つり目の生活me
▽2021/05/14(Fri)
人の肉、について
皆さんどう思うだろうか
私は素直に美味しそうだと思う。
性的欲求のようなものもあるけど、物理的に美味しそうだと思う。
寝ている恋人の首筋は、ひどく美味しそうで、メスを入れたいと思うことがある。
ほんの一部、肉を切り取って喰んでみたいと
思えば、幼少期の頃、母親の二の腕を美味しそうだと思っていた。それは空腹時であれば涎を垂らしてしまうくらいものもので、母にはよく「死んだら肉をくわせてくれ」とお願いをしては気味悪がられたのを覚えている。
「やめてよ、もう」と笑いながら言う母親に、本気なんだけどなあ、と今でも思う。
思えば、あの頃から既に人間を「肉」として認識していたからこそ、殺人がいけない理由を道徳的観念から理解ができなかったのではないだろうかと思う。
後から分かったことであるが、もし、人肉を食べたとして、筋肉の部分は不味いらしいという情報を得た。
しかし、その情報を得る前から、本能的に筋肉の部分は不味いのだろうな、と感じていた。
私がいつだって美味しそうだと思うのは、脂肪の部分の柔らかいところ。
でも何故か、腹の肉は美味しそうだと思わなかったし、太っている人間は美味しそうだと思わなかった。
かといって、痩せている人間には興味がなく、中肉中背の、使わなくなった筋肉が脂肪へと変化したその丁度いい柔らかそうな四肢の部分や、首筋などにひどく食欲をそそられる。
腹部に興味がなかったのは、自然と内臓部分に近いから臭味があるのではないかということを、自然と感じ取っていたからだろう。
そういった意味では、私には天賦の才能があったのではないかと思える。
人身事故を目の当たりにしたことがある。
砕け散った人体というのは、凄惨なものだ。
だけど、それ以上に視覚からの情報よりも匂いのほうが凄まじかった。
得も言えぬ生臭さといったら言葉にし難く、ただただ絶句するようなものであった。
しかし、たまたま散った腕の肉からは、さほど匂いはしなかったように思えるし、気のせいかもしれない。
それでも、血の匂いはとても濃く、そして私はショックを受けたというよりは、「やはり人間も肉なのだ」という自分の認識が合っていたことに安堵していた。
その日は曇りで、私は学生だった。
鉄の塊が人肉を砕く、ぶつかる時の衝撃音は、今でも耳に残っている。
バン!という単純な音ではなく、バゴン、と一瞬静寂さえも感じられるような、鈍く低い音だった。
あ、と思った時には、その人はもう既に人でなく、ただの人の形をした肉の塊だと思った。
「人」から「肉」へ変わりゆくのは一瞬なのだと思った。
ならば、人が人たらしめているものは何だろうか?
衝撃的なものを見たり、感じたりする時、どうしてスローモーションのように感じるのだろう。
そしてその瞬間を脳が認識に追いついた瞬間に、現実の速さに戻る。
恋人の顔はとてもとても美しいのだ。
それはもうこのブログを立ち上げて何度も書き続けているが、この人も死んだらただの肉の塊になってしまうのだろうか。
それとも、作品として静かにそこに在るのだろうか。
もしも私よりも先に死んでしまったら、死に化粧は私が施したい。
最後のキスを、静かに落として、肉の一部を食したい。
余計な加工はしたくない。
恋人の肉に限っては、焼くのも煮込むのもだめだ。
生で血も一緒に啜らないと気が済まない。
死んだらどうでもいい、と以前の恋人の言葉を信じて、亡骸は是非丁重に私の好き勝手に触れさせて欲しい。
骨までも全て私の管理下に置いておきたい。
死は文学であり美学でもあると思う。
哲学とはまた違う所に、私の中では居るのだ。
文学の中の美しさ、とも言うべきかもしれない。
恋人の首筋に、ひどく欲情して、そして食欲をそそられる。
そんな、お話。
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