贅沢者に愛の鞭

閉め切られたカーテンの隙間から、ほんの少し、申し訳程度の太陽の光りが部屋に入り込む。今日、俺がベッドから立ち上がったのはトイレに行くための二回だけで、目を開けるのも面倒な時間もあった。頭はぐわんぐわんと揺れ続けるし、身体は寒い。のに寝続けると汗をかいてて、その気温差が気持ち悪くて、喉元から何かが這い上がって来るような感覚を覚える。
一昨日の夜に海になんか入ったからこんなことになったんだ。そうやって兄ちゃんへの恨みつらみを思い出すことで、俺は昨日のことを忘れようとしている。

烏野は青城に負けた。
いい試合だった。堕ちた強豪なんて言われてる割には、よくやったよ。なんて声が周りから聞こえたけど、そうじゃない、そうじゃないんだよきっと。彼らは、勝つはずだったんだ。勝って、決勝へ行って、全国への切符を手にする。それ以外の結果は、すべて違うものなんだ。
練習を頑張ったわけじゃない。誘われて入っただけ。言われることを淡々とこなしてきただけ。みんなみたいな熱量を、持ち続けていたわけじゃない。
それなのに、なんで俺がこんなに苦しいんだ。こんな感情、持ち合わせていいはずがないんだ。
前回出来なかったことができればそれで良かった。みんなに好かれながら、青春を謳歌する。制服を着て、勉強して、テストの点数で泣き笑いして、イベント毎に盛り上がって、しょーもないことで喧嘩したり大笑いしたりして。そんな日常が積み重なれば、俺は幸せだった。

「いってぇ……」
誰も居ない部屋に、小さく呟く。どこが痛いのかは、もうわからない。


***


澤村side

「え、葵今日も休みなのか?」
「っす……担任曰く、熱が下がんねぇって聞いてるらしくて」
「そろそろ心配だな、如月はひとり暮らしだったろ?」
「連絡してんすけど、返事ないんすよ。アイツ生きてんのか?!」
「俺たちもメール送ってみたりしてるんですけど、返事ないです……」
青城に負けた悔しさに浸る間もなく、むしろそれをバネに春高へと目標の標準を変え、今一度部内の士気が上がりつつあるなか、マネージャーの如月が三日連続で学校を休んでおり、部室を不穏な空気が覆っていた。

「東京遠征のためにも如月は必要なんですけどね……如月、なんだかんだ頭いいし。田中の面倒見れるし」
「俺はガキかなんかかよ!」
「実際そうだろ。それに、勉強会ってなったら如月のご飯食えんのかなって期待してたし」
「縁下、貴様それが狙いか!」
「木下だってそうなくせに」
縁下の言う通り、夏休み前から決まった音駒が所属する梟谷グループとの合同合宿、もとい東京遠征に行くにあたり、直前の期末テストを乗り越えるには如月の力は必要だ。勉強面のフォローはもちろんのこと、合宿となれば怪我の回数だって増える可能性はあるし、大きなものでなくても小さなズレがのちに大きな怪我に繋がることだってあるし、それを事前に見抜ける観察眼は俺たちに必要なのだ。それに、如月の存在っていうのは、もうすでに烏野バレー部にとって欠かせない人物であって、戦力のひとつなんだ。お前がコートの外から見送ってくれることが、どれほど安心に繋がってるのか、きっと如月は知らないんだろう。

「っし、じゃあ二年は今日、一時間早く切り上げて如月ん家行って来い。田中、家分かんだろ?」
「うす……いいんすか?」
「ああ。本当は行きたかっただろ?田中のことだから、夜遅いしって遠慮してたんだろうしな」
「全員で行って平気かな」
「俺も気になるしついていきたい」
「オレも行く!!!起こしてやらあ!!」
「西谷は置いていきたい……」
一番心配していただろう二年に、ここは託そう。えらく懐いてる影山には少し我慢してもらうとして。あとは清水にも……。

「あの!ちょっといいかな!」
制服姿の清水が、入口から珍しく大きな声で俺たちを呼ぶ。その後ろには清水より幾分か小さい女の子がひとり。

「新しい人、見つかったんすか!!」
「何何〜、なんすか〜?」
「えっと、新しいマネージャーとして仮入部の、」
「やっ、谷地仁花です!!」
なんてこった。まさかもう一人マネージャーが入って来るなんて。清水は追加でマネージャーの勧誘を行い、今回こうしてひとり、ようやく声がけが成功したらしい。彼女は委員会の仕事があるとのことで挨拶だけ。その後、ジャージに着替えた清水へ感謝を告げた。

「……烏野がこれからもっと強くなるために、自分の仕事も引き継いでいかなくちゃって思った」
「清水さんっ!」
「それに……コートの外、ひとりだと寂しいから。葵、人一倍寂しがりでしょ」
「……ああ、そうだな」
「さっき聞いた、二年がお見舞いに行くって」
「清水も心配だろうけど、遅くなっちまうから」
「うん。私は平気。……早く、葵が元気になってくれれば、それで」


