「そろそろ夜ご飯行かないと混んじゃうかな。二人は何食べたい?」

プロヒーローの二人が一仕事終えて戻ってきた時には西の空が夕日で赤く染まっていた。一日の密度が濃いからかあっという間に時間は過ぎ、もう時計の針は六時を回っている。

「俺は特に……沙耶は?」
「私、屋台街ってところに行ってみたい──けど、やっぱりホークスがそんな所にいたら騒ぎになっちゃいますか?」
「多少は声かけられるかもね。でも私服だと距離取ってくれる人多いから大丈夫」

なるほど、だから私服に着替えてから戻ってきたのか。プロヒーローも人気が出れば出るほど芸能人のような扱いを受けていて、所謂有名税のせいで私生活の時間も何かと奪われがちであると聞く。
隣を歩く焦凍の父親も知名度故に声をかけられているところはよく見かけた。ゆくゆくは彼自身もそうなるのだろう。ヒーローとしての強い個性に女性から支持されそうな端正な顔立ち、どこか抜けた受け答えで男性からも面白いと好かれる可能性は高い。自分の未来図なんて何にも思い描けやしないくせに、彼のこととなると考えが止まることを知らないなんておかしな話だ。

「明後日から林間合宿だって?」

中洲の川沿いを彩る屋台街の賑わいは昼の博多のそれとはまた違う空気が漂っていた。ホークスの言っていた通り無闇矢鱈と声をかけてくる人は少なく、皆が思い思いに飲酒や食事、そして会話を楽しんでいる。私達も川に面した焼き鳥屋に一つだけ用意されていた机を占領し、注文の品が焼かれている煙を味わいながらお茶を飲んだ。

「はい。強化合宿って言われてます」
「へえ、強化合宿か。夏休み返上なんて流石雄英だな」
「私の高校時代とは大違い。二人ともよく頑張ってるよ」
「まどかちゃんの高校ってどんな所だったの?」
「雄英とは雲泥の差だし聞いても面白いことないから。あ、焼き鳥来るよ」

隣に座る従姉妹の目を追うと屋台の店主がタレと塩とで分けた皿を渡してきた。焼き鳥自体は全国各地で食べられるものではあるが、この屋台街の雰囲気を感じながら食べてみたかったのだ。
さあ食べようとおしぼりで手を拭き、両手を合わせ「いただきます」と声に出したが残りの三人もほぼ同時に声を出したから思わず笑ってしまった。博多に来るか来ないか、彼との接し方をどうすべきかと悩み続けていたけれど今は彼の優しさのおかげもあって楽しい時間を過ごせている。来なきゃよかった、なんてことは一瞬たりとも考えていない。

「えっ、ここの焼き鳥美味しいです。静岡のより断然美味しいです!」
「そりゃ良かった。でもまた大きく出たね」
「だって美味しいですし……焦凍くんもそう思うよね?」
「……ああ」

彼は口に入れた鶏肉を飲み込んでから少しの沈黙を経た後、私の目を見て頷いた。塩が振られた串に手を伸ばしたところからして美味しくないということもないのだろう。

「ほら、焦凍くんもそう言ってます」
「沙耶が無理矢理言わせてない?」
「そんなことないっす。学食で焼き鳥は食べたことないんで」

一つ、また一つと焦凍は鶏肉を食べながら従姉妹にそう返していた。裏を返せばランチラッシュが作ればこの店以上に美味しいものが出てくるということだ。確かにランチラッシュの作る食事はどれも美味しいけれど、せっかく連れてきてもらったお店の料理を食べながら言うべきことではない。
斜向かいに座るホークスは一瞬、虚をつかれたような目を彼に向けていたがその意味を理解したらしく楽しそうに笑っている。本心かどうかはわからないものの空気が悪くならずに済み私も安心して焼き鳥を頬張った。

「静岡と比べるのは置いといて、おいしいけどこういうの食べてるとお酒飲みたくなっちゃうな」

串を筒に入れながら従姉妹が笑った。何年も前に成人を迎えた従姉妹なら酒を飲むこともよくあるのだろう。私にはまだ数年味わえない酒の魅力を知っているに違いないが、彼女もまた私と同様にお茶の入ったグラスを持っていた。

