「……まどかさん、起きれる?」

人に身体を揺すられて起きるなんて何年ぶりだろうか。ゆっくりと目を開けると自分は地面に伏せていたのだと気づく。真っ白な床に横たわっている私の視界に映るのは自分の腕、そしてその奥に私服姿のホークスが。

「ごめん……大丈夫」

特にどこかを痛めたわけでもなさそうで身体を起こしても手も脚も問題なく動いた。胡座をかいて座るホークスに倣って床に座ろうとしたら靴が何かを蹴飛ばしたようで、何となしにそれを拾い上げると私の靴についていたはずのヒールだった。五センチくらいのポッキリと折れた細い棒。

「……」

もう片方の靴は無事だったけれどこれでは歩きにくいことこの上ないな、とエアカッターの要領でヒールを切り落とした。コトン、と落ちたヒールの音でスイッチが入ったかのように頭が働きだす。何故私はこんな所にいるのだろう。

「ホークス、ここどこ?」
「さあ、俺も気がついたらここにいて……」

床も天井も壁も気味が悪いくらい真っ白で、ホークスの赤い羽根がよく映えている。確か昨日ホークスは東京に行くと言って私の家を後にしたし、私も私で東京のヒーロー事務所に呼ばれて仕事をし、ホテルに帰る所だったのだが。
監禁されたのか、なんて不穏な状況が頭をよぎるが私はともかくホークスを知らぬ敵などいないだろうにそのホークスを何の拘束もせず部屋に閉じ込めるなんて監禁するような敵のすることとは思えない。しかもホークスも私も自由に個性が使える状況だ。

「まどかさんはどこで何してた?」
「えっと……仕事終わったからホテルに帰ろうと思って歩いてた。ホークスは?」
「俺もそう。拉致ってわけでもなさそうだし……近くを歩いてて個性の暴発にでも巻き込まれたか……?」

窓もなく、換気口も見当たらないこれを部屋と呼んでいいのかは甚だ疑問だが、私達は今真っ白な部屋に閉じ込められている。監視カメラは見当たらないし、見張られているわけではないにしてもここにずっとはいられない。何とかしなければ。
辺りを見回している私に「あのドアはバリアでも張られてるみたいで触れなかった」ホークスが奥にあるドアを指してそう言った。ホークスの剛翼でも突破できないなんて。敵もそれを分かっていたからホークスのことも私のことも拘束せず放置しているのかもしれない。ぞくりと背筋に悪寒が走る。目的も姿もわからない敵を突き止めなければならない──私達の緊張を破ったのは電話の着信音だった。

「電話?まどかさん持ってる?」
「えっ……あ、あった」

デニムのポケットに入っていたのは薄型の携帯。監禁時に連絡機器をそのままにする敵なんて聞いたことがない。持っていたはずのバッグもないのに何故携帯はそのままなのか。着信相手は番号が表示されているだけで誰からかはわからず、ホークスと顔を見合わせた。
昔見た映画では見知らぬ二人を鎖に繋いで殺し合いをさせるために置いてあったりもしたな。そんな物騒な考えを振り切るように息を呑み込んで、ホークスが頷いたのを確認し、スピーカーフォンにして通話開始のボタンを押した。

「……もしもし」
『あっよかった!聞こえますか?!』
「……?はい、どちらさまですか?」
『こちら須賀山警察署ですが──』

まさに私がホテルをとっていた地区だ。携帯から顔を上げてホークスを見ると「俺もいた」と小声で返してくれた。警察が動いているということは私達をここに閉じ込めた敵を確保したのだろうか。

『プロヒーローの方でしたか。それは良かった……いえ、良くはないですね、失礼しました。とにかくそういう訳なんで。条件はその内部屋に表示されるそうです』
「……」
『子供の起こした個性事故なので多めに見ていただきたいんですが……よろしいでしょうか?』
「あ、ええ、勿論。気にしないでくださいと伝えてもらえますか?」
『承知しました。ありがとうございます。あ、この電話を切ったら外部に連絡できませんし、こちらからも中で何が起きているかはわからなくなります。が、何もしなくとも五、六時間くらいで個性は解除されると親御さんからは聞いてますのでご安心ください』

プツリ。通話終了の文字が表示されて私たちの間には沈黙が流れた。
道行く幼い子供が癇癪と共に個性を暴発させ、流れ弾のような形で私達を襲ったらしい。条件付きで密室に閉じ込める個性などさぞ便利かのように聞こえるが、この後部屋に表示される条件をクリアできれば脱出できるそうだ。ヒーローというよりもアミューズメントパークなんかで重宝されそう。

「通りで監視カメラもないわけだ」
「二人で密室に閉じ込められるなんてデスゲームでもやらされるのかと思ってた」
「…… まどかさんの発想って物騒だよね」
「この前ちょうどそういう映画見て……」
「もう少し違うジャンルの映画見なよ」

