千切 豹馬


あ、千切豹馬だ。

赤い髪、長い睫毛、恐ろしく速い脚。
彼が振り向いたその時に名前は彼が"誰なのか”を正しく理解した。

なんとなく生きて、欲しいこともやりたいこともなく何故新たな命を受け取ったのか疑問に思うこと数年。
名前は培ってきた経験のおかげでいろんなことをできたけれど、何か自慢できるほど突出したものはなかった。
器用貧乏とはまさにこのことで、さてどう生きるかなんて口を尖らせて考えていた時に黄色い歓声が聞こえた。

やはり足が速いとモテるんだなぁ、子どもって不思議。なんて歓声の発生源を見ると予想を裏切らず赤髪の彼だった。
いつもならやっぱり、で終わっていたはずが、彼が振り向いた瞬間、名前は雷が落ちたかのような衝撃を受けた。

これって某サッカー漫画では?


***



名前は結局彼──千切豹馬を観察することを選んだ。
特にすることも成したいこともないのだから、この世界の基盤となる人物の近くにいるのも悪くないんじゃないかという軽い気持ちだった。

「豹馬くんすごいねえ、モテモテだ」
「俺は…名前と一緒にいたいとは思うけどよくわかんねえ」
「うーん、もうちょっと大きくなったらわかるんじゃないかなあ」

ちょっと観察、のつもりがいつの間にか彼から仲良し認定されていたらしい。名前はくすぐったく思って小さく笑った。今は小さくてカワイイが、きっと成長したらそれどころでなく人気になるのが簡単に想像できた。
一緒に居られるのはいつまでかな、彼女ができるが先か思春期がくるが先か。
名前は呑気に空を仰いだ。



「ね、送らなくていいよ?すぐそこだし」
「こんな時間に女の子一人じゃ危ないだろ」

彼との関係は思ったより長続きしている。
小学校高学年にさしかかるとやっぱりからかわれるし、中学生にもなると流石に距離を置くべきだと名前は同性の友だちと過ごすようになった。
それは彼も同じだったが、サッカーの練習が終わった後や休日、度々名前の部屋を訪れるようになった。

何をすると決まっているわけでもなく、なんとなくサッカーの試合を観て応援したり、雑誌を肩を並べて眺めたり。この後どうなるか知っている名前は伝えられない罪悪感を覚えつつも少しでも疲労軽減にと彼の脚のマッサージを引き受けたりしていた。おかげで今や豹馬お墨付きの専属マッサージ師だ。他では採用されないだろうが短い間でも彼の支えになれば上々だと名前は勉強を欠かさなかった。

高校生になってから、豹馬はさらに人気者となった。名前は彼と別の高校に通っている上、吹奏楽部に入ったためもう会うことも早々無いだろうと踏んでいたがお互いに部活の終わる時間が近いため安全のため共に帰ろうというのが彼の提案だった。

流石に迎えに来てもらうことに申し訳ないと思った名前は「彼女とかできたら言ってね、送らなくていいからね」と伝えたが豹馬はこちらを睨みつけて返事もせず手を掴んで帰るだけだった。


名前は今が嵐の前の静けさだとよく知っていた。




豹馬が病院で診察してもらった。
穏やかに進む日常はそう続かず、ついにその時がきたのだと、名前は罪悪感で心臓を鷲掴みされているようだと目を伏せる。

「…そっか、大変だったね」
「…まぁな」
「きっとサッカーの神様が豹馬くんに嫉妬したんじゃない?慎重にプレイすれば、」
「お前に何がわかる!?」

突然怒鳴られて名前は驚きで固まった。それは豹馬も同じようで、目を丸くしたあとにきまり悪そうな顔で名前から目を逸らした。
怒鳴るつもりはなく、反射で出た言葉に名前は目を伏せた。

「豹馬くんがさ、サッカーに一生懸命なのはわかるし、苦しさは君のものだからわからないけどさ」
「…」
「サッカー以外に生きる道もあれば、サッカーだけを極める道もあってさ。将来なんてうんと時間があるんだからそれは君が選ぶ道なんじゃないかなって思うよ」
「…うるせぇ」

そっぽを向く豹馬に名前は眉を下げて微笑んだ。
今はその時ではないけれど、いつか今の言葉をわかってくれる時が来ればがいいな。そう思いながら豹馬の手を取った。
振り払われることはなく弱々しく握り返されたそれに名前は少し安堵を覚えた。
いくら自分が精神的に大人だからといっても、大切な友人に嫌われるのは平気なわけがない。


