休校となった一日目は疲労回復に努め、二日目は幼馴染の母親、轟冷に会いに行った。体育祭のことは既に知っていて、休校一日目に焦凍が来てくれたのだと彼女は大層喜んでいた。もう私は彼の様子を伝える伝書鳩の役割すら失ってしまった。「また来てね」と言葉をかけてくれたけれど、言葉通りに受け取っていいものとも思えない。

『今日から家のこと色々やらなくちゃいけなくて、ギリギリの電車になりそうだから私のことは待たずに学校向かってね』

登校当日には嘘で塗り固めたメッセージを彼へと送った。一緒にいる時間を少しでも減らして彼への気持ちを薄めようという情けない私の身勝手な提案は受け入れてもらえたようで『わかった』と返信が来る。しなければならない家事などない。精々食べ終わった朝食の食器を洗うくらいだ。
母に不審がられないよういつもより数分くらい遅い時間に家を出てゆっくり駅に向かおうとしたら天気は雨。重い足取りがさらに重くなる。混雑している電車で押し潰されそうになりながら教室に辿り着いた。

「コードネーム、ヒーロ名考案の時間だ」

始業スレスレに席へ着くと間髪入れずに相澤先生がやってきて授業の内容を告げた。ヒーロー名はこの世代なら誰しもが子供の頃にごっこ遊びで一つや二つは考えていただろう。
私も多分に漏れずその一人ではあるのだが、どうにも皆ほどテンションが上がらないのは未来像の変化によるところだろう。体育祭で起きたことを踏まえてどんなヒーローを目指せばいいのか、わからなくなっていた。

「将来自分がどうなるのか。名をつけることでイメージが固まりそこに近づいていく。それが『名は体を表す』ってことだ」

授業担当はミッドナイトへ移行して、みんなのヒーロー名に彼女が逐一アドバイスをしていたけれどいくら時間をかけても何一つ浮かんでこなかった。

「うーん、小さい頃とかに考えたことなかった?それかどんなヒーローになりたいかとかは?」
「なりたいヒーロー像がまだ決まってなくて……」
「そうねえ……ま、今回は仮決めだし名前でも良いわよ」

ミッドナイトとの相談を経て今の私のヒーロー名は沙耶、名前をそのまま使うことになった。従姉妹のまどかだって名前をそのまま使って活動しているけれど、彼女は事務所に所属せずメディアにも出たことがないと言っていたからそれでもいいのだ。
ずっと考えていた未来を否定された今、私はどんなヒーローになりたいのだろう。それを決めなければ前には進めない。

「秦野、指名リストだ。……と言っても三件じゃ決めにくいだろう、指名がなかった者用の四十件も渡しておく」
「ありがとうございます」

受け取ったリストの一枚目は三件。あんな体育祭の結果でよく三件も指名してくれるところがあったものだと内心驚いていたが、その内の一件はエンデヴァー事務所ということで納得した。彼と私とを見極めたいに違いない。後の二件はなんだろう、エンデヴァーとの繋がりがあるんだろうか。

「沙耶」
「えっ、な、何?」
「……驚かせたか?」
「うん──あっじゃなくて、全然!」

彼が行く行かないに関わらずエンデヴァーの所には行きたくないな。そう思っていた所に声をかけられたものだから変に驚いてしまった。指名リストを机に伏せたが彼の用はやはりそれのようで、目線がリストを追っている。

「あいつのとこから来てたのか?」
「う……うん。お情けで指名してくれたのかな」

あの人に限ってお情けなんてことがないことくらい百も承知だ。名目上は最後のチャンス、実質は最終通告にも近しいそれだろう。
彼がエンデヴァー事務所に行かずとも他のヒーローへのサポート度合いで私を見限るに決まっている。別にエンデヴァーが何をしようと、目の前にいる彼は私のサポートなど受ける気がないのだから無意味なのだが。

「あいつが何考えてんのかわかるっつったら変だけど……あいつんとこなんて嫌だろ?蹴っていいからな」
「嫌ってわけじゃ──」
「沙耶はあいつと関わらなくていい。他にも指名が来てるならそっち優先でいいんじゃねえか」
「そう……そうだね。うん」

好意的に考えれば彼はあくまで私を気遣ってくれているのだろうが、ピシャリと放たれたその一言で私と彼との間に一線が引かれたように感じた。今までの家族ぐるみ──と言っても昔のあの一件から大した交流はないのだが──の関係は終わりなのだと。思わず目を伏せて裏から透けて見えるエンデヴァー事務所の文字にずきりと胸が痛む。

「舐めプが人の進路に口出してんじゃねえよ」
「舐めプ?」
「……俺のことか?」

前の席に座る爆豪勝己は通常時でも不機嫌極まりないのに今日は輪をかけてひどい有様だった。体育祭で一位を取ったというのに指名数では二位、ヒーロー名考案でも次々却下されていたから虫の居所が悪かったのかもしれない。
「お前も従ってんじゃねえよノロマ!言いたいことあんならハッキリ言え!」誰の味方をするわけでもなく、ただただ私達の会話に苛立っているようだった。爆豪の苛つくスイッチがどこにあったのかは定かではないが、適当に言っているにせよ勘の鋭さには少々驚いた。