ホークスが私を見て力なくゆるりと笑った。先程までの緊迫した面持ちはとうに消えている。
普段博多と静岡にそれぞれ住んでいる私達がよりにもよって東京で個性事故に同時に巻き込まれるだなんて天文学的な確率なのに、デスゲームなどでもなく最大数時間程度一緒にいられようとは宝くじに当たったかのような気分だ。
ここを出る条件が何であれ、暫くはホークスと二人きり。そう意識した瞬間、また別の緊張が頭の天辺から爪先まで瞬時に走った。思春期の子供じゃあるまいし二人きりになったからなんだというのだ。

「違うジャンルって?」
「俺もあんまり見ないから知らないけど……女の人なら恋愛物とか好きでしょ」
「私はあんまり……誘われたら見てたって感じかな」

とはいえ友人は私の好みを知っているから恋愛映画に誘ってこない。そうなると異性とのデートで行くのが主となるのだろうが、不規則な休みの仕事な上に現状気になっている人とは食事とてまだ一回しかできていないのだからそんな事は起き得るわけもなく。恋愛映画などもう一年くらいは目にしていない気がする。

「じゃあ面白そうなデスゲームの映画が始まったら誘うよ」
「……別に私そんな物騒なのが好きだなんて言ってませんけど」

何が面白いのか楽しそうに笑うホークスをまともに見れなくて顔を背けた。ここは一般的な女性像から外れないように適当な名作恋愛映画が好きとでも言った方が良かったのだろうか。
作品なら恋愛物よりサスペンスやミステリーの方が好きなくせに今の私の思考回路はまるで逆だ。こんな事ならばもっと映画なり小説なりで勉強しておけば良かった──とは思うものの、私の勘違いでなければホークスは楽しそうだからまあいいか、と気を吐いた。

「ただの個性事故で良かったよ。まどかさん見た感じ平気そうだけど、怪我はない?」
「ヒールが折れたくらいであとは全然。ホテルに戻れば替えの靴もあるし」
「仕事終わりだったんだっけ。この後も暫く東京?」
「うん。ホークスは博多戻る所だったんでしょ?飛行機の時間大丈夫?」
「最悪飛んで帰るよ。明日の仕事は昼からだし」
「間に合うように出れたらいいけど……あ、ねえホークス」
「ん?」
「あれ……」

ホークスの後ろ、私の目線の先に現れたのはホワイトボードのような何かだった。何か、というのは普通はキャスターなり何なりがついているはずなのにそれは突如として現れて空間に浮かんでいるからだ。何でもありなのか、この個性は。

「……何これ?」
「外に出るための条件ってやつ」
「いや、それはわかってるけど……だって、何これ?」

ホワイトボードらしきものはパソコンで入力しているかのように次々と文字が表示されている。

『お互いがお互いの目を見て愛してると言うこと。どちらも最低一回は言うこと。全部で十回言えば外に出られます』

一分ほど待ってこれ以上文字が増えないとわかり、再び私たちの間には沈黙が訪れた。
『愛してる』と互いの目を見て十回言わなければいけない。何度読んでもホワイトボード擬きの条件が変わる事はない。何でこんな子供騙しみたいな条件を、と考えたところで、そういえばこの個性の持ち主は子供だったのだと思い至った。

「……恋愛物が好きな女の子なんだろうね」
「やっぱり私、恋愛物は好きになれない」
「でも殺し合えよりはマシかな」
「比較対象が間違ってる……」

『愛してる』と言いさえすればいい。ホークスはそう思っているのだろうし、その考えは正しく私だってデスゲームなんかよりよっぽどマシだとは思うけれど、難易度が不可能から最高難易度に下がっただけのように感じる。仮にも片想いと呼べる感情を抱いている相手に面と向かって、なんなら視線を合わせて「愛してる」そう、こんなこと言うなんて私には──

「待って、今なんて……」

パッと顔を上げてホークスの方へ視線を向けた。

「愛してる」

ホークスは座ったままこちらを見て顔色一つ変えることなく「愛してる」と三度口にする。

「え、待って、ホークス何でそんな簡単に……言えるの?」
「……簡単ってわけじゃないけど言わないと出れないみたいだし?」
「……」

そうだけど。ホークスの言うことは何一つ間違ってはいないけど。こうも淡々と平仮名五文字の羅列を繰り返されると、彼は私のことなど何とも想っていないのだと痛感する。そして、痛感しているということは何らかの望みを抱いていたのだと気付いて自分が情けなくなった。
ヒーローとして支持率は全国でも三本の指に入り、ルックスの良さや老若男女分け隔てなく接するホークスはどの世代からも人気が高いがこと女性においては恐らくトップレベルだろう。そんな彼は綺麗に着飾った女子アナウンサーやモデル、凛々しく美しいプロヒーロー達とよく週刊誌を賑わせている。あれらが全て事実とは思えないがその半数くらいは嘘ではないのだろうし、そんな彼に対して私がどうなりたいなどと望むのは余りにも身の程知らずというものだ。

