「さ、最下位は除籍……?」

入学初日にこんな事態になるとは思ってもみなかった。ただでさえ合格直後に彼から私も、私の個性さえも必要ないと突きつけられた中なんとか気力を振り絞って登校してきたというのにため息をつく暇すらない。

「六秒七四!」

五十メートルを走り終えて膝に手をついて肩で息をする。これでも私からすると信じられないほど速いのだが、クラスの半分以上は六秒を切っていることからすると私は下から数えた方が早い程度の順位だろう。
増幅の下地となる私の運動神経があまり良くないのだから上位を狙えないことくらい走り出すよりも前からわかっていた。それでも今、除籍処分になるかもしれないという焦りが生じてこないのはこの後の測定内容に自信があるからではなく、誰かが除籍になるなら別に私でもと思う気持ちがあるからだ。

「沙耶握力いくつだった?」
「えっとね、五十四キロ」
「あー、私四十ちょい、負けたあ」

入学前に仲良くなった三奈は私達の気まずいあのやり取りを見たにも関わらずその事には触れずに話しかけてくれる。十五歳が結婚するだのしないだのと側から見たら笑えてしまうだろうが、私にはあの会話が重石のようにのしかかっているのだ。もしあの会話がなかったら除籍になるまいと必死に頭を働かせていることだろう。

「……」

立ち幅跳びも反復横跳びもろくな数値が出なかった。周りのみんなは個性を活かして最低一つの種目で超人的なスコアを叩き出している。私はと言えば今のところは最下位でないというだけでこのままいけば間違いなく除籍。増幅という個性を生まれ持ち、幼い頃から好きな人の役に立てる個性だと言われたから勘違いしてしまったけれど、そもそもこの個性でヒーローを目指してはいけなかったのかもしれない。
持久走はまだ始まってもいないのに何故か呼吸が苦しくなって胸元を握りしめた。

「どうした?」
「えっ、な、何が?」

急にかけられた彼の声にパッと手を離して平静を装ってみせた。

「さっきから最下位スレスレばっかだろ、どっか悪いのか?」

ああ、そういう意味か。成績の方の心配か。心配してくれるだけでも十分彼は優しいのに私自身についてではないのかと勝手に落胆する自分が情けない。

「ううん元気だよ。私はほら、元々あんまり運動神経良くないし。みんな真剣にヒーローなりたくて頑張ってるのに……私なんかが来るところじゃなかったかな」

彼はどの種目でも見たことのない数値を出していたし、雄英でもそれ以外の場所でも実力を発揮していくことだろう。やはり私の力など彼には不必要だったのだ。近い将来彼の父親もそれに気づき、もっと彼に相応しい相手に鞍替えするのは想像に難くない。
地面を見ると私と彼が着ている同じデザインの体操服が目に入った。彼と同じ高校に通えると呑気にはしゃいでいた頃が懐かしい。

「……悪い」
「え?なんで焦凍くんが謝るの?」
「いや……沙耶が雄英に来たのは俺のせいだから」

彼は入学前に会った時も同じように謝罪を口にしていて、何故そう思うのかもわかっていたのに私はちゃんと否定しなかった。これでは私が除籍となった時に彼がいらぬ責めを背負い込んでしまう。それだけは避けたかった。
伝えたこともないから彼は知りもしないだろうが私は彼のおかげでここまで頑張ってこられたし、私にとって一番のヒーローはあの雪の日から彼でしかないのだ。そんな人に迷惑をかけたくはない。

「ごめん焦凍くん、私の言い方よくなかったね。確かに雄英受けたのは焦凍くんが行くって決めたからだけど、それは焦凍くんのせいじゃないし、もちろんエンデヴァーさんも関係ない。私が決めたの。雄英に入って個性を鍛えて、立派なヒーローになろうって」
「……」

あわよくばあなたに必要とされたくて、という最終的な将来像は胸の中にしまった。私の考えが彼の父親と全く同じというわけではないけれど、口にしていい話とも思えなかったから。

「ただ、特別運動神経良いわけでもないから情けない成績ばっかりだしちゃって。私の個性じゃ……みんなすごい個性の人ばっかりだし仕方ないかな」
「……ヒーローに」
「え?」
「ヒーローになりたくて雄英に来たんだよな」
「……うん」

すぐ近くではクラスメイトが次々にボール投げの測定を行っていて、さっきまで大した数値も出せていなかった人でさえ七百メートル超えの大記録を出している。パワーがあったり光速で走れたり機転がきいたり皆すごい人達だ。それに比べて私は何ができるというのだ。

「じゃあ沙耶も『真剣にヒーローなりたくて頑張ってる』だろ」
「……」
「増幅の個性はメインもはれるしサポートもできる。俺は必要だと思う、そういう個性のヒーロー」

彼の役に立ちたくて、サポートができたらとヒーローを志した。そんな理由は他の人に比べたらすごく不純に違いない。だけど今、グラウンドで繰り広げられている才能溢れた個性の実演を見て折れていた気持ちが彼の言葉で補強されていく。
雄英でヒーローを目指してもいいのだろうか。私みたいな個性でも、私みたいな動機でも。

「まだあと四種目ある。諦めるのはまだ早えぞ」

何かが込み上げてきたせいで視界が滲み始めたから急いで瞬きをした。彼はグラウンドに目を走らせて私の方を見ていないようだったから私が今どんな感情を抱えているかなんてこと、気づくことはないだろう。

「どれか一個に絞って個性を使えば何かしら成績は出せるはずだ。他の奴らの個性を考えれば──」
「待って!……考えてくれてありがとう。でもそこからは私が自分で考えて個性を使わなきゃ」

きっと彼のアドバイスに従えば最下位を免れることは容易だろう。だがそれでは意味がない。彼にこの個性をうまく使ってもらいたいわけではなく、ましてや彼に個性の力だけを求められたいわけでもないのだ。ヒーローになるには──胸を張って彼の隣を目指すには──自分でこの個性と向き合って私自身が成長しなければ。

「……俺も手加減はしねえからな」

やっと彼らしい穏やかな表情を見ることができた。最近では見ることの少なかった彼のこの表情。やはり私は彼が好きだ。彼がこんな表情をしていた頃に戻れるよう支えていきたい。どんなに綺麗事を言ったって私の原点は彼でしかない。
このテストを乗り切って雄英に居続けることができたら最初の目標通りに個性を鍛えて立派なヒーローになってみせる。そして、今は要らないと思われているとしても、いつか彼が私の個性を必要としてくれたらそれに応えられるように。

「もちろんだよ!焦凍くんも抜いて、一位取るからね!」

まさか有言実行できるとは思わなかった。
随分前に空気操作の個性を持つ従姉妹から聞いた話を思い出し、持久走で賭けに出る事にしたのだ。とはいえ今までやったことのない無茶な使い方のせいか立っていることすらままならず、グラウンドに倒れ込むように腰を下ろした。

「すごっ!沙耶ぶっちぎり一位じゃん!」
「ありがと三奈……やっと取れたあ……」

一時的に自分の中に流れる血液の量を増やした。そうすることで酸素摂取量が上がり持久力が上がる。他の皆が今までのテストで個性をたくさん使っていたから疲労度合いという点でアドバンテージはあったものの、持久走で圧倒的な数値を叩き出して一位を勝ち取った。血液の量は元に戻したというのにまだ耳の奥でうるさく鼓動が鳴り続けている。
今までの種目の比ではないくらいに疲労が一気にのしかかってきたけれど、遠くで呼吸を整えている彼と目があって、少し笑ってくれた気がしたから身体の気だるさなんて全て吹き飛んでしまった。




back / top