誘惑トラベラー

何かに本気になるって、結構勇気がいること、なのかもしれない。
本気を当たり前にできる人って、案外少ないのかもしれない。
やればできるとか、頑張れとか、根性論めいたものは苦手だったけど、やらない後悔よりやる後悔ってスタンスで、好きなものにハマることを怖いと思ったことはない。だから、彼の心の傷を俺がそう簡単に癒せはしない。分かるよ、なんて安っぽい慰めは、したくないから。

「美味し?」
「……はい」
食堂の片隅、休憩時間の合間に予算が余ったって言って潔子さんが買ってきてくれたホットケーキミックス粉で作ったチョコのスコーンが机に並ぶ。まさかこれを一番に食べるのが月島だとは思わなくて驚きだけど、実は甘党らしいと聞いていたので、無心で頬張る姿にこちらの頬が緩んでしまう。美味しいならよかった。ここにやってきた時は、幼児が転んだけど好きな女の子が目の前に居るから泣けない、みたいな何かを我慢しているような顔をしていたので、いつもの涼しい表情が戻ってきて安心安心。

「如月さんは、本気で何かをやったことってありますか」
さっきの話の続きだろうか。なんで部活で、将来になんの役にも立たないバレーボールをこんなに必死にやるのか。そんなことを疑問に思って先輩たちに質問しに行ったそう。答えてもらったものの納得しきれなくて、巻き込まれた自主練の末にこちらへ逃げて来たんだとか。視線は交わることなく、月島は三つ目のスコーンに手をつけた。

「いまはこんなんだけど、昔は必死こいてやってたことあるよ。全部の時間をそれに注いで、寝る間も惜しんじゃうくらい」
「……それって、成功?というか、将来安泰に繋がるようなことだったんですか?」
「んーん、未来?言ってしまえば明日なんて分からないくらい、ギリギリの状況だったね。やり直すことはできたかもしれないけど、一歩間違えればゲームオーバーって感じ」
「……なんでそんなことやってたんですか」
綺麗に整った眉を寄せて、何やってんだコイツ…なんて顔をしながらこちらを見る月島を、笑って誤魔化した。こうやって過去のことを引き合いに出すと、たかが十七年くらいじゃ経験しないようなことまで引き合いに出してしまいそうになるので、危険だ。俺はコリン星からやってきた妖精じゃないからな。ちゃんとお母さんのお腹から、おぎゃあと生まれているのだから。あれ、話が脱線したな?

「本気だろうが何だろうが、月島がいまここに居る時点で、俺はなにも心配してないけど?」
「俺、別に自分がどうこうとか言ってないんですけど」
「そうか?ははっ、んじゃ俺の勝手な独り言って思ってて〜」
「……そういうことにしておきます」
ごちそうさまでした。丁寧に両手を合わせて呟く姿を見て、口元が緩む。こういうところはキチンとしてるんだよね、月島って。
他の一年生に比べて絡んでこないし、俺もそこまで絡みに行ったりしないから月島のこと沢山知ってるわけじゃないんだけど、たま〜にこうやって頼ってくれる存在で居られてるのか、と思うと、嬉しくてたまらない。後輩に頼られるって、運動部っぽいじゃん。青春してるわ。

「これ持っていっていいですか?」
「おー、また作るよ?」
「休憩中に食べます。僕はどこかの体力馬鹿たちと違って、休憩でおにぎりを食べる余裕はないので」
「なーる?んじゃ今度から自主練の前に出すおにぎり、月島だけ違うのつくる?」
「……そこまでしてくれなくても、」
「月島が喜んでくれるなら、先輩頑張っちゃうよ?」
「…如月さんも、田中さんたちみたいに先輩風吹かせたいんですね」
くすりと笑うお顔があんまりにも綺麗だったもんで、お兄さん驚きで硬直してしまいました。紅茶の中にちゃぽんと落ちたスコーンは、スタッフが美味しくいただきました。なんてね。


***


「如月は巨乳派?ぺちゃぱい派?それとも尻?脚?」
「……え、なに突然、木下どしたの?頭打った?」
「いや健全だろ。男子高校生だぞ。ほら田中は!」
「俺は……潔子さんというものがありながら……グラビアを見るなど……」
「オレは脚だな!!綺麗な脚つってもよ、いろいろあるけど、筋肉質よりも柔らかいのがいい!あわよくば膝枕をだな」
「おーけー西谷の妄想はその辺で。あんまり如月のそういう話って聞かないよねって話から、ここまで来たんだよ」
「ほお……俺が必死に明日の朝ごはんの用意をしていた間に…」
「でも実際どーなの?彼女居たって話も聞かないし。タイプとかあるの?」
「居たことないからなあ……ん〜、一生懸命な子?」
寝る前のリラックスタイムともいえる時間に、烏野の部屋へ乗り込んだら、男子高校生らしい話で盛り上がってる二年がそこに居た。梟谷のメンバーはミーティングをするらしくって、誰も居なくなってしまったからやって来たんだけど、やっぱりこういう合宿の夜って恋バナすんだなー。質問にどう答えようかと悩みながら、さり気なく縁下の布団に入りこんだ。

