入団式が終わって以降、俺はルリに話しかける機会を虎視眈々と狙っていた。

人は第一印象が大切だ。ファーストコンタクトの仕方を間違ってしまっては、初手で嫌われてしまう可能性もあることを考えて、どう話しかけたらルリと仲良くなれるか、どう接したら少しでも好印象を持ってもらえるかと悶々と考えながら、食堂で一人テーブルの端っこで食事するルリの様子を伺いながら、少しでも近くに座りその機会を待っていた。

彼女は食が細いのか、パンは半分も食べていなかったし、スープも2すくいほど口に流し込んで食べる手を止めた。小柄だからなのか。小食なのも可愛いな…とボーッと見つめていると、隣のテーブルから「巨人を駆逐する」と馬鹿げたことを高らかに宣言している奴がいた事で、ルリから気が逸れてしまい、そいつに絡む。特にヒートアップすることもなく和解したが、その後ルリ自身が駆逐野郎に自ら話しかけに行ってるのを見て、握手した手を他のヤツの背中で拭った。ヤツとの信頼はもう微塵もない。

しかしその後の立体起動訓練でも、ルリはエレンに興味津々とでもいったようにその大空のような大きな瞳をジッと奴に向けていた。これは…なりふりなんざ構っていられなくなったぞ…と内心焦る。

全身から「関わらないでください」というオーラを放っているかのような様子だったからこそ、周りの奴らも興味はあっても中々ルリに話しかけられないという雰囲気を察していた。正直その状況を見てほくそ笑みながら余裕を感じていたのが実情だった。来たるべきその時さえくれば俺が一番にルリにいい感じに話しかけ、仲良くなって、心を通わせ…なんて妄想もしていたが、まさか彼女自身が特定の誰かに興味を持つことは一切の想定をしていなかったのだ。

こうなったら、機会を待つことも印象を考えることも後回しにした方がいい。とにかくまずは接触して存在を認識してもらわないと話にならない。そう考え「ジャンどこ行くの!?」と驚いているマルコを置いて急いで教科書を持ち、既にいなくなったルリの後を追った。

我ながら強引だったし訳の分からない誘い文句だとは思ったものの、一緒に教室へ移動することや隣同士に座ることには成功した。初めて聞いたルリの声は澄んでいて、暖かい教室に柔らかく通る響きに全身が満たされる感覚に陥った。

もっと聞いていたくて決して会話を絶やさないようにと話しかけ続けるが、返ってくるのは単語のみ。あまり人と関わりたがっていないことは昨日の夕飯時から察してはいたものの、必死で会話を探して話しかけてる人間に対してこれはあんまりだと思い、責めるように「人と関わるのが苦手なのか」と問う。

しかし思っていたより事態は深刻ではなかったようで、ルリは人と関わるのが「苦手」なのではなく、人との関わり方が「分からない」のだという。大きな目を少し揺らしながら今まで友達と呼べたのは「犬のフィエロだけ」と小さく尻すぼみに呟く彼女に俺は思わず噴き出した。

可愛い。その一言だった。
まるで小さな子供みたいに「なんで」「どうして」と聞いてくる様も、人とどう関わればいいかも何も分からないルリに庇護欲のようなものが湧いてくる。俺がこんなにお節介な人間だとは思わなかったが、ルリを見ていると「守りたい」「喜ばせたい」という気持ちが身体の底から浮かび上がってくる。

今はまだ『友達』でいい。
たくさん関わって、話して、いつか俺と居るのが苦じゃないと思えるようになってきたら、ゆっくりと進めていけばいい。そんなことを思いながら俺はルリの友達第一号を名乗り出た。



「いいか、会話のキャッチボールの練習だ」
「う、うん…わかった」

夕食時、同じテーブルで俺とルリは隣同士に座る。目の前にいるのはマルコ・ボット。固いパンを咀嚼しながら「何が何なんだか」と戸惑った様子のマルコをスプーンで差しながら俺はルリにゴーサインを出した。

「…マ、マルコは…どこ出身なの?」
「あー、僕はウォール・ローゼ南区にあるジナエ町出身だよ」
「そ……こは、どんなところなの?」
「うーんと、何もない町だよ。でも牛を飼ってる。牛乳や食肉を作ったりしてるから、収穫祭の時はステーキを食べられたんだ」
「ステーキ…」

マルコの話を聞きながら薄いスープをスプーンでゆっくりかき混ぜるルリ。視線は忙しなくキョロキョロと動いているが、マルコが発した単語に反応する。粗野な食事の最中に最高級の食材の話題。話はいくらでも膨らませられるが、きっとルリにはこれが限界だろう。ここらで切り上げるかと思っていると。