「俺が九回、まどかさんが一回言えば出れると思う。それでいい?」
「……うん」

「愛してる」とまたホークスが私の目を見て口にする。自分の耳の周りだけ真空状態にしようかとも考えた。そうしなかったのは、彼の言う「愛してる」を聞いていたかったからだ。たとえ何の感情も含まれておらず、ただの文字の羅列として発せられていると分かっていても。

「じゃ、後はまどかさんの一回か」
「……」

あと一回、私が言えばそれで終わり。この部屋からは解放されてホークスは博多へ戻り、私もホテルに帰って明日の仕事に備える。ただそれだけの事なのに何故か口から言葉が出てこない。

「俺に向かって言いにくいなら誰か想像してみたら?」
「え?」
「好きな人を思い浮かべるとかさ」
「……うん」

思い浮かべる必要などない。本人が目の前にいるのだから。だからこそ覚悟を決めることができないのだけど。

「……言い合わなくても五時間くらいで出れるらしいし、無理しなくてもいいよ」

彼を好きだからこそこんな流れで言いたくはないし、そもそも想いを告げるなどハードルが高すぎる。だけど私が言わなければ五時間も彼の時間を奪うことになってしまう。私からすれば彼と他愛のない会話をしてここで過ごせるのならそれでいいとしても、彼はそうではないはずだ。
搭乗予定の飛行機が何時かは知らないが、最終便まではまだ少し時間がある。今ここを出られたら予定通り博多にも戻れてそこまで迷惑を掛けずに済む。

「五時間後だったらまだ開いてる店多そうだし飯行かない?さっき雑誌の人が教えてくれた店が割と良さそうでさ」
「ホークス」
「ん?」
「あ……あいしてる」

ホークスの目を見て、吃りはしたものの言わなければならない五文字を正確に発音した。感情を込めていないように聞こえているだろうか。顔に熱がこもるのは仕方ないにしても、彼への想いが伝わっていないと願いたい。こんなことで気づかれたくはないのだ。

「……」
「……」

やってのけた、と自分では思うものの特に何も変化がない。部屋を見回しても出口が出現するわけでもないしドアにも変わった様子は見られず、どうしたのだろうかとホークスに向き直ると、彼はジャケットの襟元で口元を隠しながら何かを誤魔化すように私から目を逸らしていた。

「……ねえもしかして見てなかったの?」
「……いやあ……」
「瞬きでもした?」
「この部屋乾燥してるみたいで」
「……」

人が一世一代のつもりでやっと言えたというのに。『お互いの目を見て』という条件がクリアなされていなかったらしい。途端に怒りなのか羞恥心なのかよくわからない感情が湧いてきて口元が揺れた。

「そんなのさっきからわかってたでしょ」
「まどかさんが急に言うもんでびっくりしちゃって」
「……じゃあもう一度言うからね。ちゃんと見てて」

もう一回同じことを言えばいいだけだ。何の感情も込めずに、パスワードの復唱でもするかのように、五文字を読みあげればいいだけのこと。足元に置いていた手に、指に力を入れた。

「ホークス」
「はい」
「……愛してる」

パキンッとホワイトボード擬きが割れて、同時に部屋にもヒビが入る。「ドアのバリアが消えた!」先に飛ばしていたらしい彼の羽根で確認し、二人でドアを出るとその先はどこかの路地に繋がっていた。

「仕事終わりに災難だったね」
「私は……」

そんなことないけど、とは言えなかった。ホークスと二人で閉じ込められて彼の言う『愛してる』を聞けて嬉しかったことも、最後の最後に想いを告げたことも、絶対に知られたくないから。
隣を歩くホークスは何でもなかったかのように肩をほぐしているが、一つだけ気になったことがあった。

「……ねえホークス」
「?ああ、歩きにくいよね。靴買ってから行く?」

何故最初、私が違う所を見ているとわかっていて愛してると言ったのか。条件文をちゃんと読んでいなかったとは思えない。その後確認する素振りもなく、ちゃんと私の目を見て条件通りに言葉を読み上げたのだから。
私より少し背の高いホークスの目を見た。聞くべきか、聞かざるべきか。彼は何と答えるのだろう。条件を間違えていただけだとか、目を合わせているつもりだったとか、あるいは。

「……教えてもらったご飯屋さんってどこ?近いならこのままで行こうかなと思って」
「このまま歩いて五分くらいかな。どうする?」
「じゃあ平気。飛行機はいいの?」
「食べて帰ろうと思ってたし問題ないよ」

そんなことあるわけない。もしかしたら彼も私と同じ気持ちを抱いているのかもしれない、なんてこれじゃまるで恋愛映画みたいな考えだ。
それでも答えを確認さえしなければどうとでも取れる。自分に都合の良い考えを優先させた私は彼に何も聞かなかった。聞く勇気を持てなかった。




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