「沙耶ー!」
「沙耶ちゃんおはよう!起きとる?」
「えっうん起きてる……朝ごはん当番だった?!」

枕元でけたたましく鳴る目覚まし時計を止めてからまだ数分しか経っていない。あと少しベッドで過ごしてから起きようとしていたけれど、突然の来訪に勢いよく身体を起こしてカレンダーを確認する。

「違うわ。今日は緑谷ちゃんと轟ちゃんの日よ」
「そっか、よかった……」

それならば何故三奈もお茶子も、梅雨までこんな時間に部屋まで来ているのだろうか。パドルブラシで大雑把に髪を整え、人前に出せる顔かをほんの数秒確認してからドアを開けた。

「お誕生日おめでとー!」
「おめでとう沙耶ちゃん!」
「朝早くにごめんなさいね、お誕生日おめでとう」

間髪入れずに差し出されたのは色とりどりのギフトボックスに加えて三人の明るい笑顔。寝起きの脳には結構な刺激になったらしくお礼の言葉を述べるのに何度も瞬きをしてしまった。
今日、九月一日は私の誕生日。合宿に持って行ってしまったイヤリングを従姉妹からの誕生日プレゼントなのだと説明する際に話したような記憶もあるが、その後は事件続きだったからまさかこうして皆が覚えていてくれて、祝ってくれるとは思ってもみなかった。

「あ……ありがとう!これいいの?」
「勿論。沙耶ちゃんのために買ったんやから」
「せっかくの誕生日だからパーっとお祝いしたかったんだけど外出許可おりなくてさー……。でも砂糖がケーキとか美味しいもの作ってくれるらしいから訓練終わったら皆で食べよ!」
「砂糖ちゃんが作ってくれること話してよかったのかしら?」

その場にぽつりと落ちた梅雨の呟きはテンションの上がっていた私達を急に冷静にさせる。きゅっと唇を結んだ三奈とお茶子、そして首を傾げている梅雨と四人で顔を見合わせて笑うしかなかった。

「……沙耶早く着替えて!朝ごはんなくなる!」
「うん、急ぐね!」

食べ盛りの私達とはいえ、多少遅れたくらいで誰かに食べられてしまうわけはない。そんなこと皆わかった上で言っているのだ。砂糖達がサプライズを準備してくれるかもしれないのなら、聞かなかったふりをしなければ。
身だしなみを整えて寝癖をピンで隠すように止めてふと思う。私の誕生日を祝ってくれるらしいそのサプライズには、彼も加わっているのだろうか。鏡の近くに置いてあるアクセサリートレイにはドライフラワーのイヤリングが鎮座していた。これを選んでくれたのは幼馴染の轟焦凍だけれども、買ってくれたのは従姉妹のまどかだ。誰からのプレゼントかと問われればまどかからであり、彼ではない。

「……十年かあ……」

今年こそ祝ってもらえるかも。今までと比べ、彼との距離感は確実に変わっているのだから。そう思わないわけではないが、そもそも彼は今日が私の誕生日だということを覚えているのだろうか。イヤリングを買ってもらった時に言ったような気もするし、言ってない気もする。あの時はすぐ帰りの新幹線に乗り込んでほとんどの時間を睡眠にあててしまったし、何より降りる寸前、彼が私の方に倒れ込み今までにないくらい顔が近づいたあの衝撃のせいで細かいことは何一つ覚えていないのだ。

「沙耶終わった?」
「あ、うん!今出る!」

こんな事を考えていても仕方がない。彼が覚えていなかったとしても緑谷や飯田や、周りの人が教えている可能性は──いや、そこまでして誕生日を祝われたいというわけでもないのだけれども。欲深い自分が急に恥ずかしくなってきてエレベーターが上がってくるにつれて熱くなる頬を冷まそうと深呼吸をした。

「疲れたあ……やりたいことはこう、見えてるのにさ、モノにならないのもどかしい!」
「見えてるだけすごいよ。私まだ何も思いついてない……」

TDLで皆の成長を目の当たりにして思わず出てしまったため息は女子全員に届いていたようで、各々から気にすることはないと優しい言葉をかけてもらった。そんな事も言ってられないのは事実だが、寮のドアを開けた途端漂う美味しそうな食事の香りに自然と頰が緩んでいく。

「もうできるらしいぞ」
「えっ、あっうん!」

二十枚はあろうかという皿をダイニングテーブルまで持ってきた焦凍と目が合い、何の変哲もない会話にどきりと胸が鳴る。
結局、今日この時間になるまで彼からはただの一言だって誕生日に関する言葉はなかった。この十年それが当然であったのに何を今更と自分に言い聞かせて席に着く。友人には祝ってもらったし、プレゼントまでもらった。両親や親戚からのお祝いメッセージも届いている。充分過ぎるほどなのに、私は心のどこかでまだ期待をしている。