「素敵な町、だね…いつか、行ってみたい…」

ぼそりと呟くようにそう言ったルリに俺もマルコも面食らう。お互い目を見開かせながら顔を突き合わせていると、マルコはフッと眉を下げ、目を細めて笑った。

「うん、いつか招待するよ」

そしたらジャンとルリと僕の三人で行こう。そう言ったマルコにルリは視線を上げてマルコの顔を見ると、静かに頷いた。

「すげーぞルリ、完璧じゃねぇか!」
「…ちゃんと出来てた?」
「まぁ少し辿々しかったけどな、及第点だ」
「よ、良かった…」

ルリにまず教えたのは会話のキャッチボール方法だった。単語を返すだけなのはキャッチしか出来ていない状況だと伝え、まずルリに必要なのはその話に対して頭の中で生成された疑問や思ったところを自分の頭の中で考えるんじゃなく、口に出して言葉を発することが大事だと伝える。

すると「じゃあ何故と聞くのはなんでダメなのか」と聞かれたが、俺が教室に一緒に行こうと誘った理由をまだ知られるわけにはいかないことから「…理由がないこともあるから」だと上手く躱した。しかし「何故」は本来聞くことが悪いわけじゃなく、他の言葉もつけるのであれば問題ないことを伝えると、戸惑ったように「分かった」というルリに、夕飯時にマルコを被験体に会話をしてみようと誘う。

見事隣の席をゲットし試しにやらせてみると、思っていたよりしっかりと会話が出来ていた事に驚く。教えたことを理解し柔軟に対応する素直さや頭の良さ、会話の内容から意外にも感情が豊かなことに感動を覚え、テンション上がり気味でルリに掌を向けると、少し遠慮気味にぺちんと手のひらを当ててくれて、道端に座っている野良猫を手懐けたような気分になる。

「でも驚いたな…いつからそんなに仲良くなったの?」
「…まぁ、色々だよ」
「ジャンは、初めての友達」
「おう、第一号だからな。第二号はお前にやってくれてもいいぜマルコ」

固いパンに齧り付くとまだ困惑気味のマルコが俺たちの馴れ初めを聞いてくる。しかし決してスマートではなかったきっかけのことは話したくはないと見栄を張りながら『特別』を位置づける”第一号”を強調する。ここまで付き合ってくれているし割といいやつであるマルコに第二号を進呈してくれてやってもいいと言うと、マルコは苦笑しながら「光栄だな。僕とも友達になってよ」とルリに言い、彼女は頷きながら「うん、よろしく」とようやくスープに口を付けた。

すると食堂内のざわめきが一瞬大きくなる。三人でその騒ぎの様子を見ると、エレンがボーっとしながら顔を強張らせて座っている。頭には包帯を巻いており、食事に手を付ける様子はない。確かアイツ、昨日「巨人を駆逐してやる」と豪語しながら立体起動訓練では逆さまに宙づりになってやがったよな。あの頭はもう一回姿勢制御をやろうとしてぶつけたんだろうか。その様子を想像しては気分が良かった俺は噴き出して笑った。

「ぶはは!見ろよアイツ、情けねぇ面してやがる」
「ジャン…良くないよ、人の失敗を笑うのは」
「だってよ、可笑しいだろ」

俺が笑ったことで眉を下げて止めに入ったマルコに捲し立てるように言う。アイツ昨日巨人を駆逐してやるって言ってたんだぜ?それがどうだよ、まともに立体起動も使えねぇようじゃ教官の言う通り囮にすら使えねぇぞ。ありゃ開拓地行きが濃厚だな。あんなん兵士としての前に人間として興味すら湧かねぇよ。

そこまで話したことではた、と思い出したことがある。そう言えば…と前置きしながら俺は視線をルリに向ける。

「ルリお前、昨日からエレンに興味津々だったよな?」

ありゃ何でだ?そう問いながら、碧い瞳を見つめる。エレンに何やら話しかけたり、エレンを食い入るように見つめていたり、ルリがエレン自体に興味を持っていることは明白だったが、その理由は分からず仕舞いだった。俺から見れば臆病者が義勇をかましているようにしか見えなかったが、確かに「調査兵団に入り巨人を駆逐する」と宣言しているその姿は見ようによっては勇気ある若者に見えてかっこいいのかもしれない。ただし彼女のことを少し知った今だからこそ、それだけでルリがエレンに興味を持つとはどうしても思えなかったのだ。

口に入っているパンをもくもくと咀嚼し、ごくりと飲み込んだルリの言葉を俺もマルコもジッと待った。

「…わたしも、シガンシナ区出身だから」

その言葉に、俺とマルコは驚愕して目を見開く。

言われてみれば、確かにそうだ。
普通に今まで親に愛されて幸せに暮らしてきた人間が「人との関わり方が分からない」なんてことになるはずがないのだ。本人の性格を加味してみても、にこりともせずどこか達観して物事をみている様子は、過去に暗い何かしらがないと説明が付かない。…こいつは、きっと今までたくさん傷ついてきたんだろうな。