***



「ただいま」
「豹馬くんおかえり!」

あれから少し。どこか元気のない豹馬に寂しく思いながら過ごしていると、例の紙が届いた。
豹馬の運命を大きく変えることになる1枚の紙を名前はずっと待ちわびていた。

彼の動向は外部からは分からず、もやもやと心配を抱えたまま過ごす日々が続いた。
豹馬の母に試合を見ないかと誘われたが、自身のソロコンの準備があったため叶わず、名前はどこか吹っ切れた顔で帰ってきた豹馬を見てようやく安心することができた。

「ね、走ったんだって」
「はいはい、話すからさっさと部屋入ろうぜ」
「自分の部屋みたいに言っちゃって」

いつものように自分の部屋に先に入る豹馬に名前は茶化しながらついていった。
こうして二人で話すのは久しぶりだとお茶を注ぐ。小さな冒険譚に名前は心躍らせた。

青い監獄に入ってから。仲間との出会いと、夢のために限界まで走り続けると心に決めたこと。
名前は優しく相槌を打ちながら、豹馬は少し照れ臭そうにこれまでのことを話した。

「お前には、その…格好悪ぃとこ見せた」
「カッコ悪くたって豹馬くんは豹馬くんでしょ?」
「なんだって?」

グリグリ、とこめかみに握りこぶしを当てられて名前は悲鳴をあげる振りをしながら逃げた。
こんなに穏やかなのはいつぶりか。罪悪感からやっと解放されて、ようやく肩が軽くなった名前は上機嫌だった。

「あ、そうだ。ソロコン出たって聞いた?」
「母さんから聞いたよ。審査員賞だって」
「そう、それでね、三位の子が海外留学の声かけてくれて。同じプログラムに行かないかってことでいつかははっきり決まってないけど、一緒に行こうかなって考えてる」
「…ふーん」

明らかに気分が下がった様子の豹馬に名前は苦笑した。薄々思っていたが豹馬は名前に過保護だ。
実は前々から名前は考えていたことがあった。このまま大人になって働くとして、海外へ出ることは大きく有利になる。今や幼馴染と言っても過言ではない彼の心配もなくなった。いよいよ人の心配をしている余裕もあまりないと思い立った名前にちょうどよく声をかけてくれたのがソロコンテストで三位を受賞した彼だった。

たまたま縁があり会うこと数回、連絡先も交換して、お互いの身の上話をして。暇なときに電話したり、ちょっとした相談や部活の愚痴など話す気軽な友達。一歩踏み出した豹馬に置いて行かれないためにも将来の糧になる何かしたいと名前は乗り気であった。

「で、それ男?」
「うん」
「はぁ!?何考えてんだ」

思ったより大きな声で返されて名前は驚く。落ち着いている──を通り越しておっとりしている名前に豹馬は頭を抱えた。危機感がなさすぎる。

「いい子だよ?」
「トーク見せろ」

流れるようにスマホを手渡した名前は渡した後にあれ、なんで見せてるんだろ。と頭上にはてなを浮かべていた。
履歴は当たり障りのない日常とたまの電話で埋まっている。

「名前こいつ好きなの」
「え、違うよ!友だち」
「こんなん向こうは絶対気があるだろ」
「絶対そんなことない」
「いーやあるね。誰にでも愛想振りまくのお前の悪いとこだよ」
「えー…」

自覚がないことを言われ名前は不服そうにした。
名前にスマホを返して豹馬は一拍置き、何かを決意した顔で向き合った。

「お前、コイツと俺どっちが好き」
「うーん…比べることじゃないと思うけど」
「どっち」
「…豹馬くん、かなあ」
「俺もお前が好きだ」
「うん、うん?」
「海外経験が必要だったら俺も行くと思うし一緒に行けばいいだろ」
「うーん?」
「つまりコイツと行く必要無し」
「そっかあ」

流されるまま誘導される名前に豹馬はそういうとこだよと零した。
名前は自覚がないが穏やかで人当たりがいい。パッと華やぐ美人ではないが繊細で清楚な雰囲気がある。
豹馬は虫除けのために帰りは迎えに行って休みは部屋を訪れていたが名前は一切気づいていない。

名前に恋愛的に好きだと言ったところでピンとこないまま振られるのは目に見えている(しかも自分のために時間を使うのはもったいないという腹の立つ言い訳付きだ)。それなら囲って囲って、後に引けなくなってから思いを告げればいい。
国内でも海外でも、連れて行って一緒に暮らして。逃場をなくして愛で浸す。
不穏な考えの豹馬に名前は気づかず、豹馬くんが言うならそうかなあと呑気なものだった。

「な、俺と一緒でいいだろ」
「うーん、豹馬くんがそれでいいなら」

とりあえず男関係をきちんと清算すべきだと豹馬は再び名前にスマホを渡すよう告げた。




  


戻る


ツユシグレ