「あ、沙耶おはよーっ」
「おはよ。外まで皆の声聞こえてたよ、どうしたの?」

職場体験を終えた週明けの教室はいつも通りに賑やかだった。つい昨日は集中治療室の前で沈黙を守っていたというのにまるで別世界のようだ。

「お茶子が戦士になっちゃった。でも沙耶はいつも通りだね?」
「そんなことないよ?私だってほら……やる時はやるし!」
「えー、演習で当たるのやだなあ」

三奈の返しに笑いながら席に着いた。席の前では爆豪が切島達の首を掴みながら怒号を飛ばし、後ろの方では残りの男子がヒーロー殺しやそれに巻き込まれた三人について話し合っている。

「ただ奴は信念の果てに粛清という道を選んだ。どんな考えを持とうとそこだけは間違いなんだ」
「……」

ヒーロー殺しに襲われた従姉妹は容体こそ安定しているものの原因不明の昏睡状態が続いている。私と母はただただ心配するだけで終わってしまったが、居合わせたホークスが医師と状況や経過を確認した結果、恐らく私が体育祭で渡したクッキーを食べたことで『生きているのがおかしい』程の怪我でも一命を取り留め、その副作用として眠り続けているのではと仮説が立った。詳しいことは雄英の保険医に確認すると言っていたからそれ以上のことはわからない。

「改めてヒーローへの道を俺は歩む!」

だからひとまず従姉妹は東京の病院で入院し続けることとなり、何かあれば連絡し合おうとホークスと連絡先を交換して昨日は静岡まで帰ってきた。
飯田も同じように家族が事件の被害者となり、飯田本人もヒーロー殺しにひどく傷を負わされたと聞く。それなのにもう気持ちを新たにしていることに賞賛の気持ちが生じると共に焦りも感じる。私なんてまだどんなヒーローになりたいかすら、決められていないのに。

「はあ……」

彼が教室を出て行くのを見てため息を吐いた。

「わかりやすく落ち込んどるね?」
「お茶子……慰めて……」
「重症だ」

職場体験を終えて通常授業は始まり、なんなら中間テストも終わった。広がり続けるクラスメイトとの立ち位置の差に加え、時折話しかけようとする彼を何かにつけて避け続けるために神経を張り巡らせているのは流石に骨が折れる。
すごく失礼なことをしていることくらいわかっている。彼を傷つけてしまっているだろうことも。だけど今ここで昔と同じように会話したり、お昼を食べに行ったり、通学や帰宅を共にしようものなら私の決心は揺らいでしまう。
もう彼には近づかない。私がこの距離を保てば彼の父親が私を彼に押し付けることもなくなるだろうし、そういった面倒がなくなれば彼にとって最善だと思ったから。

「あのさ、隣の駅前に美味しそうな和カフェできたんだ。二人で行かん?」

雄英の最寄りから一つ奥、私の帰宅経路でもあるここにはお茶子の好きそうな和風のお店ができていた。こんな所よく知ってたな、お茶子の帰り道とは逆方向なのに。入ってみると落ち着いた雰囲気でお茶のいい香りがした。

「デクくんが教えてくれた体力作りメニューやっとる?」
「うん、でも家で動いてたらうるさいって怒られちゃった」
「そっか沙耶ちゃん実家だもんね。私も下の人に怒られんようにしなきゃ……」
「期末まであと一ヶ月ちょっとだよね?演習あるみたいだしもっと体力必要になるだろうなあ」

この前返却された中間は座学だけだったからクラスの中ではそこそこ上の順位だった。彼のことを頭から追いやるために必死で教科書を暗唱していたのが役に立ったのかもしれない。「ブツブツブツブツ女版デクみてえなことしてんじゃねえぞ……暫く口利けなくされてえのか!」などと爆豪には怒鳴られてしまったが。期末への勉強は声に出さずに暗唱して怒りを買わないようにしようと心に決めた。

「でも私は体力もだけど座学ももっと頑張らんと……みんないつ勉強しとるんやろ」
「お茶子は一人暮らしでやること多いもんね。私はご飯の後とお風呂の後にノート何回も書いてって感じかなあ。あと単語暗唱しながらスクワットとか」
「あっガンヘッドさんとこの基礎トレ?」
「そうそう、それも」

たった一週間の職場体験では息を切らさず基礎トレをやり終えることはできなかった。学校に戻ってきて二人で緑谷のマシンガントークならぬレクチャーを受け、もうすぐ一ヶ月経とうという今、ようやく呼吸を整えたまま基礎トレをこなせるようになっている。「あれキツかったけどいいトレーニングになるよね」お茶子も恐らく同じことをしているのだろう、半袖のワイシャツから見えている腕を曲げて小さな力こぶを作りながら笑っていた。

「聞いていいんかわからんかったんだけど……」
「?」
「まどかさん大丈夫?」

あの日お茶子には話していた。ガンヘッド事務所を一日早く出るその理由を。
飯田の兄であるインゲニウムやその他にも有名なヒーローはその後どうなったかなど報道されているものの、従姉妹はそういったヒーローと働き方も違えば知名度も天と地の差ほどあるのだろう、私自身その経路では全く情報を得られなかった。

「うん、この前一瞬目覚めたんだって。また寝ちゃったみたいだけど……お医者さんもあと少しだろうって。一安心って感じかな」
「そっか!よかったあ」

見るからにほっと胸を撫で下ろしたお茶子に釣られて私も笑顔になる。退院したらあの時知らせていた人達には言おうと思っていたが、もしかしてその事でいらぬ心配を掛けていたのかもしれない。ホークスにも後で一報を入れておこう。