「じゃあ、エレン達と知り合いって事?」
「ううん、知らない」

小さな街とは言っても、皆と知り合いってわけじゃないし、わたしは友達がいなかったから。そう言ったルリにマルコは、じゃあ同郷の人を見つけて共感したとか…と問う。俺もそう思った。2年前の『あの日』に同じ場所に居て、同じようにウォール・ローゼに逃げ込んで、同じように開拓地で小さな身体を酷使されて。境遇が似ているなら同じような思考になってもなんら可笑しくはない。そう思いながらルリを見ると、予想とは違い彼女は首を大きく何回か横に振った。

「共感できない」

あの日巨人の脅威を目の当たりにしたなら、どんなに奴らが恐ろしいか分かっているはず。今までの約100年間で人類は一度も巨人に勝てなかった。これからもそれは変わらないと思う。けれど、エレンはそれでも「巨人を駆逐する」と言った。今まで誰も成し遂げられなかった事をやると。そこまで確信できているなら、彼はきっとものすごく強くて頭が良くて立体起動も使いこなせて、何か特別な力を持っている人なのかと思った。だから方法を知っているなら、教えてもらいたかっただけ。

「巨人が憎いのは、わたしも同じだから」

やけに饒舌にそう語るルリ。
巨人が憎い、けれど現実的に考えれば奴らには勝ってっこない。エレンの野郎なんかよりよほど状況を理解しているようで、何だか親近感が湧いてくる。

「じゃあ立体起動訓練で宙づりになったエレン、お前どう思った?」
「”出来ないじゃん”って…」
「だははははっ!聞いたかマルコ!」
「…ジャン……」
「夢物語を簡単に口に出す人は苦手…」
「ははは!ルリお前最高だわ!」

机の上をバンバン叩きながら笑っていると、マルコは呆れたようにため息をついた。だがそんなことはどうでもいいほど俺は最高に有頂天だった。ルリと俺には、何か通ずるものがある。似た者同士というかなんというか。コイツの考えていることが俺には何となく分かるような気がした。

この世の中に”絶対”なんて言葉はない。叶えられるかどうかも分からないのに、そんな事を口にしていざ叶えられなかったら何にもならない。そう話すルリに俺は強く何回も頷いて、やっぱりこいつは”分かってるヤツ”だと、そんな特別な感情を抱いていると。

「…だから、ジャンも憲兵団になるってそんなに軽々しく言わない方がいいと思う…」

遠慮がちにこっちを見ながら「そういうのは、成績上位10名以内に入ってから言った方がいいよ」と静かに言ったルリに驚いて固まっていると、すぐ近くでぶふっと噴き出す音が聞こえる。

「ふふっ、確かに…系統は違うけど、ジャンも充分”夢追い人”だね」
「…オイ、笑うなマルコ」
「じゃあ…先に戻るね」

施設内に夕飯終了の合図の鐘が鳴り響いたのを聞いて、ルリは立ち上がってトレーを持って下膳する。

「アナタ!それ残すんですか!?」
「…うん…………食べたいの?」
「食べたいです!!!」
「…どうぞ」
「ありがとうございます!天使ですか!」
「に、人間です…」

列に並びながらもルリが食事を残すその時を狙うようにずっと様子を伺っていた芋女がついに彼女に絡んでいる様子を見つめながら、おれは「アイツ、言うじゃねぇか」と独りごちた。

「思ってたより話しやすい子だったね」
「最初は苦労したけどな!」
「…ふーん?その割には嬉しそう」
「…お前は何が言いてぇんだ、マルコ」
「フフッ、別に?」

下膳列に並びながら茶化してくるマルコに苦々しい気持ちになって目を逸らした。しかしマルコにはお見通しらしく、躱されるように笑われてしまう。

「ルリの”一番”はジャンのだもんね?」
「……るっせぇよ、」

気恥ずかしいようなむず痒いような感情を憶え、マルコに肘を軽く当てる。が、コイツの察している俺の感情は間違いとは言えなかった。いまのところ友達のフリをしているが、友達ですらルリの一番は俺でありたいという自分勝手な欲望が何度も顔を出す。これ以上ルリを知ってしまったらどうなってしまうのだろうと危機感を覚えるが、もう今更止めることは出来ないことも何となく察していた。

