『なんか声、疲れてない?インタビューの喋り疲れ?』
「あー……いや、東京からこっち帰ってくる間暇で。寝れもしないし」
『飛行機で二時間くらいだっけ……移動お疲れ様』

出もしないインタビュー記事のことを適当に誤魔化したことに多少の後ろめたさはあったが、彼女から労いの声を掛けられ公安でのあれこれを、せめてこの電話がつながっている間だけは忘れられる気がした。

「まどかさんにいつも往復九時間使わせてるのは申し訳なくなってきた」
『別に私は……小説読んでること多いから、割とそのくらい時間あった方がいいかな。東京だとすぐ着いちゃって全然読めなかったし』
「小説読むんだ。なんてやつ?」
『シャーロックホームズとか。面白い話ばっかりだから次もし時間空いたら読んでみて』

小説なぞ欠片も興味が湧かないのだが、彼女と話が広がるというのなら、一二冊くらい目を通してみるか。できるだけ話に関心を持っているように努めて「ホームズね、了解」と呟いた。

『で、何の用だったの?私のおすすめ小説リストが欲しいわけじゃないんでしょ?』

電話の向こうで彼女が微笑んでいるのが目に浮かぶ。まるでこちらの本心がバレているかのようだ。本音を隠すことは幼少期からお手の物だと言うのに彼女相手だと何故かうまくいかないことが多いのは、年の功とかいうリアリティのない何かのせいか、それとも彼女に対して余裕を持てていないせいなのか。

「くれるって言うならもらうけど。実は雄英から報告書の件で変更連絡があって──」
『待って、ごめんホークス、あとで掛け直す』

彼女との通話は突如として切れた。
今日のヒーロー活動は終えたと先程聞いたばかりだったのだが、突発的に何か起きたのかもしれない。何せ彼女が今いるのは大都市東京なのだから犯罪件数は他所のそれとは比べものにならないし、こんな夜中では事件発生の確率は跳ね上がっていることだろう。
やけに静かな声だったのは気に掛かったが、無灯火の自転車が自動車とぶつかりそうなところに羽根を飛ばして回避させたり、急停車した自動車への玉突き事故を防ごうと後続の車を羽根で持ち上げたりと博多も博多で騒がしい時間が続いていたから何がどうなったのか、自分の手で調べることはしなかった。

「どうかしましたか?」
「ん?いや……」

あれから数日経ったが彼女から連絡は来なかった。掛け直すと自分で言ったことを忘れているのだろうか、と一瞬考えたが仕事のことを長期間放っておくような性格ではない。
個人的な話であれば掛け直すなんて言葉、早く電話を終わらせるための当たり障りのない断り文句かもしれないが、今回は雄英の体育祭に来てもらった件で提出すべき書類についての電話だった。いくら東京での仕事が毎日忙しいからと言え、ただの一度も電話が来ていないのは不自然に思える。

「まどかさんからの電話ってありました?」
「事務所にですか?ありませんよ。いつもホークスと直接連絡してるじゃないですか」

念のため事務所で書類仕事を進めるサイドキックに聞いてみても手がかりは得られない。俺から掛けた電話に対して事務所へ連絡を返されていたらそれはそれで思うところがあるのだが、書類についてならサイドキックに聞いた方が早いと思ったのか、なんて読みも一蹴されてしまった。
あるいは、彼女が自分に連絡し辛い空気を作ってしまったのか。確かに雄英に行った日や東京で偶然会った時なんかは少しばかり──少しかどうかの度合いは人によると思うが──意識させるようなことを言いはしたけれど。しかしそれだって冗談で済む範疇に収めたつもりだった。

「……雄英の体育祭って書類揃ってましたっけ?」

もしくは聞くまでもなく対処できたから連絡がないとか。自分の行動が彼女の気分を害していたという非ならすぐ認めるが、もしこの仮説が正しければ間接的に彼女に振られたと同義だ。意識していない異性から好意を向けられて嬉しいと感じる人はそういないだろうから。
こんな立場の分際で彼女とどうこうなりたいなんて人並みの幸せを望むことはできない。それでも好きな人と会話したり、仕事をしたり、許されるなら食事をしたり。ささやかな願いを持ち続けることは許されたい。

「それならもう……あっ、まだですね。まどかさんからの書類が未着です。雄英に直接送っちゃったんですかね?」

何故か嫌な予感がする。今の高校生が通うようなヒーロー科なんてところでは到底関わることのない事件をたくさん見てきた。それこそ子供の頃から。おかげで剛翼の個性は関係なしに何となく不穏なものは肌感覚ではあるがぞわりとくるのだ。そしてその感覚は今も自分に何かを伝えようとしている気がしてならない。

「常闇くんの報告書と一緒に送ろうと思うんでこの後連絡してみます」
「……いや、俺がしとくんでとりあえず常闇くんの方よろしくお願いします」
「了解です」

静岡から博多では距離があると言ったって報告書は全て電子データでのやり取りだ、郵送事故も考えられない。
では他に考えられ得る可能性は何か。ヒーローという職業柄必ず付き纏う、どうしても考えたくない選択肢が残っているのはわかっていた。わかっていて、考えないようにしていた。

