0歩


苗字名前は世界で活躍する女子サッカー選手だった。
ライバルたちは勿論男性にも負けない強い選手ばかり。
エースストライカーとして申し分ない実力だった自信がある。

かつて共に闘った仲間たちと敵として見えるのが楽しみでならなかった。
世界一にチームを導くことはできたし、日本に帰って幼い原石を磨くのも悪くないだろう。
歳をとって皆バラバラになってしまったけれど、サッカーは唯一の繋がりだった。
きっとかつてのキャプテンに会ったら、いつも通り元気に「サッカーやろうぜ!」と声をかけてくるに違いない。

明日一番の飛行機で帰ろう。お日さま園に戻って、瞳子姉さんに今までの話をすると長くなりそうだ。

***


「……は?」

飛行機に乗って、長時間のフライトのために眠っておこうとして、目を閉じた瞬間。
大きな揺れがあった。地震のような揺れ方は久しく、状況を把握しようと目を開けるとそこは名前の自室だった。

「これ、制服?それに手が綺麗…」

名前は知らない制服を着ていた。自分の持っていた制服は帝国学園の物しかなかったはずだ。それに傷だらけの手はずいぶん綺麗になっていた。碌に労ってこなかったが、それも勲章だとチームメイトと笑った記憶がある。

何より鏡に映る自分の姿は化粧せずただただボールを追いかけていた”あの頃"の自分だった。




「父母はいない、でも苗字財閥はある。そして帝国学園もない」

名前は現状を整理した。
中学生の頃、全国を旅したチームメイト達が世界に挑戦している間、名前は父母ができた。
父母が自身の活躍をテレビで観て支援したいと声をかけてくれたのを一生忘れないだろう。
その父母がいないにも関わらず、自身の机には苗字財閥の資産運用書とそれを確定する名前のサインがあった。

制服を調べたところサッカー部すらない高校で、春から1年生のようだった。
どうやら家の運用上こちらの方が便利だということで引っ越したらしい。

“らしい”というのは名前の日記にそう書いてあったからだ。
見覚えのある字、書き方の癖。なのに書いた覚えのないそれに名前は頭痛がした。

有名校である雷門や帝国学園すらなく、何なら日本サッカーは決して強いといえぬ現状。
自分ひとりおかしな世界に取り残されたのだと名前は考えた。
そうとしか思えない状況に、名前はどうするべきか頭を抱えた。サッカーをしない名前は名前じゃないと言っても過言じゃないくらい切り離せない存在なのに、部活すらなく。今更クラブチームに入るのも難しい話だ。あと2年で全国を目指せるようなチームを選んだところで相手にされるはずもなく、いつでも入れるようなチームで満足なプレーなんてできるはずもない。

できることと言えばサッカーの研究くらいだろうか。
必殺技は高校生の時そこまで数がなかった。せっかく時間を持て余している──というか何をすればいいのかわからないのであれば時間は有効に使うべきだ。

名前は早速工事業者に連絡しようとスマホを手にした。


***



「は、え?必殺技が出ないんだけど」

金を積んで積んで、早く作れと急かして。ごねる業者を札束で殴って(これは比喩である)。入学前にようやくできたコートで人の怪我も心配せず必殺技の練習ができると思ったのに、現実は残酷である。必殺技の”ひ”もない現状に名前は驚愕した。
テレビで観るに、誰も技を使わないからそういう制約があるのかと思えばそうではなく。”使えない”から使わないのだとその時ようやく理解した。

そして張りたてのネットは名前の心のごとくズタズタであった。

「嘘でしょ、ただのシュートでネットが裂けるなんてもろ過ぎない?」

名前は混乱に悲しみに、どうしようもない感情にボロボロと涙をこぼした。





「私はスポンサーとして付きますよ。強い選手を輩出するのは大事なことですし」

名前は結局サッカーから少し距離を置くことにした。
共に闘いたかったかつての仲間はもういない。日本のサッカーはお世辞にも強いとは言えなかった。
どれだけ自分が強くても、独りで勝ち上がったって楽しくなんかない。張り合いのないスポーツなんてどこに楽しさがあるのだか。
たまに一人で球蹴りする程度だった。

結局ネットを張り直しても破れるものだから、紆余曲折の末特注品を使うこととなった。
余りの弱さにおかしいと思って調べたところ、どうも名前の蹴りが強すぎるようだった。
自分の担当医──苗字グループで雇っている医者によると、人間にそもそもあるはずのリミッターが外れたのではということだったが、それなら少なからず副作用があるはずだ。
結局自分が異色であることが原因と名前は睨んでいる。

自分と同等の試合ができる人間がいないのであれば、排出すればいいのでは。そう考えた名前の元に何のイタズラか、舞い込んだ話が青い監獄計画だった。

元々スポーツ関連の投資をしていたらしく、一枚噛むのは難しい話ではなかった。
そして強者を生み出す自信しかない彼に興味を持つのは必然だったと名前は思っている。

「絵心さん」
「お嬢ちゃん、話は終わった」

素っ気ない絵心に名前は微笑んだ。
この人は強者の匂いがする。もしかしたら、なんて小さな希望を持って。

「私、あなたに個人的なお願いがあるんです」
「家に帰る時間じゃないのか?」
「私の門限は私が決めますし、可愛いお願いですよ」
「ちょ、ちょっと絵心さん!」

赤髪の女性が止めに入る。彼女がこの計画の先導者であることは間違いなく、名前にとって興味深い人物に変わりない。
ニコニコと微笑む名前にアンリはホッとした様子で絵心に耳打ちした。

「この子、苗字グループの代表の方ですよ!」
「こんな子が代表なんてその会社は終わってるな」
「絵心さん!」

そんなことは名前にとって何十回と言われたことで痛くもかゆくもない。早く本題に入りたかった名前は早口で急かすように、どこか圧のある雰囲気で続けた。

「苗字グループは、私が作ったんです」
「ふぅん、それは凄いね」
「わぁ、こんなに思ってもない言葉言われたのは初めてです。でもそんなことどうでも良くって」
「な、なんでしょう!」

この男に話すより隣の女性に話したほうが早かったのではないかと名前はアンリに向けて姿勢を正した。聞く気のない人間に時間を割くほど無駄なことはない。名前は金で解決するという手段を手にしてから楽なものを選びがちになった。ダメだと思っても楽な方に逃げるのは人間の性か、金持ちの傲慢か。名前にとってそんなものは些細な事でしかなかった。

「絵心さん、私と1on1、やりませんか?」







  


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ツユシグレ