「やっぱりそういう感じなんだ?」
「勿論なくてもいいんだけどね。仕事がない日に少し飲みながらこんな美味しい焼き鳥なんてあったらいい休日だな、って」

プロヒーローは出動要請が掛かればすぐに現場へ向かわなくてはならない。基本的にはシフトを割り当てられているヒーローが担当するとはいえ、事件の規模が大きければ休みでもよばれる可能性はある。そんな時にアルコールで判断能力が鈍ったり個性の制御ができないなど許されはしない。いつかは雄英でもそういうことを学ぶのだろうが、今日一日でヒーロー活動だけではないヒーローの考え方や行動を学ぶことができた。

「ごちそうさまでした」
「ごちそうさま。じゃあ事務所行こっか。ホークスはこのまま帰る?」
「あ、まどかちゃん達もう少しゆっくりしていったら?焦凍くんと一緒だから迷わないと思うし」

時間は九時を過ぎていた。今日一日を私達のために使わせてしまっているし、未成年の私達がいてはできない話も飲めない物もあるだろうと提案したのだが従姉妹はホークスと目を合わせて迷っているように見える。確かにもう空は真っ暗だけどここは静岡ではなく博多。十分すぎるほどにたくさんの人と明かりがある上に、事務所もそう遠くはなかったはず。ホークスもどうやら同じ考えを持っているらしく「大通り歩けば着くから」と援護射撃をしてくれた。

「昼に持たせた羽根だけど、遠いと声は拾えないんだ。何話してても俺には聞こえないから気にしないで持ってて」
「あ、はい……」
「わかりました」

それなら返すのに、と思ったがどこで何が必要になるかもわからないのだし素直に言葉を受け取った。「明るい道だけ歩いてね。あと、事務所に着いたら絶対連絡してね」従姉妹からの言葉にも頷いて二人に一日のお礼を告げ、席を立った。

「二人とも成人したらまたおいで。今度は高校生じゃ行けない場所に連れてってあげるよ」
「はい、また是非」
「……それじゃあ、また明日もよろしくお願いします」

成人した後の話をするホークスに頷くことはできなかった。明日博多から静岡に戻れば私は彼への想いも何もかもを諦めると決めたのだから、成人、つまり高校を卒業してプロヒーローになった後に彼とこうして休日を過ごす関係になどなれるはずもない。彼とこんな時間を過ごせるのはあと一日だけ。残り時間は二十四時間すら切っている。

「ホークスの仕事見たの初めてだったけど、やっぱりすごかったね。一人で何人分の仕事こなしてたんだろう……」
「あれだけできる人だからサイドキックも少ねえんだろうな。今日はいい経験になった。俺ももっと努力しねえと」

道路を走る車が彼の横顔を照らしていた。数年後には父親の知名度もあってその名も顔もすぐに全国へ知れ渡り、ホークスに負けるとも劣らぬヒーローになると私は信じている。彼の未来ならばいくらでも輝かしくなると疑いもせずに想像できるのに、明日の私がどうなっているかすら予想がつかない。あと一日で全部諦めなければいけないのに、こうして彼と二人でいる時間を少しでも引き伸ばそうとしてしまうくらいには心残りが大きすぎる。

「……ね、焦凍くん」
「?」
「ちょっと川の方に行かない?」

屋台街から歩道橋を渡り、このまままっすぐ大通りを十五分も歩けばホークスの事務所に戻ってしまう。そしてお互い部屋に戻って課題をするなり明日の準備をする。二人で会話ができるとしたら今か、明日の帰りの新幹線くらいだ。往生際の悪い私は従姉妹の言いつけを破ってでもあと少しだけ彼との会話を続けていたかった。

「なんか懐かしいな」
「博多に来たことあったの?」
「いや。あの雪の日公園に行こうって言った時もこんな感じだっただろ。最初は外出るなって言われてたのに」

川べりまで降りて芝生に腰を下ろし、水面に反射している屋台の明かりから彼に視線を戻す。初めて会った十年前のことをそこまで覚えているとは思わなかった。彼にとっては何でもない日常の一日でも、私には彼に会えた特別な一日。あの日からこの恋心も夢も全てが始まり、十年経った明日に終わりを告げる。

「沙耶」

川を見ていた彼がこちらに目を向けたせいで視線がかち合い、胸が一際大きく鳴る。

「……あの時の続き、聞いていいか?言いたくねえなら無理にとは言わねえけど……やっぱり俺が何かしたんなら、ちゃんと謝りたい」

あの時、というのは期末テストの後に家の近くで私を待っていた時のことだろう。私が彼を避け続けた理由は結局真実も言っていないし嘘で誤魔化しもしていない。一言『ごめんね』とメッセージを送っただけだった。
それでいいと思っていたわけではなかったのだが、何をどう言えばいいのかもわかっていなくて。家の──というよりもむしろ父親の──ことで負い目を感じているからといって彼が謝る必要などなく、全て私の責任によるところなのに私は彼の優しさに甘えていた。