「秦野の誕生日を祝って!乾杯!」
「かんぱーい!」

上鳴の音頭と共に皆で烏龍茶の入ったグラスを持ち上げた。周りに座る友人からも改めて祝いの言葉をもらい、これ美味しいよという紹介の言葉と共に色とりどりの料理が取り皿に盛られて目の前に並んでいく。今日の食事担当はやはり朝聞いた通り砂糖だったらしく「それ自信作!たくさん食えよ!」遠くの席から力強い声が聞こえた。

「沙耶ちゃん足りとる?おかわり取るよ、どれにする?」
「でも私ばっかり食べ過ぎてない?皆ちゃんと食べてる?」

誕生日なんだからと特別扱いをしてもらってはいるけれど、お腹が空いているのは何も私だけではない。現に私の分の取り皿と皆のそれとでは枚数が違う。まだ食べれるかと問われればむろん首を縦に振る用意はあるけれど、こんなにも美味しいご馳走を独占してもいいのだろうか。

「そんな心配しなくてもいいって!」

どこか含みのある笑顔を浮かべた三奈と目が合う。確か数日前にお茶子のことを揶揄っていた時もこんな表情をしていたし、夏合宿でB組と合同女子会を開いた時と同じようにその瞳はキラリと輝きを見せた。

「私達も沙耶が美味しそうにご飯食べてるところ、見るの好きだしさー?」

三奈の意味ありげな視線のせいで取り皿を箸を持つ手が熱くなる。冷たい麦茶を飲んだばかりなのに喉が渇き、耳も首元も体温の急上昇によりきっと赤くなっていることだろう。

「なんで三奈が」
「別に私だけじゃないよ?皆聞いてたよね?」
「聞いてたってそんな、盗み聞きしてたんとちゃうからね?!たまたま沙耶ちゃん達が話しとるの聞こえちゃっただけで……」
「あの時皆さん疲れてらして会話も少なかったですし、お二人の声がよく通ったと言いますか……」

お茶子や八百万が視線を逸らしつつ言い訳がましく早口で捲し立てる様子から、恐らく合宿の時にした焦凍との会話は全て聞かれていたのだろうと察して身体が燃やされているのではと勘違いするくらいには芯から熱を帯びている。

「恥ずかしい……もうやだ……」
「で、食べないの?」
「食べる……ありがとう三奈……」
「たーんとお食べ!」

あの言葉にはそんな大した意味などない。ハムスターが頬袋いっぱいにして餌を食べているのが可愛いだとか、精々そんな程度の話であって。私が望んでいる意味での可愛いとか、好きとか、そういう感情ではないと私が一番よくわかっている。もしあの言葉に──それだけでなく今まで私が彼との距離が縮まったと感じた全てに──何かしらの恋愛感情が含まれていたならば、誕生日を祝う言葉くらい掛けてくれていたはずだ。
だからこそ、今こんなにも羞恥心が湧き起こる。微塵も望みのない相手に片想いをしている私をこうして気遣ってくれていることが、そうさせてしまっていることが、どうしようもなく恥ずかしくて情け無かった。

「沙耶ちゃん」
「?」

私の部屋で私のサプライズをするからゆっくり風呂に入れと三奈に言われ、たった一人でドライヤーの準備をしている時、いつ入ってきていたのか鏡越しに梅雨と目が合う。

「どうしたの?」
「……轟ちゃんとのこと、ああいう風に言われるのが嫌だったかしら。沙耶ちゃんはいつも笑ってくれるから知らない内に傷つけていたかもしれないわ。ごめんなさい」
「えっ!ち、違うよ!」

あまりにも深刻そうに、申し訳なさそうに腰を折る梅雨に慌てて立ち上がって駆け寄った。ドライヤーを持ったまま歩いたせいでコンセントから嫌な音がしたけれど今は気にしないでおく。

「すごく子供っぽいから皆には言わないでくれる?」
「もちろんよ」
「……私、焦凍くんに誕生日祝ってもらったことなくて。今年こそ何か変わるかなって期待してたんだけどそんな事もなくて、思い上がっちゃってたっていうか……」
「……沙耶ちゃん」
「皆は応援してくれるけど全然ダメで、なんかもう恥ずかしくなってきちゃって」

