺へ向かった。師走の寒風が植樹帯の木蓮をゆらしている。あの木蓮が白い花をつけるのは、まだまだ先だ。
早くあたたかな春が来るといい。彼女の上にも。
***
塩月に気持ちを知られてしまってから、早三日が過ぎた。その間、彼女とは一度も会っていない。これは偶然の賜物ではなく、私が彼女と接触するのを避けたためだ。もともと彼女は職員室にはあまり顔を出さず、学校図書館にいるのが常だ。だからこちらから接点を持とうとしない限りは、なかなか出会うこともない。
あの時「今まで通り接してほしい」と言ってはみたが、しばらくはお互い気まずいだろう、というのが正直な気持ちだ。
切なさを噛みしめるように目元を抑えて、終わらせたばかりの書類を片付ける。休憩がてらスマホを取り出し、SNSを眺めていると、近隣にある名建築の取り壊し日が決定したというポストが流れてきた。
建物の老朽化により取り壊すことが決まったのはずいぶん前のことだったが、いよいよかと思うと、なんだか切ない。それは古き時代に建てられた寄宿舎学校で、コストの関係でステンドグラスが入れられなかったかわりに、窓枠や桟を幾何学的に配置して光を取り込むという斬新な手法で有名な建築だ。殊に人気があるのは食堂ホールで、私も一度、喫茶付きの見学会に参加したことがある。
取り壊し前にもう一度行きたいと思い、当該ポストから建物のホームページに飛んでみた。だが予想した通り、見学会の抽選はすでに締め切られてしまっていた。
残念だ。しかし外観だけでも、もう一度見ておきたい。なんとか時間をとれないだろうか。
そう思った瞬間、塩月の顔が脳裏に浮かんだ。
あの建物は、おそらく彼女も好きだろう。
「いや、無理だろ」
気持ちを知られてしまった以上、今までのように気軽に誘うわけにはいかない。
まったく、マーガレットの花言葉のように秘めておければよかったのにと詮ないことを思ったが、知られてしまったことは致し方ない。
軽く首を振って、窓の外を見やった。この席からは、図書館がよく見える。以前彼女が涙していたあたりに、薄橙色の花が一輪咲いているのが見えた。エンゼルトランペットは冬には終わってしまう花だが、生命力の強いものがひとつだけ残っていたようだ。
エンゼルトランペット、ラッパに似た独特な形をした花。
と、そこまで思って気がついた。あの時、どうして彼女が泣いていたのか。
彼女の恋人だった男……ブランダーバスの腕は、個性使用時にその名の通りラッパ銃の形になる。
その形状と多くの日本人の肌色に近しい薄橙色の花とが、頭の中で重なる。
君は、記憶を失ってなお、彼のために涙するのか。
ひどく悲しい気分になって、遅咲きの花から目をそらした。
寒い季節に悲しいことを考えるのは辛すぎる。
そんなことを考えながら転じた視線の先で、師走の寒風が枯葉を巻き上げながら通り過ぎていった。
2026.4.6