「書類見たらもう帰っていいらしいよー」
「おっし帰ろ、あのテストのせいで身体いてえもん。なんだよ合理的虚偽ってさあ……教師が嘘つくとかありかよ……」
「でも確かにただ個性使用オッケーって言われるだけよりかは頑張れた気するよね」

結局あのテストでの除籍処分どうこうという話は嘘だったらしく、クラスは誰一人欠けることなく初日を終えた。最終的に最下位を免れることに成功したお陰で除籍は関係なくなったとはいえ全員がクラスに残れるならそれが一番だ。まだ皆の顔と名前も一致してはいないし会話すら交わしてない人ばかりだけど、これからたくさんの時間があればきっと皆と仲良くなれるはず。

「ねえ沙耶、明日お昼一緒に食べよーよ。何人か誘っとくからさ」
「うん、行く!」

三奈はあっという間に男女問わず友達を作っていた。人見知りや引っ込み思案に分類される私としては三奈の行動力を見習わねばと入学一日目にして課題を突きつけられた気分だが、それは明日以降なんとかするとしよう。

「……あ、焦凍くんもう帰る?」

ふと隣を見ると焦凍はもう書類を鞄にしまっている。私はといえば半分も目を通せてないがこれは帰ってからゆっくり見ればいいやと書類をまとめた。

「特にやることないしな」
「じゃあ一緒に帰ってもいい?」

本当は登校の時も誘いたかったが、さっきまでの私は彼の言葉に勝手にショックを受けていたからそんなことできるはずがなかった。今思えば雄英に来るなだとか相応しくないだとか言われていたわけでもないのだが、いかんせん同じ高校に通えると浮かれていた私には『結婚するつもりはない』の衝撃が大きすぎた。

「ああ。駅行くか」

校門付近は雄英の制服で溢れていた。ヒーロー科以外の方が生徒数は多いと学校紹介で見た通り、部活勧誘中の上級生とその話を聞くために足を止めている新入生がたくさんいる。ヒーロー科も別に部活をしてはいけない決まりはないけれど入る人はほとんどいないと聞いた。私も入る気はないし彼も同じなのだろう、勧誘のチラシを一瞥もせず道を進んでいく。

「……どうした?部活入りてえなら──」
「ううん!行く!」

部活の話を聞きたかったわけではないのだが、周りを見ながら歩いていたら大分距離が開いていた。それに気づき振り返ってくれたことが嬉しくて思わず顔が綻ぶのを感じる。

「持久走すごかったな」
「ありがとう。焦凍くんがアドバイスくれたからだよ」
「……?俺は何も言ってねえ」
「ほら、個性使う種目絞れっていう」
「俺はそれ、上体起こしでって思ってた」
「そうだったんだ?でもそれがヒントになったから」

ガタン、と電車が揺れた。入学初日の下校時間だからてっきり車内は空いていると思っていたがそうでもない。つり革や手すりが全て埋まるくらいには混雑している。

「増幅の個性であそこまで走れるってどうやったんだ?」
「昔従姉妹に教えてもらったんだ。持久力は筋肉だけじゃなくて血液に流れる酸素の量が大事なんだって。だからそれを増やしてみたの」
「へえ……俺には真似できそうにねえな」

彼の個性は半冷半燃だ、血液や酸素とは無縁だし同じようなやり方では難しいだろう。とはいえ今日のテストでは半冷の方しか使っていなかったし、もう片方をうまく組み合わせれば私がやった方法よりも良い数値が出せたのかもしれない。今日一日としてその片方を使わなかったところを見ると、恐らく彼にその力を使う気はないのだろうけど。

「でも全体で二位だもんね焦凍くん。やっぱりすごいよ」
「すごいのは一位取ってたやつだろ。八百万……だったか?」
「うん、色々創ってた子。それに最初から除籍は嘘だってわかってたみたいだよ。私なんてすっかり信じてたのに」

担任の相澤はしきりに『合理的』と口にしていた。クラスでも誰かが言っていたようにただ個性を使って体力測定をするよりも効果があったことは間違いない。無駄な説明をする時間を省いて個々人に種目に沿った個性の使い方を考えさせるとはさすが雄英だ、と舌を巻いてしまう。そしてそれを読み切ってもなお、種目ごとに個性を使い分けていたあの子の判断力にも。

「除籍じゃなくてよかったな」
「うん。皆すごいから私がなるかなって思ってたけど」

もしあれが本当だったなら、そして彼が声をかけてくれなければ、私は今こうして一緒に電車で帰れたりもしなかっただろう。ヒーロー失格の烙印を押されでもしたかのように落ち込んでいるところはすぐに想像できる。そうならなくてよかった、と胸を撫で下ろすと電車の減速に伴いまた少し揺れた。
車窓の風景も車内のアナウンスも私達が降りる駅を告げていて、どちらからともなくドアの前に足を向けた時だった。

「俺も沙耶にいてほしかったから安心した」
「……え?」

ガコンという大きな音と共に電車がゆっくりと停止した。そして数秒と間を置かずに扉が開いていくのだが、私の思考は数秒前から停止したまま動かない。

「でもどのみち最下位じゃなかったよな。雄英の一般入試も合格してるし──……降りねえのか?」
「降りる……帰る……」

最寄駅に着いたのに降りようとしない私を不思議に思ったらしい彼が振り返る。そうだ、降りなくては。本数の多い電車でもないのだからと足を動かしたがうまく歩けている感触がない。新しく買ったローファーのせいなのか、それとも彼が先ほど放った言葉のせいなのかはいくら思考が停止している私でも答えを出すのは容易だった。

「じゃあまた明日な。駅で待ち合わせでいいか?」
「あ、うん。時間メールする……」
「ああ」

駅を出て何を話したのだろう。記憶がない。別れ道で手を振って、家の近所で私一人となった後でさえも脳は考えることを放棄していた。
自然と明日一緒に登校する流れになったことにもその場では気づくことができず、お風呂に入って母親に書類を渡し、夜ご飯を食べている時にやっと思い出して待ち合わせ時間を送ると『わかった』というたったそれだけのメッセージが返ってくる。
これでもう今日やることは全て終わったはずだと気づいた時にはもう身体に力が入らなくてベッドに頭から倒れ込んだ。

「……え?」

『俺も沙耶にいてほしかったから安心した』私の聞き間違いや妄想の類でなければ彼はそう言っていた。
てっきり彼に私などいらないと思っていた。ヒーローになることを諦めるなと励ましつつも、私という存在は彼にとって必要ではないのだと。無論、そんなことは言われておらず、私の勝手な想像と思い込みによるものだ。だからこそ今こんなにも混乱しているのだが。

「……そんな深い意味なんて」

良くも悪くも淡々としている人だ。ご両親のや個性のことさえ絡まなければ穏やかで天然と評されるタイプ。さっきのあの発言も、幼馴染としての情から来ていることくらい理解している。
雄英に進んだのは私の意思だと今日伝えてあるとはいえ、彼が何かしらの負い目を感じてそう言った可能性はある。あるのだけど、私の頭は自分の都合の良いように考える癖がついているらしく、考えれば考えるほど顔も身体も熱くなっていく。持久走を終えた時でさえこんなことにはならなかったのに。




back / top