ぽたりと髪先から雫が落ちた。乾かすのも面倒だし、このまま私の泣きたい気持ちと一緒に水分が全部吹き飛んでしまえばいいのに。
彼からの誕生日を祝うたった一言がないからって皆にもらった言葉も食事もプレゼントも色褪せるわけではないけれど、こうして一日を振り返ってみるとやはり私は彼に祝って欲しかったのだ。その言葉さえあれば、この半年で少しでも彼との距離が縮まったとか、関係が深まったとか、また暫くの間は夢を見れるはずだったから。

「……ドライヤーから変な匂いがしてるわ」
「あっ本当だ……無理矢理引き抜いちゃったからかな……」
「どうかしら。でも今日は使わないほうがいいと思うの。とりあえずもう部屋に行ってみたら?きっと準備もできてるはずよ」
「梅雨ちゃんは?」
「私は……片付けたら行くわね」

無理矢理話を変えてくれたのは梅雨の優しさだろう。もう就寝時刻まで残り二時間と少し。せっかく皆が祝ってくれるというのだから、彼のことは一旦考えから追い出して誕生日を満喫しよう。

「沙耶」

そう思いつつ駆け足で脱衣所を出て、角を曲がった先の共用スペースにいたのは一時的に頭から消したはずの焦凍だった。私と目が合うなり立ち上がり、ソファーに置いていた何かを掴んで歩み寄ってくる。

「部屋に戻るんだよな。ちょっといいか」
「えっ、うん」

たった数秒歩みを早めただけでまさかこんなに心拍数が上がるわけはない。だからこれはつまり、彼のせいに他ならない。誕生日も終わろうかというこんな時間に、明らかに誰かを待っていて、何かを渡そうとしているその全ての行為に対して、私は期待を抱いてしまっているのだ。
肩に乗せたタオルが髪の水分を吸っているのだろう、冷たくて気持ちいい。風呂上がりというだけで生じているわけではなさそうな私の熱を全部吸収してはくれないだろうか。

「誕生日おめでとう」
「……えっと……あの、ありがとう」

欲しかったその言葉。聞きたかったその一言。だというのに私は彼の顔を真っ直ぐ見ることすらできない。直接祝ってもらえた嬉しさと、彼に祝ってもらえないと嘆いていた私の思慮の浅さへの恥ずかしさとが半分ずつ混ざり合っている。
好きな人に誕生日を祝われたのは人生で初めてのことだ。それがこんなにも嬉しいものだなんて思いもしていなかった。漫画やドラマで見るような大層な祝い方でもなければ、朝一番に声をかけてくれるわけでもなくて、寮の片隅で表情一つ変えずに声をかけてもらっただけなのに、それが今までの何よりも嬉しくて。

「今まで沙耶には迷惑掛けっぱなしだったよな。お詫びってわけじゃねえけど……これ」
「もらっていいの?」
「ああ。沙耶に渡すために買ってきた」
「そ、そっか。ありがとう……」

私へのプレゼントだとわかっているくせに、彼に言わせるなんて一体どこまで欲深いのか。一つ手に入ればまた次を望もうとする自分の心を律して紙袋を受け取った。
逆三角錐型の紙袋からは黄味がかった白、オレンジ、秋らしい淡い赤に染まった花が顔を覗かせていて、そのなんとも言えぬ芳しさに心が満たされ、強張っていたはずの表情筋も解されていく。それは彼が渡してくれた花束だから、というのが大いに関係しているだろうけれど。

「ダリアっていう花らしい。花屋の人に沙耶のこと伝えたらこれがいいんじゃねえかって」
「誕生日秋だし、秋のお花だから?」
「……それもあるのかもな」

それも、というのは何を意味するのか。彼は私のことを花屋で何と言ってダリアを勧められたのだろう。そのことを聞きたかったはずなのに、私の身体は視覚に動きを集中させてしまい口が動いてくれることはなかった。
時間にしてほんの数秒、一秒か二秒程度の刹那とも呼ぶべきくらいだったけれど、彼が微笑んでくれたのだ。いつだって大きく表情を変えることのない焦凍が花を見て、幼かった時のようや満面の笑みとも違う今の彼らしい笑顔を浮かべて私を見ていたのは、絶対に見間違いなんかじゃない。

「この後部屋でまだ何かあるんだよな?蛙吹が言ってた」
「あ、うん、なんかお祝いしてくれるみたい」
「悪かったな呼び止めて」
「ううん!その……すごく嬉しかった」
「……そうか」
「うん。……焦凍くんのお誕生日もさ、たくさんお祝いしようね!」

「ああ」と呟いた彼はまた同じ顔を見せてくれた。やはり私の白昼夢でも、勘違いでもなかったのだ。もはや自分の心拍すら感じ取れないけれど、彼への気持ちが溢れてしまわないよう必死に紙袋を持つ手へ力を入れた。




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