「焦凍くんが謝ることは本当に何もないよ。全部私が悪いの」

川に目をやると赤白黄色、様々な屋台の明かりが反射している。今頃従姉妹とホークスは楽しい時間を過ごせているだろうか。私も今隣にいる彼とそうなりたかった。仕事で支え合い、時には休日を共に過ごせるような関係に。そしてもし彼が受け入れてくれるなら、小さな頃から抱き続けた恋心が叶ってほしいと。

「個性把握テストの時言ったこと覚えてる?」
「……ヒーローになるために雄英に来たって話か?」
「うん。あれと同じでね、私は家のことなんて抜きで焦凍くんの力になれるような……そういう強いヒーローになりたいってずっと思ってたんだ」

「今の私じゃまだまだ全然だけど」そう呟いた時に自分のヒーロー志望としての行動が鮮明に甦ってくる。
個性把握テストでは下から数える方が早いほどの順位、USJでの戦闘では彼のサポートをしたと言ってもほとんど無用のものだった。体育祭の一回戦でほんの僅かに自信を身につけても二回戦では心操にいいように使われ八百万には八つ当たりをしてしまい散々な結果だったように思える。それに加えて演習授業での他人任せだった考えが露呈したこの前の期末試験。これらの醜態では「まだまだ全然」などという言葉すら当てはまらないのではないか。

「元々普段の授業でも皆との実力差もすごく感じてたんだけど、でも体育祭でいろいろあって……」
「……体育祭」
「いっつも焦凍くんに助けてもらってばっかりだったから、私このままじゃダメだって思ったんだ。だから少し焦凍くんから離れようって……身勝手でごめんね」
「……」

彼からの返事はなかった。怒っているわけでも呆れているわけでもなさそうな表情で私を見ている。嘘かどうかを見定められているのかとも思ったが、今言ったことは全て真実だ。夢や恋といった気持ちを断つためだったという点を伏せただけで。

「本当にそれだけか?」
「うん。結局期末も全然ダメだったけど……」
「……もう一つ聞いてもいいか?」
「?」
「俺は……沙耶の近くにいていいのか?」

彼の声は今までにないほど不安そうなそれだったせいで、どれほど私が自分のことしか考えていなかったを思い知らされる。自分の気持ちが最優先で、自分が傷付かずに済む道を選んでしまっていた。母親に加えて姉や兄と遠ざけられていた彼がどれだけ苦しんでいたかを私は知っていたはずなのに。幼馴染まで似たような行動をすれば彼が私よりもよっぽど傷つくことくらい、想像できたのに。
胸に込み上げてくる思いが二つの肺をきつく縛りつけ、不安そうな彼を見ているこの目のピントは水面に映る明かりのようにぼやけている。

「……もちろんだよ、焦凍くん」

彼の瞳から緊張の色が消えたのを見て私もゆっくりと息を吐き、笑顔を作ってみせた。彼から離れなければ夢も恋も諦められないと分かっていても、彼を再び傷つける選択肢など私には存在しない。私が自身の気持ちを押し殺す努力をすればいいだけの話だ。

「林間合宿楽しもうね!」
「補習キツイらしいけど楽しみなのか?」
「……それはそれっていうか……」

どんな合宿かは明言されていないものの肝試しとか花火とか飯盒炊爨とか──そういう楽しみを彼と分かち合いたかったのだけど、どうやら赤点を取った私の心配をしてくれているようだ。その気持ちは嬉しいが返す言葉に困ってしまい開けた口を閉じて何を言うか悩んでいるとポケットの揺れを感じた。

「待って焦凍くん電話だ……あっ、まどかちゃん……」

ポケットから取り出した携帯の画面は従姉妹からの着信と、屋台を出てから一時間近く経過していることを知らせていた。十五分そこらで着くはずの私達から事務所に着いた連絡もないとなれば心配するのは当然だろう。

『沙耶?』
「も、もしもしまどかちゃん?ごめんなさいちょっと二人で話してて……」
『はあ……もう、何もなくてよかったけど……』

従姉妹のもう一度謝罪を伝えようとした時、私の手から携帯が離れ彼の手に収まった。

「すみません、俺が連れ回しました。沙耶と話したくて。はい……はい。そうです。もう帰ります」

話そうと誘ったのは私だし、これもまた、彼の謝ることではないのに。通話が終わったらしい彼から携帯を受け取り事務所に向かって二人で歩き出した。




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