「でもさ、それなら何にそんな落ち込んどるん?」
「……」
「やっぱり轟くん?喧嘩でもしたん?」
「えっ」
「『えっ』って……違った?」

お茶子は三奈と違って揶揄うような言い方はしてこないし何の他意もなく不思議そうに首を傾げている。その純粋な瞳が逆に私の胸には毒だったようで焼けつくような痛みを感じた。

「焦凍くんは別に何も……私が悪いだけで……」
「あ、また落ち込んだ。お餅食べんと硬くなるよ?」
「食べます……」

つきたてだというお餅はすっかり冷めてしまった。お店の人に申し訳ないな、と思いながら小さく噛みちぎったお餅を飲み込んだ。私のこの一向に消え去らない想いも同じようにできる代物だったらよかったのだが。五歳から抱き続けたこれは一ヶ月やそこらでどうにかできるものではなかった。
演習で彼が活躍していたらそこばかり見てしまうし、緑谷や飯田との会話で天然ぶりを発揮していたら聞き耳を立ててしまうし、お風呂に入っている間だってふとした瞬間に彼のことを考えている自分がいる。彼と話すまいと過敏にしたセンサーは全くの逆効果なのではと思えてくるほどだ。

「話したかったら聞くし、話したくなかったら話さんでええよ」
「……誰にも言わないでね?」
「轟くんのこと好きってこと?」
「いやっ、だから、その……そうだけどもうフラれてるみたいなもので……」

そういえば体育祭の後の打ち上げであのテーブルにいた人達にはすっかりバレていたのだった。ここで否定していては話も進まないし、彼のことを好きじゃない、なんて嘘をつける演技力があるならここまで苦労はしていない。そんなことができたなら、気持ちを隠して一緒に通学くらいしている。

「私と焦凍くんって幼馴染でね、なんていうか……許嫁みたいな感じで」
「……いっ?許嫁?コンヤクシャデスカ?」
「どうしたのお茶子」

ただでさえ大きな目が飛び出してしまうのではないかという程に見開かれている。私だって現代日本で許嫁だなんて言われたらこんな反応をするかもしれない。いや、ここまで目は大きくできないと思うけど。

「つ、続けて?」
「でもそれは親同士の口約束っていうか、本当にそんなことはないんだ。焦凍くんも私とは結婚しないって宣言してるし」
「オ、オトナだ……」
「私は焦凍くんのこと、その……好きだけど、私がそんな気持ちで近くにいたら私の親も焦凍くんの親も色々言って焦凍くんの迷惑になっちゃうから……もう諦めようって思って」
「いや、ごめん、なんやろ、私が熱くなってきた」

パタパタと手で顔に風を送るお茶子は確かに赤らんでいた。友達と恋の話をするなんて初めてのことで、言い終われば自然と冷静になっていき、まるで流行病のように私まで顔が熱くなる。

「それで最近轟くんのこと避けてるん?」
「うん……ひどいことしてる自覚はあるんだけど」

私が彼を本当に諦められたら、そして彼が利己的な私を許してくれるのなら、その時はまたおはようの挨拶からしてみようと思う。彼の優しさに漬け込むとんだ卑怯な手だが、そもそも今の私には彼への気持ちを無きものにできるとは思えないのだ、無駄な想像でしかない。

「そっか。沙耶ちゃんも大変やね」
「……ううん」

その後は取り留めのない話をたくさんした。ヒーロー基礎学や普通科目の授業の話、一ヶ月前に行った東京の賑やかさ、雄英の体育祭でトップを取った三年生は教員チームの応援にまで手を抜かないと最近話題になっている動画。気づけばもう夕方を過ぎ夜に差し掛かろうかという時間だった。

「ごめんねこんな遅くまで」
「ううん、誘ったん私やし。やっぱこういう女子高生っぽさも楽しまんとね」

にこりと笑うお茶子の顔をお店から漏れる光が照らしていた。こんな可愛くて優しい友人に気を遣わせてはダメだ、もう心配を掛けないようにしなくてはと足元を見つめた。

「……本当はこれ言うなって言われてるんだけど……」
「何?」

五分と経たずに着いた駅にはそれなりに人がたくさんいた。スーツを着ている人が多いから社会人の帰宅ラッシュの時間なのだろう。定期を翳して二人で駅に入り、階段が分かれる手前でお茶子が立ち止まったから私もそれに倣った。

「今日ね、沙耶ちゃんが何か悩んどるから相談に乗ってあげてほしいって轟くんに頼まれたんだ。あ、別に私嫌々来てるとかとは違うからね?──じゃなくて……梅雨ちゃんも言ってたけど轟くんは沙耶ちゃんのことやっぱりよく見てるし、迷惑なんて思ってないんじゃないかな」

「私の勝手な考えだけど」お茶子は末尾をそう結んだ後、鳴り響いた発車のベルを聞いて「また明日学校で!」大声で叫びながらホームへの階段を駆け上がっていった。

「……」

あんなにも一方的に無視し続けた私を気遣うなんて、どこまで優しく、ヒーロー気質なのだろう。自分の不甲斐なさと彼の情の深さを再確認して、やはり私は彼が好きなのだと諦めきれない想いを認識して思わず奥歯を噛み締めた。そうでもしないと涙が零れてしまいそうだった。




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