3g
「糸師くん、凄いよねえ。見てるとサッカーって糸師くんの為にあるスポーツなんだなあって思う」
友人を見つめる大人びた瞳か、風に靡く髪か、落ち着いた物腰か、優しい音を紡ぐ口か、全部か。
この瞬間に糸師凛は恋に落ちた。
だから何が良いと聞かれても、名前だから良かったし、名前以外は欲しくない。
「名前、起きろ」
「ふぁ、あれ、いまなんじ…」
凛は寝起きの名前が好きだった。
いつもしっかりしている彼女がふにゃふにゃになっている姿を見ると、自身の傍は安心して寝られる場所だと伝えられてるようで。
「ね、歯磨きぐらいできるよ?」
「俺がやりたいからしてる」
名前の歯磨きも好きだ。
どうせ譲らないことにここ数年で慣れた名前は呆れて託してくれる。
小さい口は可愛いし、夜必死に幸せの悲鳴を上げていたことを思い出す。これを言うと絶対次からさせてもらえないので言った試しはないが。
「う〜ん、ご飯作ってる時にちょっかいは良くないと思うなあ」
「でも作れるだろ?」
「それはそうなんだけど」
名前が料理している後ろからちょっかいをかけるのも好きだ。
ほんのり朱に染まる耳と、震える身体に満足する。
休みの朝を堪能するために、前日の夜は必死に帰ろうとする。
「いただきます。わ、凛ちゃんまたテレビ出てるよ」
「そうか」
画面に映るのは全力でサッカーに向かう自分だった。
何かしら最善を尽くすのは癖かもしれないと名前を盗み見た。
チームメイトにはちゃんと紹介しろと再三言われ続け、パーティの際は威嚇する猫のように名前を囲うものだから、その必死さに哀れに思ったのか最近グチグチ言われることがなくなった。
名前は無自覚だが、穏やかな物腰で"誰にも"優しく(これは不満である)、エキゾチックで魅力的。
野放しにしようものなら旦那がいようがいまいが関係ないだろう。
妻に浮気相手ができれば放っておいた旦那が悪い。
だから良くも悪くも妻を囲うことに文句をいうやつは少ない。チームメイトぐらいか。
バカンスは死ぬ気で共にいるし仕事が入った時は家から出さない。
凛にとって幸運だったのは、バカンス中家に居てくれというお願いを二つ返事で了承する名前の国民性だった。
フランス人の女性であったらこうはならなかっただろう。
きっとパズルのピースだったらピッタリくっつく二枚だった。
自分が凸凹だったら彼女は真っさらでどんな形にもなれる粘土で出来たピースか。
名前はサポートする、という言葉が正しく似合う女だった。
気遣いは大変細やかで、何故か凛に負い目を感じている節があるが、凛を好きにさせてくれる。
嫁バカとは言ったもので、名前はどんなパートナーでも幸せに出来ると凛は思っていた。
だからこそ付け入る隙は与えてはならない。
自分以外が彼女を幸せにするなんて以ての外だった。
「ね、凛ちゃんこれどっちがいい?」
「右、そっちのが似合う」
日差しの強い季節、日焼け止めこそ塗っていたが帽子を持っていなかった時、当たりすぎて名前の肌は可愛そうなほど真っ赤になった。
そんなことも気づかないなんて、と密かに落ち込んだ凛を見てから名前は外出の際必ず帽子をかぶるようになった。
外出の際、名前は高めのヒールを履く。最初の頃は水膨れがひどかったが、今ではピンヒールで踊れるほどだ。
平均より小さい背を気にして履き出したが、身長が小さいからって幼子のようには見えなかった。すっと伸びた背筋、上品な仕草、いまではすっかり流暢になったフランス語。
教養があって可憐で上品、近所の人には話題の尽きない素敵な女性と思われている。
一度話した際大げさだと言われたが、名前の努力は無意識だ。
「よし、準備できた!行こっか」
「ほら、手」
昔から凛はエスコートを無意識にしていたけれど、こっちにきてからさらに洗練されたなあと名前は凛の腕を取る。
初めは混乱していたけど、ヒマがあれば彼はキスしようとしてきて、周りも同じようにしているのを見ると名前は慣れざるを得なかった。
恥ずかしい気持ちは少しあるけど、友人にもビズをすることに慣れた。じっと凛が見てくることもあるけれど、お国柄許してほしいと遠い目をしていたことが懐かしい。
「あれ、名前ちゃんやん」
長らく凛以外から聞いていなかった日本語に名前はキョトンとした。
凛と同じくらいの身長。ヒールを履いたって首はちょっと痛い。久しぶり似合う烏旅人に名前は顔を綻ばせた。
「旅人さん、お久しぶり」
「相変わらずべっぴんさんやなあ!名前ちゃんおるってことは凛もおるな」
そういって周りを見渡す烏。
ちょうど会計を終えた凛がこちらへ戻ってきたタイミングだった。
「なんでここにいる」
「俺もオフやっちゅーねん」
「名前に近づくな」
「おーおー相変わらず過保護やなあ、そんなんやったら嫌われてまうで」
「嫌わないから瞳孔開いたままこっち見るんじゃありません。旅人さん挨拶してくれただけだから」
そういって苦笑すると凛は冷ややかな目で烏を見た。
まさか名前が自分を捨てて他の男に行くなんてこれっぽっちも思っていないが、名前が愛嬌を振りまくのは自分だけでいいと凛は常々考えている。
「じゃあな」
「自由やな」
「あっ、ちょっと!もう、旅人さんまた今度!」
「はいよ〜」
ヒラヒラと手を振る烏に申し訳なく思いつつ、凛に着いて行く。
凛は嫉妬深いというか、所持欲が強いんだよなあと名前は思ったが口には出さない。
口に出したが最後、わかってるのに他所に愛嬌を振りまいてんのか?と背中に般若を背負うこと間違いなしである。
休日。凛と共に出かけて知り合いと少し話して。
のんびり過ごす映画のような時間が名前は好きだ。
「知り合いは予定聞き出して避けるべきか?」
「やめてね、それで凛ちゃんとの時間無くなったら泣いちゃうから」
「そうか」
ここ数年で名前は凛の機嫌の取り方が上手くなったと自負している。
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