ルリの事を一番よく知っているのは俺だし、ルリの一番近くに居られるのも俺であって欲しい。これからもずっと。そんな事を密かに願った。



「オレは逆に教えて欲しい。あんな無様な姿晒しておいて正気を保っていられる秘訣とかをよぉ」

立体起動の姿勢制御を上手く出来なかったエレンが宿舎に戻って来ては、恥を忍んでコニーや俺に教えを乞いに来たのを、俺はニヤニヤとしながら揶揄った。コイツが立体起動術が下手くそで良かったぜ。上手かったら未だにルリの興味を独り占めしていた可能性もあるもんな。まぁ今は興味なさそうな様子だったが。そんなことを思いながら切羽詰まった顔をするエレンを見てほくそ笑む。

「くそ…もういいよ!他のヤツに聞く!」
「だははッ!誰にだよ!もう色んな奴に聞きまくって教えてもらえなかったからここに来たんだろーが」

怒ったようにそう言ったエレンに腹が捩れるほど笑う。指を差しているとエレンはその手をサッと退けるように振り払った。

「ルリなら教えてくれるかもしんねぇ」
「は…、?」

エレンのその発言を聞き、俺はピタリと動きを止めた。顳顬こめかみ辺りに血流が集まる感覚を覚え、俺はすぐさまエレンの胸倉を掴んだ。止めろよ!と騒ぐエレンを黙らせたくて力を込めると、マルコが「よせって!」と止めに入る。

「…なんでそこでルリが出てくんだよ」

自分でもこんなに低い声が出るとは思っても居なかった。足元からせり上がってくる怒りが煮えたぎるように頭のてっぺんに到達する。コイツの口からは、絶対にルリの名前を聞きたくなかった。ルリが一時とはいえ興味を持ったエレンとルリを接触させたくなかった。さっきまでの自分勝手な欲望が更に肥大化して、それは凶暴的な独占欲になっていた。そんな俺の様子にエレンは戸惑ったように「なんでって…」と上擦ったように声を出す。

「俺と同じで、シガンシナ出身だから…」

…は?なんで、知って……
俺は驚愕で声も出なくなるくらい固まっていた。エレンは俺の拘束から抜け出すように胸倉で固まっている俺の手を解いた。固まっている俺の様子を見てフォローするようにマルコが話し出す。

「え…でも、ルリはエレン達のこと知らないって言ってたよ…?」
「あ?…まぁ、あいつが知らなくても俺らはルリを知ってんだよ。なぁアルミン」
「う、うん…最初は気付かなかったけど、今日訓練で名前を呼ばれてて気が付いたんだ」

確信めいたようにそう言うエレンに、腰ぎんちゃく野郎のアルミンも答える。どうやらエレンがルリの存在を「シガンシナ区出身のルリ」だという事を認識しているのは本当らしい。俺もマルコも戸惑っていると、追い打ちをかけるようにアルミンは続ける。

「ルリはシガンシナでは知らない人は居ないほど有名だったんだよ」

シガンシナの天使って、そう呼ばれてた。
ほら、黒髪に碧い瞳なんてすごく珍しいでしょ?それにルリのお母さんがものすごく美人だったから、ルリも小さい頃からすごく可愛くて…老若男女問わずみんなルリはいつか内地の貴族とか、王様のお嫁さんとかになるんじゃないかって言ってたんだ。だから余計にみんな近寄りがたかったのか、ルリを知ってる人は大勢いたけど、ルリが友達と居るところとかは全然見なかったよ。
そう言い終わると、マルコは納得したように「なるほどな…」と感嘆とする。

「でも…僕らが知ってるルリと、いまのルリは正直別人みたいだ…」
「…別人、って?」

独り言を言うかのように呟いたアルミンの言葉にマルコが反応すると、少し言い出しにくそうに言い淀んだ後、俯いてアルミンは言った。今のルリは顔立ち自体は変わってなくて本当に綺麗なままなんだけど、なんだかまるで人形みたいに一切表情がないのが気になって…だって…


「昔はルリ、いつもニコニコしててよく笑う子だったから…」


だから『天使』なんだ。
そう言ったアルミンに全身が雷に打ち抜かれたようだった。驚愕、嫉妬、憎悪、嫌悪、悲哀、焦燥、空虚。黒々とした重苦しく黒い感情が混ぜ合わさって、身体の中をぐるぐると巡る。

俺は、今日一日でルリのことを色々知れたと思っていた。不器用だけど素直なところ、表情に出さないけど意外と感情豊かなところ、子供のように純粋なところ。これらは俺だけが知っていて、ルリのことをよく知っているのは俺だけだと思っていた。

けれど、俺の知らないルリを。
俺の一番知りたいルリの顔を。
コイツらは、知っている。

それがどこまでも届かないことのように思えて、さっきまで手を伸ばせば掴んでしまえそうなところにいた彼女が突然消えていなくなってしまったように感じた。どこを探していいのかも分からず、俺は迷子のように闇の中で立ち尽くした。

触れたと思えば、離れてく