***


「うん、もう平気……平気だってばさっき体温計の写真送ったじゃん」
『ご飯食べたの?昨日も本当は食べてないって分かってんだから』
「ゼリー飲んだから許してよ……今日は今からお粥つくる」
『はあ……なんで宮城なの。こっちに居たら俺が全部やってあげるのに』
「京治に移したら大変じゃん。てかそんな生活になったら、京治なしじゃ生きられなくなっちゃうでしょ」
『……いいじゃん別に』
「ん?なんつった?」
『なんもない。早く食べて寝なよ』
「あーい。ありがとね」
体調不良が京治にバレて二日。高熱と頭痛と吐気に襲われ、三日間も学校を休んでしまった。インフルエンザ以外でこんな寝込んだの初めてで、加えて一人暮らしの大変さを身に染みた。ご飯は出てこないし薬もない。とりあえず家にあった頭痛薬を飲んで、ただひたすら寝ることに徹した結果、京治から来た連絡に気づかなくてバレたって感じなんだけど。通話が終わったスマホを今一度見やれば、連絡ツールのアプリたちが物凄い通知数を表示していた。バレー部やクラスメイト。こりゃ、明日学校行ったら色々言われそうだな。今から一件ずつ返信してもいいけど、その前にご飯……。と思ったのに、立ち上がった瞬間インターホンが鳴った。

「えーっと……」
「味付けなんでもいいよね?あ、卵おじやにする?」
「冷蔵庫の中にゼリーとかバナナとか詰めておいたから。明日は食堂でみんなで食べよう」
「葵!お前んち広いなー、この壁でオーバーの練習ができる!」
「やめろよ西谷!目の前には病人だぞ!」
「おめぇー返信来ねぇからめちゃくちゃ心配したぞ。分かってんのか」
「お、おう……まさかみんなが家まで来ると思わず、びっくりしております」
「もっと早くから頼ってくれればいいのにさ。ひとりで治しちゃうなんて」
西谷に説教してた縁下に小突かれる。田中は俺がなんも連絡しなかったことが非常にご不満なようで、俺の左隣に座りながら滅茶苦茶睨んでくる。ので、そちらが怖くて向けません。

「お前が休んでる間に、東京遠征が決まった」
「え?東京遠征?」
「音駒が呼んでくれたんだって。5校の合同合宿だよ」
「でもそれに行くには期末テストで赤点取ったら終わりなわけで」
「頼む葵!!オレを助けてくれ!!」
「なる……」
「あと、春高」
田中のつぶやきにハッとする。何事もなかったかのように話をしていたけど、あの試合が終わった後、こうやってゆっくり話すのは今日が初めてだ。青城に負けた、あの日から。

「俺たち、とっくに気づいてるよ。お前がちょっと寂しそうなの」
「……は?」
「試合前、コートから出てく如月、めちゃめちゃ寂しそうな背中してんもんな。ほれ、卵おじや」
「うっまそー!オレが食いたい!!」
「西谷!ステイ!!……みんなに愛されたい!なんて大きな声で言う割に、それを受け止めてないのは如月なんじゃない?」
「いやいや突然なに?」
「葵も一緒に戦ってんだから、ひとりだけ違うみたいな顔すんなって言いたいんだよ俺は!!」
静かにキレていた田中が、語尾に続くにあたり声がでかくなる。勢いのまま肩を掴まれたもんだから、耐えられなくてそのまま田中のお腹にダイブする。……同級生の前でこの状況、めっちゃはずい。

「マネージャーも一緒に戦ってる部員のひとりでしょ」
「潔子さんは勝利の女神だけどな。葵の気合入れないと、しっくり来ねぇ」
「こーんなに、あーんなにみんなから求められてるのに、まだ足りないわけ?贅沢すぎだろ」
「縁下が怖い」
「右に同じ」
田中のお腹から抜け出して、木下が作ってくれた卵おじやを前に、縮こまる。みんなから言われることは図星すぎて、言い返すことができない。言葉にしないことで、気づかないふりをしてたのに。

「辛いときは辛いって言うこと」
「はい」
「しんどいときはしんどいって言うこと」
「はい」
「あと田中をこんな顔させないこと」
「んだよこんな顔って!」
「鏡見て来いよ龍!お前死んだイノシシみたいな目してたからな!」
「たとえが恐ろしい」
縁下の言う贅沢は、正直まだ腑に落ちてなくて理解するのにもうちょっと時間かかりそうだけど、とりあえず早く学校行きたくなった。ひとりぼっちは、俺には似合わなすぎるんだ、きっと。

「ありがと、みんな」


20200424