「ちょっおい!俺の布団に入るな!!」
「あと〜俺のご飯を美味しいって言ってくれて〜」
「この世の女子ほとんどが美味しいって言うだろお前の飯」
「こーやって一緒に寝てくれる子!」
「ぅぎゃっ!おまっほんっとに!!」
「力、簡単に捕まりすぎだろ!」
布団をひっぺ剥がして俺を外へ追いやろうとする縁下の腕をグイっと掴んで、抱き枕のごとく布団の中へ沈ませる。楽しそうな西谷がプロレスのレフェリーのごとくカウントを始め、木下はケータイを取り出しクラスの女子に送り付けようと必死に写メを取ろうとしてる。成田は縁下に助けを求められて、どうしようか悩んでる様子。田中は未だ違う世界にいるようだ。

「力くん、一緒に寝よ〜?」
「ぎゃはは!!如月なにげなく高い声出してんじゃねぇよ!!」
「ね!な!い!やめろ離せ馬鹿!!」
「おーっとここで力が反撃!布団で覆いつくし、上に乗ったースリー!ツー!ワーン!」
俺で遊んだ罰だ。そんなことでも言いたげに、掛布団をかけた上から乗っかられて、視界は真っ暗。遊びすぎたか〜なんて思いながらも、布団の中で笑ってる俺に縁下は気づいているんだろうか。げしげしと右足でいじめられている。脚癖悪いぞ縁下め!!

「……何してるんですか」
「寝てるところを起こしに来た彼女をベッドに連れ込む彼氏の練習」
「んで彼女が反撃して、勝った結果、彼氏が尻に敷かれるの図」
「おやすみなさい」
「ぎゃーーー月島、無視しないで!見捨てないで!なんなら俺が一緒に寝てあげるからぁ!」
「うっさいぞ如月!浮気かよ!」
「え、まだ続いてんの?てか縁下が続けんのかよ!」
「こうなったらやるしかないだろ」
「誰だよ火ぃつけたの」
「お前だろ!!!!」
布団から追い出されたのに、謎に火が付いた縁下が、今度は俺の腕を引いて布団の中に閉じ込めた。なんなのなんなの?高校生ってこういうの好きなの?マジ謎だな?!やり始めたの俺なんだけどさ!!

「……葵?」
「あ!京治くん!ミーティング終わったの?」
「うん……」
「じゃあなお前ら!縁下の腕の中で安らかに眠れ!」
ガラガラと開いた扉の向こうで突っ立ったままの京治に駆け寄ると、まあいっか。と零したあと腕を引く京治にならって俺も歩き出す。後ろから聞こえるおやすみ〜の声に軽く返事だけはして。すぐ隣が梟谷の部屋なのに、俺の腕を掴んだままの京治は部屋には入らず歩き続けたまま。何個か教室を通り過ぎて、明かりのほとんどない渡り廊下にやって来た。

「どーしたの?」
「……」
「黙ってちゃなんもわかんないよ〜京治く〜ん」
「……ん」
身体の向きをこちらに変えて、両手を開いたまま棒立ちの京治。これ、所謂おいでのポーズでは?俺は犬か?飼い主の腕の中に飛び込んで来いってか?

「俺は犬じゃないよ?」
「知ってるけど?」
「じゃあこの腕はなに?」
「飛び込んで来ていいよって意味」
「……なるほど?」
口数の少ない京治から、本音を読み解くのが難しくて考えることをやめた過去の自分を恨みながら、まあいっか。ひとりで完結しつつ、その腕の中に飛び込んだ。ぐるりと背中に回された手が、ぎゅうっと抱きしめてくるもんだから、どーしたどーしたと顔を上に上げると、首元に顔を埋められた。俺の背が低いから丁度いいって、前に言ってたっけな。ちくしょう。

「京治、ぐりぐりしないでっ」
「んっ、」
「くすぐったいんだよーもー」
「……そうだよね、うん、分かってたことだよ」
ポンポンと背中を叩いてやれば、抱きしめる力が強まって、逆効果だったようだ。んー、そろそろ部屋に戻りたいな?明日も練習だよ?どうしたら満足してくれるのか、理解できない彼の行動に悩みながら、もう数分間このままで居ることになった。どうか誰もこっちに来ませんように。




20200503