「何かあるのか?」
「え?えっと……」

言いたいことならある。あるけど、この胸の奥に仕舞い込むつもりの気持ちをまた表面に出してどうなるというのだ。もういいと決めたのだから。エンデヴァー事務所に行きたかったわけでもないのだし、ここで何を言ったって変わらない。精々空気を悪くするくらいだ。

「──……私、ガンヘッドのところに行こうと思う」

エンデヴァーの次にリストアップされていた名前を言うと彼は不思議そうな顔をしていた。私が行く系統ではないと思ったのだろう。

「ガンヘッド?バトルヒーローだよな?」
「うん、まだどんなヒーローになりたいかって決めれてないし、せっかく指名してもらってるし」
「そうか。もう決めてたのに口出して悪かったな」
「ううん!焦凍くんはたくさん指名来てて大変だよね。一週間で選ばないとだし」
「……おいノロマ、そりゃ俺に対する嫌味か?」
「えっ、ち、違います……爆豪くんも大変そうですね……」

「僻むなよ体育祭一位ー!」なんて切島が遠くから茶々を入れてくれたお陰で空気が柔らかくなっていく。爆豪も別に的外れなことは言っていない。私に助け舟を出してくれたようなものなのだから。ただ少しばかり荒々しい波に乗っている舟だったけれど。

「沙耶ちゃんもガンヘッドの所に行くん?」

お茶子にそう話しかけられたのは職場体験先提出の期限当日だった。

「うん。てことはお茶子も?」
「指名来てた!」
「意外だな、お茶子がガンヘッドだなんて」
「それは沙耶ちゃんもやん。やっぱなりたいヒーローの方向性決めるため?」
「そうそう、そんな感じ。みんなと違って何にも決まってなくて恥ずかしいよ……」
「実際私達は三年プロにはなれないんだしさ、そんな焦ることないって。一週間頑張ろうね!」

太陽のような笑顔が眩しかった。お茶子は災害救助を手がけるヒーローを目指しているそうだが、体育祭で爆豪に負けたことを踏まえてできることを増やすためにあえてバトルヒーローの所へ行くらしい。三重から一人で出てきてるだけあってほんわかした外見からは想像もできないほどに芯はしっかりしている。

「あ、ここだよ」

初めて降り立った東京はとても大きく賑やかで活気が溢れている街だった。駅に着いたときは思わず二人で息を飲んだほどだ。
そして初めての職場体験でもまた、圧倒され続けた。一日の始めは簡単な基礎トレから、と言われたものの全く簡単ではなくて。二人して基礎トレを終える頃には息が切れていて体力の無さを痛感せざるを得なかった。

「雄英に戻ったらもっと体力つけないとね……」
「デクくんに聞いてみる?よく空気椅子してるくらいだしそういうの詳しいんとちゃうかな」
「く、空気椅子してるの?緑谷くんすごい……」

彼はパワー型の個性だし人一倍体力が資本というところもあるのだろう。私は私でサポートの時はともかく、基本的には自分の運動神経を増幅して動き回るのだから体力向上は急務の課題だ。対敵に徹するにしろ、災害救助を担当するにしろ、それ以外の道を選ぶとしても体力があって困ることなどないのだから。
一日を終えてホテルの部屋に寝転びながら、横で同じように身体を休めているお茶子を見た。何だか緑谷の話をする時のお茶子はいつもより二割増で頬を赤くしている気がする。

「デクくんの職場体験先って昔雄英で先生やってた人なんだって。もしかしたらそういうののアドバイスも聞いてるかもしれないし戻ったら聞いてみよ!」
「……お茶子って緑谷くんのこと詳しいよね?」
「えっ?何いきなり!」
「いや、別に、変な意味じゃなかったんだけど……」
「デクくん以外のことも知っとるよ!あっほら、轟くんはエンデヴァーの所やん?」

お茶子のその一言は話題を私に移すためのものだったのだろうが、私は違う意味で思考が停止してしまった。彼はエンデヴァーの所で職場体験をしているのか。私には来るなと告げた彼が、そこにいるのか。てっきり私を気遣っていたのだと思っていたがそうではなかったのだろうか。
彼からしたらエンデヴァーに自分の力を見せつけ、そして左側の制御技術を盗むのにいい機会だ。そんな時に私がいては煩わしいと思った可能性もある。

「あれ、違った?」
「っていうか私、焦凍くんがどこに行ってるのか知らなくて」
「やっぱり轟くんと何かあったん?最近一緒におらんよね?」
「そうかな?別に何もないよ」

何かあったというよりは関係性がなくなったという方がより適切だけど、何もないという言葉もある意味正しい。私達の間にはもう何もない。




back / top