「……まさかな……」

かの名探偵の『不可能なものを除外して最後に残ったものがどんなに信じがたくともそれが真実である』そんな名言が頭を過ぎる。彼女が面白いから読んでみてと勧めてきたから読んだのだが、ふと思い出すあたり相当影響を受けているなと感じ、頭をソファーの背に乗せ、ゴーグルを外した目に腕で覆いながら小さくため息を吐いた。
言うまでもなく彼女が「掛け直す」と言ったことを忘れている可能性も、報告書の提出を忘れていたり先日の発言が尾を引いている可能性も除外できたわけではない。しかしながら、彼女の性格や今までの経験からどう考えても残された選択肢の中で一番可能性が高いのは──彼女は何らかの事件に巻き込まれ、連絡を取れない状況に陥っている、とか。

「うわっ!どこだこれ……東京?」

事務所のソファーに預けていた頭がその言葉で起動したかのように動き始める。声を上げたサイドキックの目線は明らかに設置されているテレビへ向かっていた。

『ご覧ください!突如上がった破壊音と黒煙!事故によるものか敵の暴動か!まだ全く情報が入っておりません……』

画面の上部には生中継を表す英単語と地名が小さく表示されていた。東京・保須市。保須といえば最近ヒーロー殺しが現れた場所だ。その関係にしてはいくらなんでも被害が大き過ぎやしないか。一説によるとヒーロー殺しは相手の動きを止める個性と言われている。であるならば、この火災はまた別の敵だろうか。
街をここまでにするほどの敵と、四十人近くを殺傷している敵が東京の保須市にいる。いつの間にか膝の上で拳を握っていることに気付いて力を抜いた。何も彼女が保須にいると決まったわけではないのだから、焦るには時期尚早が過ぎるというものだ。

「東京がこんなになるってやばいっすね……」

サイドキックがどこか他人事のようにそう言った。確かに東京で起きている事件を自分事のように受け止めるのは難しい。しかし、こんな世の中ではいつ博多で同じような事件が勃発しても何ら不思議ではないのだ。

「じゃあ俺帰るんで、適当に上がってください」
「あっはい、お疲れ様でした」

地上ではなく空中から帰路につくのは日常茶飯事なのだが、そういえば彼女は勤務時間外にヒーローが個性を使うのはあまりよく思っていないようだったな。しかし眼下に広がる博多の街並みは東京に負けず劣らず綺麗なのだ、いつか何かに託けて見せてあげたい。

「……」

飛びながら携帯を取り出した。
彼女の安否は気になる。東京のどこの事務所に行っているのか、それとももう静岡に帰ってきているのか、期日に対応しなければならないサイドキックには悪いが書類のことよりもそのことが気がかりだった。
そして東京で起きている事件もまた、懸念事項だ。『東京がこんなになるってやばいっすね』サイドキックの言い方は他人事ではあったがあれは正しい一言だった。日本は東京に政府組織を多く置いていることから、あれが西東京の保須だけでなく東にまで広がっていたら非常に危険だと言わざるを得ない。

「……ホークスです。保須のニュース見ました。そちらは?……そうですか。いえ構いませんよ、明日なら」

最初に電話を掛けた先は公安だった。
どちらの電話番号も履歴の一ページ目に残っていて、どちらから掛けたってよかった。公安に今から来いと言われたところで明日の朝以降になるのは間違い無いのだから。それでも彼女の安否を確認するよりも先に公安へ掛けた。
結局、自分はこうでしか生きられない。彼女に好意を抱いていても、どうなりたいと願おうとも、ヒーローとして、公安の人間としての責務が最優先なのだ。ここで彼女に電話を掛けていたらそれこそヒーロー殺しに粛清対象と目されそうなヒーローのような気もするが、もしそうしていたら所謂人間らしさが自分にも残っていたと思えもしただろう。

「……」
『留守番電話サービスにお繋ぎします』

電話口から彼女の声は一言も発されることなく、機械的な音声が流れるのみだった。最初に掛けてたら繋がっていたのかな、なんて自分に酔った思考回路は持ち合わせていないが連絡が取れないという現実は心拍数の増加につながっているらしい。肺の奥底に溜まっていそうな重たい空気を電話にかからぬよう吐き捨てて、自室のベランダに降り立った。

「まどかさん、ホークスです。これ聞いたら何時でもいいので電話ください」

報告書の連絡をこの留守番電話サービスに頼んでしまってもよかった。そうしなかったのは彼女に電話を掛け直すという手間を取らせてでも自分が彼女と話す機会を得たかったから。この欲望の強さは親に似たのだろうか。
名前を捨てたところで切り離せぬ血の繋がりはいつかツケが回ってくるに違いない。せめて、彼女とは関係のないところであることを願った。




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